ハードボイルド小説「建長寺太一物語」献残屋藤吉郎

ハードボイルドな刑事サスペンス

新)献残屋藤吉郎「危険な刑事」



法治国家の大物政治家と言われる建長寺雄一郎を親に持ち、何一つ不自由なく育った、はみ出し刑事が建長寺太一で、国立大学京都大学卒業のエリートで、将来の官僚警察官を約束されたいた。

エリートでありながら、大学時代には空手の選手として活躍して、空手会では有望視されていた。空手4段の猛者でもあり、金持ちのおぼちゃんタイプではなかった。

そんな建長寺太一は官僚警察官になるようなタイプではなく、捜査刑事として、現場畑から出発した。

もともと、優秀だったので試験で昇給する警察組織では、すぐに警部補となり、警視庁捜査第一課に配属となった。

建長寺太一は利口ぶるでもなく、エリート意識は全くなく、刑事仲間に打ち解けていった。

元来が負けん気で、正義感の強い男だったので、悪行犯罪には燃えていったのである。

勢い余って、勇足も何度かあったが、警視庁捜査第一課に勤務してからは、刑事としての検挙率は群を抜いていた。

常に先頭に立ち、捜査に立ち向かい、悪事を憎んでいるようだった。

建長寺太一の父は民友党幹事長の建長寺雄一郎であったが、その権力を利用するようなことは無かった。

建長寺太一の母親は、政治家の妻と言うこともあり、ある講演会で暴漢に襲われて死亡していた。そんなこともあって、悪事を憎んでいた。

ある時に談合贈収賄事件が起きた時にも、父の建長寺雄一郎の立場を離れて、捜査に打ち込んでいた。

父が関係していた事件でもあったので、建長寺太一警部補は家を出て、一人住まいをした。

そして、今も一人住まいを続けている太一であった。



(2)燃える刑事「太一」は走る

建長寺太一は警視庁捜査一課に配属になり、意欲に燃えていた。彼は大物政治家、建長寺雄一郎の長男に生まれたが、父が後妻を貰ってからは、その継母とは反りが合わなかった。

大学卒業までは親の元にいたが、卒業と同時に独立して、一人住まいを始めた。

異母兄弟ではあったが、弟の裕次郎とは気が合い、学生時代は好きな野球を一緒に見に行っていた。

弟は高校時代から、剣道に励んでいた。そして、スポーツマンらしく、すがすがしく、誰からも好かれていた。

太一が家を出てからも、兄弟中がよく、弟裕次郎は兄太一を訪ねてきていた。

太一が警視庁捜査一課に配属なってから、初めての事件を担当したのが殺人事件だった。

捜査一課の直接の上司となり捜査を担当したのが西園寺警部だった。経験豊富な刑事であり、面倒見のいいような刑事に見えた。

「おい、建長寺警部補、今夜は時間は空いてるか。。」

と、誘われて、西園寺警部の馴染の居酒屋に出かけた。

「よろしくな、、、建長寺警部補、、、これからは太一でいいかな、、呼び捨てにするけど」

ぶっきらぼうな、男らしい刑事だった。

そして、「太一、、、刑事になったんだから、事件に集中して、因果関係は忘れろよ、、」

と、、、初めから、親の力などは関係ないからなと、釘を刺されたような気がした。

勿論、太一は自分の力で、警察の中で生きていこうと思っていた。

「西園寺警部、、、大丈夫です。人を頼らなく、自分の力で生きていくつもりです、、、よろしくお願いします」

と、、太一も覚悟を決めて、刑事道を歩こうと、自分に云い聞かせた。

いい酒を飲んで家に戻った。

3)(男一匹刑事野郎)

太一は一人暮らしを始めて、朝は目覚ましをかけて、やっと起きていた。朝飯は抜きの状態が多かったので、移動中にいつもサンドかハンバーグをかじりながら朝食を取っていた。

その様子を何回か見ていたので、先輩刑事の西園寺警部が、、、

「太一、、おにぎりを持ってきたから、、、お前はいつも寝坊助か、、朝飯も食う暇がないのだったら、ちょとだけ早く起きて家へ来い、、、朝飯ぐらい用意してやるから。」

西園寺警部は言った。

「太一、、朝飯ぐらい食べないと、いい仕事が出来ないからな、、明日から、必ず来いよ」

と言うことになり、太一は毎朝、西園寺警部の家に通った。

何か力が入るような、一日、頑張ってやろうという気になるようだった。

警視庁捜査一課に事件が舞い込んできた。

銀座で殺人事件が起きた、、、夜の銀座のクラブ街で、酔っぱらった客同士の喧嘩で人が殺された。

太一には初めての殺人事件であるので、なんか張り切って現場に向かった。

先輩刑事に従って、現場検証に立ち会った。

ナイフのようなもので、腹を刺され、血だらけになって倒れていた。

犯人はすぐに分かった。クラブの女から聞いて、すぐに逮捕に向かった。

犯人は室町明と言う、反ぐれの男だった。その男のアパートを訪ねたが留守だった。

住まいの近所で聞き込みをしたが、昨夜から戻っていなかったようだった。それで、反ぐれの室町明がいつも屯している

御徒町の麻雀屋を訪ねた。とんずらをしたようだった。

太一が西園寺警部と捜査をして分かった事は彼らは覚せい剤を巡ってトラブルをしていたようだった。

新宿に事務所を構える暴力団「あかね連合」に組する反ぐれ集団に室町明はいたのだが、覚せい剤の集金をゴマかしたということで、追われていたようだった。

太一たちも聞き込みをして、室町明を探した。どこに逃げたのか見つからなかった。

そこで室町明の実家のある千葉市市川を訪ねた。聞き込みでは一度は来たようだったが、行方をくらましていた。

室町明の友達関係を当たっていた時だった、偶然に太一は室町明に出会った。

先輩刑事の西園寺警部は、その時に昼食用のパンと牛乳を買いにお店に入って行った。

室町明に出会った太一は、相手が逃げたので追いかけた。

逃げる途中で子供が飛び出し、運悪く犯人に捕まり、人質になってしまったのである。

「こらーーそれ以上、動くと撃つぞ」と、、、拳銃を取り出して、子供の頭に擦り付けていた。

太一は咄嗟に、拳銃を撃った、自信があったのだ。

射撃では警察学校でも一番だったので。。

運よく、命中した。犯人の頭を打ち抜いていた。

偶然に犯人を倒し、子供も無事に救えた。。。結果的は良かったのだが、、、銃声を聞いて、飛んできた西園寺警部に殴り飛ばされた。



4)(殺しの太一刑事となる)

建長寺太一警部補が捜査一課に配属になり、二つ目の殺人事件が起きた。

大手企業である「総武不動産開発株式会社」の営業第一課の長嶋係長が本社営業室で倒れていたのであった。頭から血を流して即死状態だった。

太一警部補の上司西園寺警部は思った、、、厄介な事件が起きたなと。

総武不動産開発株式会社にはいろいろ政界の大物政治家、経済界の重鎮が絡んでおり、今までにも談合贈収賄事件、汚職絡みで黒い噂が流れていた。

その上に反社会勢力と言われるやくざ組織までが絡んで、ことごとく談合や贈収賄、汚職に絡んだ事件を揉み消したり、捩じ上げた判決を生み出していた。

それらの事情を知っていた西園寺警部は気が進まなかった。

弟分の太一警部補は燃えていた。

「太一、、お前、大分やる気でいるな、、、褌を占めてかかれよ。」と、、、

西園寺警部は激を飛ばしていた。

いつもの通り、二人は今回も相棒を組んでの捜査に当たることになり、、とりあえずは「総武不動産開発」の本社現場に行った。

「ひどいな、、、鋭利なもので、刺され、その上を鈍器なようなもので割られているよ。」

西園寺警部は見立て、、、「結構、恨まれているな。この殺し方は、、」と、、太一警部補に呟いた。

「太一、、会社の人間に事情聴収といくか、、、」と言ってから、当たり前の筋書き通りの事情を聞いて回った。

西園寺警部は太一警部補にあらかじめ、会社状況を説明しておいた。これからの捜査には気を配るようにと。。

最新の注意を払って、人間関係を捜査することと念を押した。

下手な捜査をすると、裏から、、、上から圧力が掛かることを教えておいた。

西園寺警部と太一警部補の凸凹コンビの捜査を大雑把にまとめると、汚職臭いと考えた。

会社の裏金隠しに纏わるトラブルと睨んだのだった。

兄貴分の西園寺警部は、、、気を付けないと、気を引き締めた。

「太一、今のうちに言っとくぞ、、、今回は一人では絶対に動くなよ。」と、、、

初めから、西園寺警部は嫌な予感がしたのだった。

その夜、太一を誘って夕食をした、、美味い蕎麦屋があるので。。。



5)(最初の圧力が始まる)

日本の国とは不思議な処だ。法治国家なのに悪事が罷りとおってしまう。捻じ曲げられてしまう。

なんと不思議な国だろう。

西園寺警部は、弟分の太一警部補に言って聞かせた。今回の事件は気を付けないと警察官破滅があるからと。

今までの経験だと金持ちが絡んだ事件、裏金作りには余程気を付けないと馬鹿を見るからだ。

権力者たちは、自分の身を守るためには何でもするということだ。あらゆる手段、攻略を講じる、、人の命までも犠牲にして、、、何が正儀か分からない。

己の地位を守り、堅持するためには、時には悪行も断行するのであった。

その時のために、手を汚す人間たちまでも買っているようだ。さらに、法を守る人間にまで毒牙を伸ばしているのだった。

だから、汚職が絡んだ事件、殺人などを突き詰めていくと、初めから答えが準備されているのであった。

そして、都合が悪くなると、担当警察官などが責任を取らされてしまい、事件は幕が引かれる。

そんなことがあるから、弟分の太一警部補には苦湯を飲ませたくなかった。どういう訳か、西園寺警部には自分を慕ってくれる太一が可愛かったのである。

しかし、親心、子知らずなのか、太一警部補は燃えていた。今回の事件に、やけに熱心であった。

そして、抜き差しならない羽目になったのであった。

今回の総武不動産開発株式会社には、父親の建長寺雄一郎が絡んで来たからだった。

太一警部補が捜査を始めたのは、死亡した長嶋係長の身辺からだった。

家族にあたった。奥さんの長嶋智子は総武不動産開発の経理部に勤務していた。従って、総武不動産開発の経理部の仕組みと言うか、内情を良く知っていた。

そして、夫の長嶋三郎係長が営業に関する資金管理をしていたので、資金運用が会社社長である、二階堂保の決済である程度処理できたのである。

捜査によれば、北海道小樽のリゾート用地買収に50億を要していた。しかし、太一の調べでは30億と分かった。

それでは残りの20億はどうしたのかとなる。

そのカラクリは見事なものだった。

太一警部補たちの捜査でも、用地買収には50億が使われていた、しかし、太一警部補の執拗な調べで、そのカラクリが暴かれたのであった。

その結果、西園寺警部は「やばい、、まずいな」と、思った。

その資金内訳が暴かれなけらば、長嶋係長の事件は自殺で処理されていたのであった。



6)(太一警部補に試練が、、、)

太一警部補が小樽に捜査に言った時だった。その時は西園寺警部が都合が悪かったので、同僚の大石警部補と捜査をしていた。

総武不動産開発の用地買収に関わった地元の柴田不動産を調査した時だった。偶然、同僚の大石と洒落た居酒屋に入った、先方は気が付かなかったが、噂話をしていた。

その話を聞いていた太一警部補は、、、、

「そうだったのか、、、ごまかしがあったのか、、、」

反面、どえらいネタを掴んだなと思い、、

翌日、柴田不動産を責めた。少し、強引過ぎたかも知れないが、その裏付けを取った。

太一警部補は鬼の首を取った気分で、東京に戻った。

太一警部補は正儀溢れる、熱血漢刑事であった、誰が何と言おうと、今回の裏付けを取ったネタは折れないという覚悟を持って警視庁に帰り、上司の西園寺警部に報告をした。

話を聞いた西園寺警部は「まずい、、」と唸った。

必ず、今回の事件はクレームがつく筈だと、、、

しかし、太一警部補は強い意志を表して、クレーム覚悟していた。

今、横槍が入っいてることも知っていた。

西園寺警部補は、、「太一、本当にいいのか、、覚悟は出来ているのか、、」と、念を押してきた。

横槍は警察幹部や政治家絡みのものであり、最終的には民友党幹事長の建長寺雄一郎が出張ってくる筈だ。

太一警部補は覚悟していた。

自分の首をかけて、、、、、

一度は父親と対決しようと思っていたので。

兄貴分の西園寺警部は太一警部補の覚悟を知り、確認した。

そして、自分も一度ぐらいは警察官としての誇りを持って、望むことにしたのであった。

警視庁内部では大騒ぎとなった。

何としても、揉み消そうという、警視庁組織、、、しかし、太一警部補は引き下がらなかった。



7)命を賭けた警察官としての誇り

  (誇り高き男たち)

西園寺警部は、安定した生活を送ることも一生、男一匹、人生最後を太一警部補にかけてみたくなった。

男としてロマンに夢にかけてもいいような。。。太一警部補には何かを感じていたのであった。

「太一、、、お前の思う通りにやってみな、、、俺な、、人生を間違うかも知れないが、、お前にかけるからな。。。」

「太一、お前の馬にのったぞ、、、走れよ、、しっかりな」

西園寺警部に尻を叩かれた。

太一警部補も走り出したのであった。

もう何があっても戻ることは無い。。。。

競馬で言えば最終コーナーだ。

走って見せるぞ、、、太一は心に誓った。

「西園寺先輩、ありがとうございます。力が湧いて来ましたよ。。。警察官生命をかけて、頑張ります」

太一警部補は父親との確執もあったが、跳ねのける覚悟をしていた。

場合によっては警察官生命を絶たれるかも知れなかった。

太一警部補の見方は西園寺警部だけだった。


8)父親建長寺雄一郎との対決

太一警部補は呼ばれた。父、建長寺雄一郎に、、、

太一に電話があり、、、「太一、、今夜でも明日でもいいから、久しぶりに飯でも食わないか。。」と。誘いがあった。

太一は「来たか、、、覚悟するかな」と、思いながら父の誘いに向かった。

向かった先は六本木の寿司屋だ、、、父、建長寺雄一郎が好きな寿司屋で、注文の出来ない寿司屋であった。

しかし、魚は超一流のものが揃っている。

太一警部補に言わせれば、大人の見栄だ。不思議なことに太一は、その寿司屋へ行くと、決まって、次の日には腹を壊していた。行きたくなかったけど、今回は父親に顔を立てたのであった、

「太一、、お前、頑張ってるみたいだな、、張り切り過ぎるなよ、、、話は聞いているけど」

「ああ、親父の脚は引っ張らないようにとは思っている」

「おやじ殿、俺はやっぱり、カエルの子だよ。。。。こうと決めたら、止まらないようだ。。。」

太一と父雄一郎は酒を酌み交わした。

そして、 太一は言った。

「おやじ殿、、、俺に構わずに親父は親父の道を行ってくれ、、」

無言だけど、親父の道にあがらうと、決心をしていることを太一は告げた。

「そうか、、、太一、、お前は俺の子だ、、、分かった」

そう言って、父、雄一郎は盃を干した。

「太一、、、俺は帰るぞ」と、お店を後にした。

何処かに息子を誇らしげに思いながら、いつもの黒のハットを被りながら、背中で手を振ったようだった。

太一も思った。

「おやじ殿、、ありがとう、、、命を賭けてぶつかっていくよ」

頑固な親子の話し合いは終わった。

太一が夕闇の六本木の街へでた、、、明日もまた、腹が痛くなるだろう、、、、



(9)男の戦い

太一警部補は思った。これで悔いなく思いっきり戦えると、、、今回の汚職事件を解決するためには、幕引きをするためには、どうしても父、雄一郎との対決を避けずには通れない道であった。

西園寺警部には本音を話した。今回の決着をつけるためには、どうしても、民友党幹事長、建長寺雄一郎をも潰さなけらばならに事を、、、

西園寺警部は太一警部補の覚悟を聞いて、どこまでも応援しようと決めたのであった。警察官の誇りをかけて、最悪の場合は警察官の職を辞しても仕方がないと。。。

「太一、、、わかった。思いきりやれよ、、、悔いを残さないように。」

二人は覚悟を決めて、今回の汚職及び殺人教唆事件の最終捜査会議に臨んだ。

合同捜査会議に入り、まずは担当課長から話があった。

「今回の汚職疑惑及び殺人教唆の疑惑に関して説明をします。、、、捜査の結果、汚職は無かった、また、殺人教唆ではなく、本人の自殺であったことが判明した。そのことによって、今回の事件は終了。」

と言う捜査結論に達した。

太一は怒りをぶちまけることにして、反論をした。勿論、全ての捜査からなる証拠を出して、警察の今回の暴挙に対して自分の警察官生命をかけて、捜査結論に対する意見を述べた。

捻じ曲げられた事実を訴えた。法治国家であるべき日本の警察のやるべきことではないと。。。

そして、太一警部補は自分の意見を取り入れて、再捜査なり、再検討をしてくれと訴えた。

しかし、結論は変えられなかった。初めから覚悟していたので、その場の報道機関に訴えたのであった。

会議は大混乱を起こした。警察内部の上層部も慌てた。

まさか、太一警部補がここまでやるとは思ってもいなかったのである。

この捜査会議の記事が報道された。

パニックを起こしたのであった、警察内部でも責任問題が起こり、収まりがつかなくなっていた。



(10)決着



太一警部補の反乱ともいうべき行動によって、警視庁内部は大パニックになった、、、検察庁も同然であった。民友党事務局内でもてんやわんやの大騒動になった。

普通なら、政治力により捻じ伏せられた事件であったが、太一警部補が警察官生命をかけて、ぶちまけたことにより、全てが白日の下にさらけ出されたのであった。

どうにも止まらない、止めることが出来ない状況になり、社会悪が表面化したのであった。

手始めに民友党幹事長、建長寺雄一郎が辞任に追い込まれるとともに今回の汚職に絡む賄賂受託罪に問われた。

警察内部の刑事局長水野忠助、検察庁検事副総裁が起訴された。

また、総武不動産開発株式会社の鳳社長、経理部長の堀尾利助が汚職に絡む嫌疑で逮捕された。

更に北海道小樽の柴田不動産の柴田社長も汚職に絡んだ嫌疑で逮捕され。

一網打尽であった。

更に、殺人教唆に関わったと思われる暴力団青龍会の青田隆二幹部も逮捕された。

これまでの汚職などに関する事件では、大部分が隠蔽されてしまったいた。しかし、今回は処罰されたのである。

勿論、正義の味方である、太一警部補は警視庁から飛ばされた。遠い南の沖縄に左遷となった。

警部補から一巡査に格下げされて、交番勤務となったのである。

西園寺警部も左遷となった。

日本と云う法治国家では社会悪を撃退すると、はるか彼方に飛ばされてしまうようだ。。。

なんとも空しい、馬鹿げた法治国家なんだろう。。。。

優秀な熱血刑事は消えたしまったのである。



11)沖縄に流されて。。。

建長寺太一は警視庁時代は警部補を拝命していたが、今回の脱税汚職事件の摘発に関しての功労者ではあるが、、日本の法治国家の不都合で、不始末を咎められ沖縄県波照間島にある警察署管内の交番勤務になり、、、巡査部長として転属なったのである。
早い話が左遷であり、、日本最南端の波照間島に飛ばされた。
八重垣山警察署管轄の「最南端の交番「波照間駐在所」に転属になったのである。
波照間島駐在の先任者が定年となったためのことであり、、駐在員は1人だけであった。
沖縄県石垣市矢崎町に存在する波照間駐在があるところは「日本最南端で南十字星に一番近い島」であり、、空がきれいで海が美しい島である。
人口500人足らずで、面積も約13キロメートルと小さな島であるが、、最近観光客が多くなってきた。
島内にはホテルや民宿、ペンションもあり、、、観光ツアーが組まれている。
東京からは羽田空港経由で石垣島空港へ約3時間、そして、高速船で波照間島まで約1時間40分の距離であった。
太一巡査部長は交番勤務も一人なので気楽であり、、、島の人々も親切でやさしく住みやすかった、、
二人住まいの老夫婦の所に下宿をしたので、、、近所の人たちも面倒を見てくれたのである。。
下宿先の中曽根忠治さんは釣りが好きで、太一が休みのたびに連れて行ってくれた。
海も綺麗だし、、、食べる魚も新鮮なので、太一は色も黒くなり、、少し太ったのである。。沖縄の波照間島に来て、心が落ち着き、ゆったりして、、左遷ではあったが良かったと思っていた。
波照間島の部落の屋根は「赤煉瓦屋根が残り」塀はサンゴの石垣が、、、白砂の道の上を「水牛車がゆっくり歩いている」そして、屋根の上には「シーサー」がある。
太一は沖縄で生きていることを肌で感じた。ずっと、沖縄に居てもいいかなと思うようになっていたのである。

そんなある日,警視庁時代の上司でもあり、、兄貴のように世話に成った西園寺警部から電話が入った。
現在は太一と同じに左遷をさせられて北海道警察勤務であり、、警部補に格下げになっている、、、その西園寺警部補が尋ねて来るというのであった。
仕事を兼ねての来訪であるが,、、太一には嬉しかった。


8)恩人の西園寺警部補が訪ねて来た。

西園寺警部補が沖縄県波照間島まで北海道から来たのであった、、、仕事を兼ねての警察旅である、、、飛行機で石垣島まで来て、高速船で最南端の島までの旅であった。
太一の赴任した波照間島駐在には太一が一人勤務するだけであるが、ホテルや民宿、ペンションはいくつかあるので、、、太一が世話に成ってる「民宿うるま家」を予約しておいたのである。
「民宿うるま家」は海が見える大浴場が気持ちがよく、、魚料理が旨いのであった。
西園寺警部補が港に着くころに太一は,駐在のぼろ車で迎えにだたのである。。。。
西園寺警部補と同僚の大和警部補を車に乗せて「民宿うるま家」に案内する間、、太一は波照間島のガイドをしていた。
「この波照間島は日本の最南端で、、、南十字星が見られる島なんです、、空の綺麗な海の素敵な島で、最近は観光客も多いよ、、」
と、自分の家を自慢するように話したのである。
「西園寺のおやじさん、、、今夜の民宿のお風呂はいいですよ、、魚も旨し楽しみして居てください、、、」と、太一は旅行でも行くようにはしゃいでいた。
「事件のことは大体、聞いていますけど、、本人は家にはまだ、もどっていませんよ、、」と、、太一は報告だけはしておいたのである。
「わかった、、細かい話は飯でも食いながら、夜話そう」ということで、目的の民宿に着いた。
「親父さん、、まずはお風呂に入ってください、、」と、、太一は案内したのである、、、我が家を案内するように。。。
太一も一緒に風呂に入った、、
「親父さん、、、久しぶりに背なかを流すよ、、どうです、、海が眺めていいお風呂でしょう、、」
太一は久しぶりに会う西園寺警部補が懐かしかった。
夕食の時に民宿の中曽根夫婦が挨拶に来てくれたのである。。
「初めまして中曽根です、、太一さんからお話は聞いていますので、宜しくお願いします。。。」と、、、
西園寺警部補も軽く会釈をして「よろしくお願いします、、西園寺です、、、一緒に来ているのが大和です、、今回はしばらく、お世話に成りますので、、、」と、、中曾根さんの釣ってきてくれた魚の刺身と煮つけを食べた。
西園その恨みで寺警部補と大和警部補は舌鼓をうつほどの美味しさであった。
太一たちも仕事の話は明日ということにして、美味しい料理と旨い酒に包まれて、南海の島の夜を楽しんだのである。
ほんのわずかな警察官の癒し時間であった。



12)太一の刑事魂が燃える

沖縄県の最南端である波照間島の駐在に赴任してからの太一は自然に恵まれて、精神的にのんびりし過ぎた気がした。。
余りにも綺麗な海や南十字星の見える島で、正直言って事件らしい事件も起きないので、太一は警察官でいることを忘れてしまったようだった。
そこに、西園寺警部補が刑事としての仕事を持ってきてくれたのである。
その犯人に今の自由党幹事長である松平重太郎の娘婿の松平史郎が殺されたと、、、そして、その犯人が実家のある沖縄波照間島に逃げてきているというのであった。犯人の名は中曽根三郎といい、、その犯人の母親が重病で明日をも知れぬ命であるというのであった。
西園寺警部補から話を聞くと、、、犯人の中曽根三郎はやくざ組織の組員とのことであり、、、北海道開発(株)とはリゾート開発での利権が絡んでるようだった。
詳しい話では、、、東京の本社「北海道開発(株)」が自由党幹事長松平重太郎の口利きで始まった開発事業であり、、「1000億円」からの開発内容で、、ホテルからスキー場施設やカジノまで併設した事業規模であった。
プロ野球球団の総合野球施設も含んだ大規模開発であるらしい。
そんな開発事業に黙って指を咥えてみているようなやくざ組織はいなかった。北海道に勢力を持っている「北海東北連合榎本会」が横車を押してきたのであった。
そんな利権争いの渦の中で、北海道開発(株)本社から松平史郎専務取締役が、、支社長として送り込まれてきたのである。
松平史郎支社長は「イケイケ行動派」だったので、強気の営業展開をしていたのであった。
札幌に近い石狩平野のどまんなかでの開発事業だった。
強きの松平史郎支社長は、「北海東北連合榎本会」にしてみれば、、邪魔だ
榎本連合会の榎本武会長は、、、
「幹部会を開き、、松平支社長は今回の俺たちの仕事には目障りだ、、邪魔だよ。。」
と、、言っただけで石田若頭が動いたのである。
そして、、今回の中曽根三郎組員が松平史郎支社長の暗殺となったのだった。
やられた「北海道開発(株)」の後ろ盾の自由党幹事長松平重太郎も黙ってはいなかったのである。。。
松平幹事長が悪事商売を全てやらせていた、東京赤坂の総武不動産(株)の二階堂保社長に連絡を取り手を打たせた。。。総武不動産は反社会勢力のやくざ組織であったので、、
母体組織の「東京連合睦会」と今後の打ち合わせをしたのであった。
総武不動産(株)の不動産トラブルの専門やくざを3人チームを作って北海道へ乗り込ませたのである。

西園寺警部たちも太一を入れて、、、3人で波照間島へ来た犯人、中曽根三郎を探した。
太一も本来が熱血刑事であるので、、暇を惜しんで探したのである。
狭い島である、、人口500足らずの島なので簡単に探せると思っていたが、、、なかなか、思うようにはいかなかった。
犯人の中曽根は必ず、会いに来ると思っていた、、、
島の人たちの話では「母親思いの息子」らしいので、必ず来る筈だと、、太一たちは辛抱して待っていたのである。
しかし、中曽根三郎は現れなかつた、、
こない筈で有った、、、彼も島では「いい人」」で通っていたのである。
警察に追われているけれど、、、島の彼を知る人たちは「一目だけでも」会わせてやりたいというのが人情であり、、たとえ逮捕されても、その前に会わせてやりたいと思っていたのであった。
そんために彼を知る人たちの協力が得られなかったのである、、、そして、太一も警察でも社会でも「苦水」を飲まされいるので,その辺の「武士の情け」を知っていたのである。
そして、、、中曽根三郎が母親を尋ねて来た夜に、太一は寝ずの見張り番だったが、、寝た振りをして、彼を見逃した。
親子の別れは出来た筈だった、、
中曽根三郎が母親と別れを済ませて出てきたので、、「中曽根、、別れは出来たかな。。」と、、太一は声を掛けた。
彼は頭を下げて、、、「ありがとうございました、、、母とは別れを済ませました」と、、潔く太一に両手を差し出したのである。
「よかったな、、、お母さんと会えて、そして、別れが言えて」、、、、
太一は思った、、、中曽根三郎は男だったなと、、、
自分は親父に別れを言ってなかったと後悔をしていたのである「残念無念」だ。。。


13)太一刑事、、転属に成る。。。

西園寺警部補たちが中曽根三郎を逮捕して、北海道に帰ってから、しばらくして太一刑事のもとに「転属命令書」が届いた。
海の綺麗な南十字星の見える南の島から、、冬は雪景色ばかりの北海道警察署への移動である太一刑事にしてみれば「復帰昇給」の嬉しい知らせであった。
しかし、太一刑事は心から喜べなかったのである、、、余りにも沖縄の波照間島の美しい自然に惹かれていたからであった。
世話に成った優しい人たちと別れての旅たちであったのだ。
そして、波照間島に別れを告げて北の新天地札幌にある、「北海道警察捜査一課」に向かった。
急の転属であった日が、、真っ白な雪景色に覆われた寒い冬だったのである。
西園寺警部補が寒い朝の札幌駅に出迎えてくれた。
「太一、、寒いだろう、、大丈夫か、、よく来たな、、警部補に昇給出来ておめでとう、、、」と、、歓迎してくれたのである。
「太一、、今回の昇給は犯人逮捕というお手柄の褒美でもあるが、、、注意しろよ、、、お前の悪に対する正義感が功をなしてるが、、、転属,昇給は政治力によるものだからな、、、」と、、話してくれた。
更に、自由党松平幹事長の思惑での事情のようだったのである。
それは組織暴力団「北海東北連合榎本会」に、太一警部補を担当させて、それらの行動を封じ込めようとしての陽動作戦だった。
松平幹事長は国家権力を利用しての金儲けの事業対策であり、、前回の父親であった「建長寺幹事長」を引きずり下ろした手腕をかってのことだった。。。
松平幹事長は自分は建長寺幹事長の二の舞はごめんなので、、、用意周到に準備はしていたのである。
悪くいえば罠を張っての悪巧みの国家権力の利用であった。
西園寺警部補は承知の上で、太一に今回の捜査作戦を打ち明けたのである、、、二人だけの作戦であり、企業秘密でするからな。。」
と、、、西園寺警部補は太一警部補に作戦を授けた、、、
その上で太一警部補にも考えて行動を擦る様にと告げたのである。
今回は警察の都合や面子ばかりで動くのではなく、、あくまでの二人のここまでの経験を生かしての捜査をしていくことにしたのであった。
勿論、松平幹事長たちの都合は後回しであったのである。
寒い北海道で燃えるような熱血漢が吠えたのであった、、、燃える相棒の復活である。


14)西園寺警部補は気になった、、、政治家の罠ではないのかと、、、

「太一、、今晩、飯でも食いに行こうか、、北海道にも馴染の店が出来たのでな、、
お前、、寿司が好きだったな、、帰りは一緒に出ようか、、」
と、、西園寺警部補と約束をしたのであった。
西園寺警部補は心配なのだ、、、今回も政治家が絡んでの転勤であったので、、、
どうも、太一の過去の実績を見ての自由党松平幹事長の思惑がありそうなのである。
太一警部補の行動力、捜査能力をかっての移動であってと思う西園寺警部補であった。
今度だけは政治力に、、悪だくみに利用されないように注意しないと、、そればっかりを考えていた西園寺警部補であった。
夜、、太一警部補は西園寺警部補に連れられて、、札幌市内の「狸小路商店街」にある、縄のれんの有る寿司屋に入った。
小ぎれいなカウンターだけの寿司屋で、老夫婦でやっているようだった。
「いらっしゃい、、西園寺の旦那、ご無沙汰ですね。。。」
と、、意気のいい声で挨拶をされた。
「おお、、こんばんわ、、今夜は俺の警視庁時代の愛弟子を連れ来たので、、
親父さんお奨めの寿司を握ってくれ、、」
頼むと威勢のいい返事が返ってきたのである。。
「西園寺の旦那は元気でしたか、、、」と言いながら,おかみさんがお茶を出してくれた。
そして、、太一警部補の前に旨いと言われる寿司が出てきた。
「旨いです、、久しぶりの美味しい寿司ですね、、ありがとうございます」
と、、太一は旨そうに頬張っていた。
「ところで、太一、、今回の締めくくりは上手くな、、、馬鹿を見ての責任取は絶対に御免だからな、、」
念を押したのである。。
「いいか、太一、どんなことがあっても最後は松平に、、そして、連合に泥を被せないとな、、、忘れるなよ」
と、、西園寺警部は何度も念を押したのであった。
「太一、、よくよく考えとけよ、、、俺たちが責任を取るのではなく、、仕掛けてきた奴らに、全てを押しつけて責任を負わせることを絶対に忘れるなよ、、」
と、言いながら西園寺警部補は好きな日本酒を「冷酒」飲んだ。


15)太一警部補に戻っての初仕事

夕べは西園寺警部補と久しぶりに、、、「親父、、、太一、、」と呼び合いながら楽しい夜を過ごした。
そして、太一は肝に銘じたのである、、、今回は前回のようなバカな責任を取らずに、事件を解決してやろうと自分に言い聞かせた。
北海道警察に赴任した朝に、、上司の清水捜査課長から言い渡させられたこと、、それは「北海道開発(株)」と「北海東北連合榎本会」の争いを鎮てもらいたいことであった。今回の北海道開発の松平支社長暗殺の逮捕の実績から突破口を見つけて、事件解決に奮励努力をして欲しいと、、、言うことであった。
そして、、「西園寺警部補と力を合わせて欲しい、、」
指示命令を受けての捜査開始であった。
そのあとで太一警部補は西園寺警部補から云われたのである、、、
「太一、、慌てるな、、じっくり構えていくぜ、、いいな、、」と、、念を押された。
「太一、、まずは逮捕した中曽根三郎の取り調べから行くからな、、、事情をしっかり聴けよ」
ということで、、暗殺犯人を取り調べ室に呼んで事情聴取から始めたのである。
中曽根三郎は逮捕時の太一警部補の対応に感謝していたので、、「刑事さん、、沖縄ではありがとうございました、、
本当にありがとうございました、、」と、、何度も頭を下げた。
西園寺警部補と太一に感謝の態度を見せながら、取り調べに素直に話をしてくれたのであった。
中曽根三郎組員は自分が事実を話せば、どうなるかを覚悟しての「やくざ掟」を破っての暴露である、、、
それは沖縄で取った太一の中曽根に対する対応であった、、、死に際の母親に合わせてくれた温情であり、、人間としての思いやり、やさしであった。
その行為に引き換えても余りあると、中曽根は感謝していたからであった。
中曽根の供述があったことで、、「殺人教唆」で「北海東北連合榎本会の榎本会長」を逮捕出来たのである。。
榎本会では慌てた、、今後の相談をして、北海東北連合の指示を仰いだのである。
一方、北海道警察側は「中曽根三郎」の身の安全を守るために、警戒を厳重にしたのであった、警察側も中曽根三郎を釈放はせずに、、逆に監禁状態にして、ヤクザからの報復を守つたのである。。
太一たちは知っていた、、、「やくざ所以は殺しが出来るから、、裏切りは死に値する」というやくざ組織の鉄の掟があった。
そして、今回は裏切った中曽根を許す筈がないと、、、太一は真実を話してくれた中曽根三郎を殺させる訳にはいかなかったのである。。
裏切ったやくざは、、いつか娑婆に出た時に狙われ殺されるのであった、、、「殺された後はミンチにされて、豚か鶏の餌にされてしまうのであるか、、または海に蒔かれて魚の餌になる」
そして、、死体が消えるのであった。
この世の怖ろしい残酷物語がある、、それが「やくざの恐ろしさ」である。。
太一は事件解明に当たると同時に、、中曽根三郎の身の安全を考えた、、、どんなことがあっても、、
守ると決めたのであった。


16)太一警部補の作戦、、、

太一警部補は中曽根三郎の命がけの証言により、、「北海東北連合榎本会」の榎本会長を殺人教唆で逮捕出来たのであった。、、「北海東北連合会」の大熊繁蔵会長は、月野若頭に号令をかけて幹部会を招集したのである。
「月野、、、いいか、、榎本が挙げられたのだから、、けじめはつけろよ、、、今回の「北海道開発(株)」の事業は潰せよ、、、いいな。。」
と、、大熊繁蔵会長から厳命が出された、、、「北海東北連合会の面子にかけてな、、」と、、、
月野若頭が先頭を切っての戦争であった。
そして、月野若頭を中心に作戦を練ったのである。
「殺人教唆」でトップが執られたからにはトップを狙えでいくことにしたのであった。
月野若頭のもとに「ヒットマン」が仕立てられた、、、「榎本会」と「連合会本部」から4人が決められたのである。
北海道開発(株)本社の松平社長と自由党幹事長松平重太郎が今回のターゲットであった。
榎本会の狙いは二人である、、、そのほかの関係者は枝葉であり、、戦いを望んできたら料理すればよかっただけである。
準備の出来た北海東北連合会榎本会は動き出したのであった。
連合会と榎本会の「ヒットマン4人」は東京へ向かったのである。
太一警部補が仕組んだ作戦、、、それは、後処理で「政治力が圧力」がかからないように、、喧嘩相手に始末をさせるということだった。。
東京へ出た「4人のヒットマンたち」は獲物を狙って、機会を待っていた。
そして、、関東連合会睦会が放った不動産プロたちよりも行動が早かったのである。
自由党幹事長松平重太郎と、、、北海道開発(株)の松平社長を暗殺したのであった。
テレビニュースなどで、、、大題的に報道された。
北海道開発(株)のリゾート開発に絡んだ事業は頓挫したのであった。


17)企業は強い、、頭なしでも前に、、、

北海道開発(株)の平林専務取締役は総武不動産(株)の二階堂保社長と相談をしたのであった。松平社長と自由党幹事長の松平重太郎が暗殺された後は事業が頓挫したように見えたが、、、残った幹部社員と総武不動産が力を発揮したのである。。
特に総武不動産(株)の二階堂保社長は本来のやくざ魂をむき出しにして前に出てきたのであった。
総武不動産(株)は「東京連合会睦会」の傘下であり、まるっきりのやくざ不動産屋なので、、二階堂保社長は思っていたのであった。
二階堂社長は「やられたな、、田舎ヤクザに参ったな、、何が何でもやり返したやるよ、、東京やくざの面子に懸けてな、、、」
と、、イラついていたのである。
今までは北海道開発(株)の言いなりに動いていたが、、今度はそうはいかないぞと、、意気が上がっていたのであった。
北海道開発(株)グループの中心的な存在になっての開発業務の推進を図った。
二階堂社長は「東京連合会睦会」本部から指示を受けて、今回の北海道開発の指揮権を任せられたのである。
そして、、攻めた。
「北海東北連合会榎本会」の月野若頭を狙えということで、、睦会の鉄砲球が飛んだのである。
やったらやり返せということになり、、やくざ同士の戦争が始まったのであった。
太一警部と西園寺警部補の思う通りになってきたのであった。
お互いのやくざ同士の争いになり、、警察としては取り締まるだけとなったのである。
政治力の圧力はかからなかったのであった。



18)やくざ抗争始まる、、、

東京連合会睦会の黒田利三郎会長に自由党沼田源太郎幹事長から直接に言い伝えがあった。
組内の総部不動産(株)二階堂保社長を引き立ててやって欲しいと、、、北海道開発の仕事を引継いだので、これからの指揮を執るからということになったのである。
太一警部も西園寺警部補もうんざりしたのであった。
頭を失っても、、尻尾を斬っても、、入れ替わり立ち代り、、諦めずに攻めてくるしつこさに参ったのである。
何を斬り落とせば止まるのか、、、悪事事業はと思った太一警部であった。
太一と西園寺警部補は捜査会議方針とは違った動きをしないと、北海道開発の事業に絡んだトラブルを解決するのは難しいと考えた。
しかし、一度には出来ないので個々に潰していく作戦を立てたのである。
まずはやくざ抗争で一番困るのは、一般市民が巻き込まれることであった。
太一たちは正確な情報を仕入れることに集中した、、、そのためには常に情報屋を駆使したのである。
まずは東京連合会が放った「鉄砲球」を探すことだった。その結果、太一たちは血眼に成って炙り出したのである。
秘密裏に逮捕して、裏付け捜査をして証拠固めをしたのであった。
そして、北海東北連合会榎本会の月野若頭に太一たちは情報を流したのである、、
街の情報屋を使ってであった。
その情報をもとに榎本会の月野若頭は再びヒットマンを東京へ送ったのである。
北海東北連合会の大熊繁蔵会長は気が荒くて、決めたら相手を殺すというやくざ戦法を取っていたので、今回も
月野若頭に命令指示を出していた、「絶対に引くな、、最後まで闘い続けろ、、」と、、
それに常に忠実に随ってきたのが月野若頭であり、、大熊会長の信頼も厚かった。
東京へ向かったヒットマンは数人で、一挙にかたずける指示を出していたのである。
狙われる者は弱く、、狙うものは強かった。
そして、総武不動産(株)の二階堂保社長、東京連合会の大橋若頭が銃撃されて死亡したのである。
更に二人の葬儀の時に連合会黒田利三郎会長が襲撃された。
その襲撃事件で警視庁特捜部が動いたのである。
警視庁特捜部と北海道警察が合同で、、北海東北のがさ入れが行われた。
その結果、北海東北連合会の大熊繁蔵会長と榎本会の月野若頭は「殺人教唆」で、、幹部連中は「銃刀法違反」で、
犯行に携わった組員たちは「殺人罪」で逮捕されたのである。
太一と西園寺警部補の計画は上手くいった。前回の失敗そして左遷を考えての作戦であった。
二つの組織暴力団を壊滅状態に追い込み,「解散届」までに至ったのである。
ここまでくると、政治力も役に立たなかった、、、マスコミが大々的に報道したので、、、
北海道開発事業も頓挫した、、、そして、法律的な処理が行われた。
今回は太一警部の悪人退治が出来たのである。


19)太一東京へ帰る。

太一警部と西園寺警部補は今回の北海道事件の解決で警視庁特捜部に復帰できたのであった。
反社会勢力の暴力団「北海東北連合会榎本会」を解散に追い込み、、更に「東京連合睦会」を壊滅状態にまで攻めこんだ業績で褒美のような形での名誉を回復しての転属である。。
太一は警部のままで、、西園寺警部補は定年を控えての警部昇進で戻って来たのであった。
二人は「よかった、、よかった、、」と、喜んだ。
そして、西園寺警部の家で、辛抱して待っていた奥さんと三人で乾杯をしたのであった。
久しぶりの我が家であり、奥さんの手料理が美味しくて堪らないという風な西園寺警部である。。
「太一、ありがとうな、、、すべて、お前のお陰だよ、、、定年を東京で迎えられるとは思ってもいなかったので、、本当に嬉しい。。。」
と、、笑顔を見せていた。
「親父さん、、本当によかったよ、、奥さんにも心配を掛けてすいませんでした、、」
今夜の西園寺家には明るい笑顔があった。
「親父さん、、定年までは1年ちょっとだから、、しばらくはじっとしていますか、、、あはっあふぁっ、、、」
太一は心から今日が戻って来たことを心から喜べたのであった。


20)反社会勢力「暴力団」やくざ組織は生き返るのだった。。。

警視庁捜査一課に警部として戻れた太一と西園寺の親父は、出来れば「親父」が定年までは静かに平穏に暮らしていたかった。
しかし、、東京大都会の悪人たちは静かにはしていなかったのである。
日本の中心に「巣喰っている悪の亡者たち」は夜も眠らずに蠢いていた、、、
東京連合会睦会は黒田会長に代わって、、新しい会長が出来た。睦会直系の大前田会の大前田健次郎が総裁になり、、若頭も大前田会の熊田純一が就任して、、組織固めが行われたのである。
武闘派で慣らした大前田総裁と、東大出身のエリートやくざと言われる知恵者の熊田純一若頭が東京へ事務所を構えたのであった。
熊田若頭の指揮下のもとに組織もやくざ幹部の人事も一新した。そして、関東全域の責任者を決めて、、それぞれの地域を大前田会の幹部やくざが本部の熊田若頭の補佐役として「副若頭」となり
指揮系統を一本化したのである。
そして、、東京連合会大前田会は動き出した、、、北海道開発(株)の後始末を引き受けて、北海道に総武不動産(株)も復活させたのであった。
大前田会の熊田若頭の動きは目覚ましかったのでる。
北海東北連合会も立て直しを計り、、榎本会に代わり、「旭会の篠田大四郎組長」が北海東北連合会の理事長に収まり、、旭会の若頭である「藤堂肇」が同じように連合会の若頭に就いた。
そして、新しい対立抗争が始まったのである。
その話を聞いた太一は思った。
世の中の悪人どもの「欲望」は収まることがないと、、これからも続く、社会悪の汚い闘いが、、、
そんなことで、太一たち警察官に安らぐ時はないような、、、うんざりするのであった。
悪人たちが永久に眠ることはないなと、、太一は覚悟した。
これからも、徹底した悪人退治をして行こうと、、唸ったのである。


21)西園寺警部が定年を迎える。。。


「おめでとうございます、、、」太一は心から西園寺警部の定年退職を祝った。
「本当によかった、、親父さん、いろいろありがとうございました、、、これからは奥さん孝行をしてください。。」
と、、西園寺警部の家で、奥さんの手料理でお祝いをしたのであった。
「太一、、本当にありがとう、、子供の居ない俺たちにはお前は、俺たちの子供だ、、これからも遊びに来てくれよ」
と、、無事に退職が出来たことが嬉しかったようであり、、西園寺警部も奥さんに感謝の気持ちを表したのである。
「今日からはもう、警部ではなく,、ただの親父さんだな、、ゆっくり骨休みをしてください、、」
と、、太一もその夜は楽しく呑んだ。
一晩泊まって、太一は朝飯を食べて出かけたのである、、
「太一、、、無理はするなよ、、、困った時にはいつでも来いよ、、、」と言われて、出かけた。
太一は少し寂しかった、、、
警視庁特別捜査課に出勤した太一にはゆっくりする暇はなかった。
北海道警察から連絡が入り、、東京連合会の大前田会が札幌に関連企業の「総武不動産(株)」の支店を出して、北海東北連合会の旭会との問題を起こしたというのであった。
それで警視庁特別捜査班に応援の要請の相談が入ったので、、、北海道警察にいたことのある太一警部に白羽の矢が当たったのであった。
西園寺警部が退職したので、その補強人材で「沖田守警部補(29歳)」が東京機動隊から転属になったのである。。その新人警部補と北海道警察に行くことになったのである。
沖田守警部補は185cmの大男であった、そして、射撃が得意とのことであった。


22)北海の地で再び、、、太一暴れる。。

北海道開発(株)の手掛けたリゾート開発事業の不動産は競売に掛けられたのであった。、、不動産の固定資産税や脱税の疑いで「国税」の調査が入り、不動産取得税や事業税の滞納からの競売であった。
構造物が未完成の為に「価値はなかった」のである、、、もともとが山林原野がほとんどなので「評価証明」低かった。。
従った「競売価格」も低かったが、、、「構造物が未完成」の為と、誰もが知っていたのである、、ヤクザ抗争があり、、関係政治家が逮捕されたり、、関係者が死亡というか「殺されている」事を、、、
そのために「競売」に参加する者がいなかったのである。
反社会勢力のやくざ組織にとってはありがたいことであった。
東京連合会傘下の「総武不動産(株)」の支店を札幌に出していたので、、、その段取りをしたのが連合会大前田会の熊田純一若頭が、、大前田健次郎総裁の意を組んで、北海道開発(株)の競売に乗り出したのであった。
そして、「競売価格」の2倍で落札したのである、、、「総武不動産(株)」と関連のある、、「北海道不動産(株)」を使ってのことであったが、、、
誰が見ても見え見えの行動である。。。
北海道不動産(株)の社員は前から準備をして、東京連合会の企業舎弟を養成して大前田会から出向していたのであった、、、全て、熊田若頭の采配であり、、着々と事業を合法的に進めたいた。
黒田会長たちの失敗はしたくなかった、エリートやくざの熊田若頭は作戦を練り、、北海東北連合会旭会との「連合開発」を考えたいたのである。
東京連合会大前田会の前田健次郎会長の強気に、知恵が混じっての、熊田若頭であった。。。
そんために、噂だけで北海東北連合会旭会の下部組織が動いたのであるが、、、
熊田若頭からの連絡で収まり、、その話合いの日を待ったのであった。


23)太一警部と熊田若頭の知恵比べ

太一警部は考えた、、、今までのやくざとは違うぞと、、、、
今までは勢力争いをして、力で抗争を起こして仕事を奪う。それがやくざ商法だったのである。
しかし、大前田会の熊田若頭は、敵対して争わずに協力して、助け合って、利益を分配しようとしているのだから、
始末が悪いのだ。
この話は時間はかかったが、北海東北連合会旭会も手を打ったのであった。残る問題は「利益分配」だけとなった。
この利益分配のシステムが凄かった。熊田若頭は欲張らずに、地元やくざに花を持たせて、、北海東北連合会旭会に「利益の6分」そして、熊田若頭たちは「4分」としたのである。
文句のつけようがない采配だった。
「北海道開発(株)」の監理は地元の「旭会」に任せ、、東京聯合会大前田会は利益だけを徴収した。しかし、会社経営の管理者は大前田会の企業舎弟が加わった。
これで北海道開発(株)のトラブルは全て解決して、、企業運営も動き出した。
北海道警察が心配した暴力団抗争は無くなったのである。
やくざ組織も、見てくれは「やくざ」ではなくなったが、、一皮剥けばやくざはやくざであった。
なんの問題も起きずに、商いが平穏に進めば、ヤクザは出てこない、、、これからのやくざは企業戦士にならなければという、、大前田会の熊田若頭の方針通りに動き出したのである。
北海道警察捜査課から相談を受けた太一警部は、やくざ組織が巧妙になり、、ヤクザの組員が「やくざ戦士」となって、企業戦士になり動くとなると厄介であった。これからのやくざは表向きには会社員であり、、一皮剥けばやくざになるという構図が出来る。
この熊田若頭のやり方というか「やくざ運営」が広まると、組織暴力団は地下に潜ってしまう。
見てくれは、恰好では「一般サラリーマンもやくざも」見分けがつかなくなるような。。そんなことを考えながら、警視庁に戻った。
















第一話「危険な刑事」シリーズ