短編小説「交通事故」献残屋藤吉郎

 

     短編小説「交通事故」


1)ある日突然に

明智忠は福島県会津市内で少年時代を過ごした。母一人子一人の環境の中で貧困に耐えながら育った。忠はいつもひもじく,腹を空かせては田舎の畑から盗みをしていた。
友達の家は両親が居て、、「父ちゃん、、腹減ったよ、、」と言いながら、、母親がおやつを作ってくれていた。
そんな友達を見ては、、自分の母親が朝から晩まで働いているので甘えることが出来なかった、、、分かっていた忠であったのだ。
それで夏には川で小魚を採ったり、エビガニを採っては家で鍋を竈にのせて、薪を山から拾ってきて煮て食べたりしていた。春には山でしいのみを採ったり、山栗を採って食べていたのだった、、
忠は貧乏を貧乏だとも思わずに、野生の中で逞しく生きていたのであった。
兎に角、体を動かすことが好きだったのである。
母親の妙子はそんな忠が愛おしかった、、もともと、体の丈夫な女ではなく、、生きるために無理をしていたのであった。
そのために忠が12歳「小学6年」の時に母親の妙子は過労で倒れた。そして、帰らぬ人となった。
忠は悔しかった、、「母ちゃん、、死ぬなよ、、」と言いながらと倒れた妙子に縋りついて、泣いた。。それ以後、忠は泣くことを忘れたのだった。
忠は母妙子の兄夫婦に引き取られたが、、中学へ入学した年に、その兄夫婦の家を出たのであった。
行く当てもなく歩きだして、、何時しか東京へ向ったいた。
金もなく、、着るものも継ぎだらけのよれよれの学生服で、、野宿しての逃避行であった「寺の縁の下」などに寝て、、それこそ、腹が減れば、誰の畑か分からないが、、
畑のキュウリやトマトなどを盗んで歩き続けた。
家を出たのが夏だったので、途中の川で水浴びをしながら、、ただ歩いた。
そして、、茨城県の土浦市の花火大会を目にして、、忠は感激をしていたのであった。
忠は花火を見ながら無性に涙がでた、、、
「母ちゃん、、なんで死んじまったんだよ、、ごめんな、俺が大食いだから,、母ちゃんに苦労掛けたんだな、、ごめんよ、、」
と、、一人で土手に座った花火を見てたら。。。
「おい、、坊主、、お前どこから来たんだ、、それにしても汚ねえーな、、ところで
、坊主、これを食うか」、、と、握り飯を出してくれた。
忠は腹の皮がくっつきそうだったので、出されたおにぎりをむしゃぼりついて食べた。
「お前、、余程腹が減ってたんだな、、いくらでもあるから、、食いたいだけ食べろ」
と言って、、その男はにこにこしながらた握り飯をくれた。
忠は嬉しかった、、人の親切を知らないかったので、、、
「おじさん、ありがとう、、」と、忠は泣きながら夢中で食べた。
「そうか、、、旨いか、、よかったよ、、ところで、お前、行くところはあるのか」
と、、聞くと、、忠は無言で首を横に振った。
「よし、、今夜は俺のところに泊まれ、、話はそれからだ、、あははは、、」と、その晩は忠を連れて引き上げた。


2)忠、、的屋になる、、、

忠は花火大会でお握りをもらった男は土浦市で的屋を構えている、、鈴木構造という的屋の貸元だった。
「坊主、、おはよう、、ところでお前の名前は、、わしは鈴木構造という的屋だ。よろしくな、、」
「おはようございます、夕べはありがとうございました、おにぎりは旨かったです。俺は明智忠です、、家出をしてきました、、、生まれは会津で、、親兄弟はいません、、」
「そうか、、分かった、、、忠か、、お前、まだ中学生だろう、、学校はどうするんだ、、」と、、聞かれた忠は答えた。
「働いて、、金を稼ぎたい、、学校は好きではない、、、親方、的屋を仕込んでください、、」
と、、頭を下げた忠であった。
「しかし、忠、お前臭いな、、とりあえず風呂にはいれ、、おーーい、誠、、こいつを風呂に入れてやってくれ、、」
と、、言われた部屋住の若い者に声を掛けた。
風呂から上がった忠になんか着るものを見繕ってやる様に誠に指示をした。
そして、誠は忠に話しかけた、、、「忠、、お前、いくつだ、、13歳か、、ガキだな、、、お前、的屋に成りたいのか、、」と、、「大変だぞ、、的屋の若衆修行は、、大丈夫か、、まあ、、頑張れや、、なんか分からなかったら俺に聞けよ。。」と、、ひとなつっこく話してくれた。
そんなんことで忠は鈴木構造の若衆修行を始めたのであった。
そして、必死に生きた忠は、よく動いてみんなから好かれ,可愛がられた。
忠は花火大会の夜から転がり込んで、、早くも10年が過ぎた。
一人前の的屋稼業が出来るまでになって、、出店の一つを任せられるようになった。
10年という年月は人を大人にしていった、、そして、部屋住みから一人暮らしが出来るまでに男になったのである。
忠にも人並みの彼女が出来た。名前は「恵子」といって、、結婚を約束したのであった。
そして、忠は遊ばなかったのである、、人が心配するほど人生を固く堅実に生きて来た、、それは目的があったからである。。親方の鈴木構造の許しをもらって「移動販売」で独立することであった。
こどの頃から金で苦労し、貧乏道を嫌というほど歩いてきたからであった。
忠の移動販売の計画を聴いた時に、親方の鈴木構造は喜んで賛成してくれたのであった。そして、仲人も引き受けてくれた。
結婚式は移動販売の車が納入された日に挙げることにしたのであった。
野宿しながら、畑の野菜を盗みながら会津を抜け出したことを考えたら、忠にとって幸せそのものだった。

そんなある日、忠は自分の耳を疑うような電話が入ってきた。

その晩は土浦花火大会が行われていた。忠は的屋の屋台店を受け持ち、イカ焼きをしていた、、、持っていた携帯に出たら的屋本家の親方からだった。
「忠、、お前今から、すぐに新治協同病院へ行け、、恵子ちゃんが交通事故で運ばれたと、、」連絡が入った。忠は屋台店は弟分の博に任せて病院へ向かった。「博、、頼むぞ、、任せたからな、、」
と、、車を走らせたが,、あいにくの花火大会で交通規制が敷かれていたので、思うように進まなかった。
忠は気がせいた、、、「神様、仏様、、恵子を守ってください、、お願いします、、」と願いながら、やっとの思いで病院に着いた。
手術室の前には親方の鈴木構造がおかみさんを連れて来てくれていた。
「来たか忠、、手術中だよ、、時間がかかっているので心配だ、、兎に角,座れ、、」と言って忠を落ち着かせようとしていたが、、親方の方が落ち着きがなかった。
忠が着いてから、間もなく手術は終わった。
手術医が出て来た、、、「ごめんなさい、、最善を尽くしたのですが、、助けることが出来ませんでした、、本当にすいません、、」と、、頭を深々と下げたのだった。
忠は目の前が真っ白になったのか、すぐに真っ暗に暗黒が襲った、、何も見えなくなっていた。
「そんなバカな、、、助けてください、、俺の命と交換しても助けてください、、」と、、心の中で叫んだ、、そして、祈った。
しかし、、現実は空しかった。
忠は心の中で、一杯の涙を流した。
そして、恵子が助からなかった訳を、手術医の口から聞いたのだった。
ひき逃げされて、恵子は道路に放置された時間が長すぎたのであった、、車にひかれて、すぐに車の運転手が救急車を手配していてくれれば助かったかも知れないと言われた。
また、最初の救急病院に運ばれた時に、救急担当医が居ればよかったかも知れないとも言われた。その病院の担当医はその日は救急患者も少なかったので早めに勤務を離れていたのであった。
そのために今回の手術医である山之内外科担当医のところへ来るのに時間がかかり過ぎて、、手遅れになったという説明をしてくれた。
山之内外科担当医は言い訳ではなく、、私のところに来たときは「心肺停止状態」であったと、、、
それでも医師としては出来ることの最善を尽くしたとも話してくれた。
一緒にいた親方夫婦は忠に掛ける言葉もなかった。
ただ一緒に涙した。
「忠、、辛いだろうけど辛抱しろ、、いいな、、やけを起こすなよ、、
お前の気性を知っているから心配だよ、、、」
親方が忠を抱きしめてくれた。
そして、、「忠、、恵子ちゃんが迷わないように送ってやろう、、」と、、
忠はその晩、恵子と部屋に戻り、、一緒に寝た、、一人に成ったら涙が溢れて来た。
「クソ、、、ひき逃げした奴が憎い、、殺したいほど憎い、、」
と、、思いながら一晩が明けた。


3)反省しています、、悔いています、、ごめんなさい、、

忠は愛する恵子の葬儀を済ませ、、墓前に花を捧げてた。そして、的屋の鈴木親方から暇をもらい恵子の交通事故の現場に立ち続けて、ひき逃げ犯人を捜した、、雨の日も立ち続け聞き込みをしていた。その現場を通る人に聞いて歩いたのである。
忠は諦めることは無かった。立ち続け、聞き込みを始めてから3か月が過ぎたある日、、巡り合えたのであった。
立ち続けた忠のもとに一人の男が訪ねて来た。。
「ごめんなさい、、私が貴方が探しているひき逃げをした者です、、本当にすいませんでした、、人づてに貴方がひき逃げした犯人を捜していると聞きましたので、やってきました。私は太田真一と申します、、謝って済むものではないと分かっています。。でも、怖かったのです、、本当にごめんなさい、、」と、、その男はその場にひざまずいて,両手を地面について頭を下げた。
目には涙をためて、謝った「ごめんなさい、、ごめんなさい」と、、、忠はこれでいいと思った。
「恵子、、ごめんな、、謝ってくれたよ、、これでいいな、、」と、、忠は後のことはその男に託した、、心ある行動を。。。。

そして恵子が最初に運ばれた救急病院の担当医にも忠は面会を申し込んで会うことが出来た。
最初は事件内容を話してもあってくれなかった。しかし、忠の執拗なくらいな申し込みにというか、、熱意に負けたのであった。
忠のたび重ねた来院に折れて、、会うことになった。
最初は忠が話した事実を認めなかった、、、医者として恥ずかしいことであり、、責任逃避であったので、、、認めることは医者としての責任問題が生じるからであった。
しかし、、忠と会い、、考えが変わった。
「初めまして、、私は明智忠と言います、、先日、救急車で運ばれた明智恵子の夫ですが、、先生にお聞きしたいのですが、、、宜しくお願いします、、私たちは結婚式の前に「結婚届」を出しました。そして、結婚式が後になりましたが、事実上の新婚の夫婦でした。それが交通事故に合い、先生の病院に運ばれましたが、、先生が不在で診てもらえませんでした。そのために、手遅れとなり、次の病院で亡くなりました、、、」と、、言いながら涙が溢れた忠であった。
「だから死んだのは先生のせいだとは言いません、、そのことで争ったり、損害賠償とか言いません、、もし、少しでも責任を感じてくれたなら、、どうか、、恵子の墓前に花を添えていただけませんか、、お願いします。」
と、、話してから忠は病院を出た。
「恵子、、これでいいな、、いつまでも恵子を愛しているよ、、、」と、、秋風が吹く街を歩きながら一人、恵子のことを胸の奥深くしまい込んだ。