主観と客観。
自分自身の観点、価値観。
第三者から見た視点、判断基準。
ざっくり言えばそんな感じ。
どちらも兼ね備えるべきだし
物事を円滑に進めるためには
この2つを上手く選択し、使い分け、そしてフィードバックすべきだと思う。
ここは果たして主観でよかったのか。
はたまた客観の方がいい結果に繋がったのではないか。
そしてまたその選定スキルが磨かれていく。
より上質な意思決定が出来るようになり
人として成長したかのように感じる。
素早く、的確にいつも通りの思考回路で判断して
主観なのか客観なのかを選択し
いつも通りの結果を生む。
その判断速度の向上を
成長と感じるのか
それとも選定する際に考慮する
判断材料の増加を
成長と感じるのか
人によって異なると思うけど。
でも実際のところは
本当に経験がスキルを向上させたのか
逆にそれが慣れを生んでしまい、感覚を鈍らせているだけなのか
その2パターンがあると思う。
前者であれば真の成長だと思うけど
後者の場合は
ただ単に
客観を主観視
し始めているだけな気がする。
主観と客観。
紙一重の概念だと思う。
そもそも客観なんて存在するんですか?
主観の入らない自分の中の基準、概念なんて存在するんですか?
客観的に、斜め上から、俯瞰出来ている気になって
実際は客観を自分好みに味付けしているだけではないんですか?
客観を主観視して、自分だけの世界に入っているだけではないんですか?
その状態で正しい意思決定が出来ていると言えますか?
主観と客観。
どちらの色が強い方がいいのか。
どちらに傾いている方が、他方より優位であるのか。
そんな話を最近した。
僕は圧倒的に後者寄りな故に
主観が強い人間に憧れし
そちらの方が優位であるとも思う。
主観が弱い人間は自分に固執出来ないし、そんな勇気がない。
自分と対面するのが恐い。
深く自分を掘り下げる方法を知らないし、学ぼうともしない。
それは本当の自分と対面したくないから。
あれも出来ないし、これも出来ない
そんな自分に出会いたくない。
物事を深く考えられない故に
発言の工程が極端に脆い。
判断基準が少ない。
自分の理念に自信を持てない。
だから客観に逃げる。
一般的だから、一歩引いて物事を捉える事も重要だから
そんな風に合理化し、逃げる。
かと言ってその逃避先の客観が
真の客観というわけでもない。
自分自身が長い年月をかけて
いいように捻じ曲げ、凝り固らせた
そんな主観視された客観に
逃げ込む。
そして大人ぶる。
周りの事も考えられる人間だと
自分の利益を後回しに考えられる人間だと
鼻を高くする。
愚の骨頂。
主観に縋る事が出来るほど、思考を重ねましたか?
それほど簡単に譲歩してしまうほどのものと言う事ではないですか?
主観に愛情はありますか?
主観と客観。
主観を持ちたい。
強固で、自分の分身のような
主観を持ちたい。
そしてそんな主観に満ちた自分を
客観視するんだ。
「あーいまおれめちゃめちゃ自分勝手やわー。でも絶対譲られへんわ。」
差し当たりそんな感じに
客観視する。
例え結果がその主観に基づくものではなかったとしても
その固執が自信になる。
主観との信頼関係が
益々強大になる。
「結果はあかんかったけど、最後まで譲らんかったで。」
そう自分の主観に真正面から言えるような
そんな関係になりたい。
そしてそれを環境の責任にしない
客観性も兼ねそなえたい。
主観を客観視しよう。
客観を主観視しないようにしよう。
主観と仲良くなろう。
主観に愛情を持とう。