〇好き勝手な青春祭り

 

一人の男が青春の祭りのごとくに過ごした自由奔放な10代と20代、、、

天海一平の青春物語。。。

東大進学校で有名な高校へ進み、、1年生の時は自転車通学をしていた、天海一平が、高校2年からバス通学になり、、優等生がばからしくなり、、「不良入門」を果たした、めちゃくちゃ青春の祭り。

 

 

1)「不良入門」

天海一平は、東大進学一番の県下での有名校に入学したのであった。
入学前、、入学してからも「東大、、一ツ橋大」を狙っての高校進学である、、、
勉強が目的であり、、あくまでも目標大学への進学が目的であった。
そのために自宅から自転車通学40分を選んだのである、、、家に帰れば「復習、予習」をして、やる気十分だった。
そして、頑張ったのであるが、、、運動が忘れられずに「陸上部」に入った。
自分では「短距離」に自信があったので走ってみたが、、、ダメだったのである。
それで陸上の練習の名のもとにサボり始めた、、、陸上の練習だと帰宅は夕方で6時、7時を過ぎても可笑しくないので、、練習をせずに、今で言う「悪友」の家に屯するようになった。
今までに吸ったことのない「タバコ」を吸ったのである、、、まずいと思ったが「不良仲間」が吸っていたので「タバコ」を覚えた。

今までのようには勉強に熱が入らず、やる気もなくなったのである。
こち論、」復習や予習などはまったくであり、、家で教科書を開くことは無かった、、、そのためにすべての教科書を学校の机の中に置いてくる始末だった、、、笑っちゃうよ、、、勉強が仕事のはずの高校生が商売道具である教科書を置きぱなっしなのだから。。。
頭の中はいつも、、、今日は何して時間を潰してやろうかとか、、、ヘヤースタイルはどうしようかとか、、、ズボンをどんな風に直して履いてやろうかとか、、、あのデパートの屋上の遊園地の女の子は可愛いなとか、、そんな下らないことばかり考えていた。
そして、ヘヤースタイルは「リーゼント」でポマードいっぱいぬったくていたような、、、ズボンは仕立て屋に持っていき、ラッパズボンににしたり、、、映画を見て西部劇のブーツがかっこいいので、真似して靴屋に頼んで作ってはいていた。
当時は自分ではかっこがいい、、、流行の先端を行っているとおもって、街中を闊歩して気取っていた。
そんなことをやって、目立つようにと行動をしていたのである。
狙いは「女の子に、、かっこいい」と言ってもらいたくてやっていたことが、、、同じ,他高校の不良にはきざな奴だな、生意気だなと言われて、喧嘩を売られて、、、良く喧嘩もした。
喧嘩は勝つときもあるけど、、負ける時もある、、、時の運という奴だ。
そんなことを繰り返して「悪友」が増えた。


2)16歳で運転免許を取得する。

高校1年の春に、、、親父から言われて自動四輪の運転免許を取ることにした。
昔の自動車教習所に今から64年前に行き運転実習と教科をならった。。。自動車の実地試験は「クランク」だけだった。
そして、学科の試験が受かってからの実務であった。
高校1年の天海一平には簡単だったのである、、、1回の試験で「学科、実務」とも受かり、免許証交付となった。
そんな中に偶然という巡り合わせに出会ったのである、、、二人の大学女学性がいた、、、その人たちとの出会いから4年後に天海一平はそのうちの一人の妹とつきあったのであった。
当時は結婚してもいいと思ったぐらい可愛い奴だったのである、、、
知り合うきっかけは、一平が主催で「バス合同コンペ」を企画してのことだった。
今でこそ、、、テレビなどでも行われている「合同お見合い」のようなものであり、、60年前としては画期的な若者の遊びであった。バスで、男女を募集して短い旅をして楽しみ、、、目的地での公園でボートにペアを組んで乗ったり、、、フォークダンスをしたりして知らない同士が友達になり、そして、恋人同士になったりしたのであった。。。一平はその健全なバスハイクを利用して金儲けをしていたのである。。。
そして、儲けた金で酒飲みをしていた、、、邪道な考えの若者だった。
そんなバスハイクで知り合って、付きあった奴が、4年前の自動車学校での知り合った妹とは奇遇でしかなかったのである。。。
その前に自動車免許を取り立ての時に、悪友と女友達を誘って、ドライブに行くことになった、、、
そのドライブは初めちゅう、、ダメだ、、お前らには貸せない、、」と、怒鳴られて散々にしくじったことがあった。
それからが間抜けな、珍道中をやってのけたのである、、、



ドライブをやめてというよりは、、出来なくなった代わりにみんなで筑波山に電車でいったのであった。。。
高校2年の男が3人、、女学生の高校性3人で筑波山ハイキングである、、、所詮、計画が無謀であった、、、一台の乗用車に6人は無理だったのである、、、今思うと懐かしい「トヨペットクラウン」だったな、、、古い古い昔の話だ、、、64年も前のドライブ逸話だよ、、、アはあはあは、、、だってば、、。
そして、、若かりし頃の天海一平は焦りがあった、、、運転ミスでドライブに行けなくなったという、引け目ちうか、後ろめたさがあった。
更に、、、何を間違ったか「酒」を飲んでしまったのである。。。16歳のガキだもの、、、酒の飲み方も味も分からずに飲んだから堪らな
い、、、、歌の文句じゃあないが「ぐでん、ぐでん」に酔っぱらってしまったのである。
意識朦朧、、、不覚にも何もわからなくなっていた。。。
本当の酩酊というか、、、生まれて初めて「酒」に何もかも奪われたという気持ちに襲われたのである。
その日は家には帰れず、、、悪友の家に泊まったはずであったが、、、気が付いたら親父が傍にいたのである。。。
親父は何も言わなかったが一平の「不良志望」が分かったようだった。



3)元朝詣出「筑波山女体山頂上で」初日を拝む、、

高校1年の時に「悪友」とともに初日の出を参拝する、、、元旦であるか筑波山の女体山頂上だから寒い、、、しかし、初めて山頂から拝む初日はきれいであり見事だった。
いいものだ、、、初めて見る初日の出は、、、山頂の岩の上からの眺めだったのである。。。
高校1年の時に筑波山に初日の出を見に行こうというので言ったのであるが、、、悪友の友達の「悪友」たちが宴会をしているというので参加したら、日本酒の茶碗酒であった。
一平は二度目の酔っ払いを経験したのである、、、、
酒とは怖ろしいものだ、、、酔った勢いで山頂を目指して歩いていったのであった。
よろよろ脚で、、、不埒きながらのぼったのであ」がる。
高校生だから、勿論、未成年であり、、、誰かが「警察が来るから、、逃げろ」と叫んだ。
酔っぱらった高校生が山頂を目指して逃げたのである。
誰も捕まらなかった、、、、そして、初日の出を見られたのだった。
その時の悪友が知り合いとなり、、、悪友の輪がひろがったのである。。
天海一平の不良仲間が増えていった、、、
ここから始まったのである、、、不良道が、、、
またしても「酒飲み」がつながったのである。


天海一平はいつのころから、気ながきになっていた、、、酒を飲むことを覚え、いっぱしの「不良学生」を気取っていたのである。。高校2年生の時だったか、、12月24日のクリスマスイブの夜だった。
学校の朝礼で訓示があったのである、、、今日から冬休みで、夜の繁華街の見回りがあるから、、、間違っても夜の巷を徘徊しないようにと、、、しかし、天海一平たちはやらかしたのであった。
今は無い料亭で「たこ八」で高校2年生8名で宴会をしである、、、表に出なければ分かるはずがないものを、一人が外を歩いてしまったから堪らない、、、そいつが学校の巡回先生に捕まってしまったのである。そして、、全員が「御用」となり、、、後の始末が「停学処分」の成った。。一人だけ前科があっで「退学処分」になったのである。
一度の処分で8名がなって、、、自宅待機ととなった。
その停学処分は約一か月近かったのである、、、其のうえにふざけた話だった。
一平たちの高校は学期の初めに「組訳テスト」があり、、、成績によってクラスわけがあるのだ。。。
一か月近くも停学になっての試験であるから出来るわけがない。。
その試験も「数学」と「英語」で組み分けをするんである、、、昔の軍隊でもあるまいに、、
「一番から50番まで」「51番から100番まで」の二クラスある。。。
誰が見てもクラスを見て成績順位が分かってしまう、、、その他の6クラスは同じような「一山いくらの」成績と見なされていたのである。。
一平は頭に来たので「0点」になるように、、何も回答しなかった。
そして、、試験結果で怒られた、、、「なぜ、、回答しない、」と、、言われたので、「出来ませんでした、、」と、、答えて、また怒られた。
一年るから2年に上級するときである。。
天海一平は「やったな、、、ざまーみろ、、」の心境だった。



4)高校2年生になって、、、

高校2年の春に「一山いくらのクラス」に入った。。。、磨きがかかったのである。
学校には休まずに登校していたのであつた。。女にもてたいという一心で、、、今思うと馬鹿なことをしていたと思う。
学校に行くと「学生ズボン」を脱いで、体操ズボン(通称トレパン)には着替えて、、、その脱いだ学生ズボンを教室の後ろ壁にぶら下げて置いたものだったった。阿呆なことをしてたのである、、、少しでも「折り目がきちんと」しているようにと、、、それをしたから「女にもてたわけではなかった」
バカなガキのお洒落だったのである、、、そして、、、学おきょして校が終わると馴染みに喫茶店に屯していた。
そんて、、そこへ通う女、、、花嫁修業中の20歳前後の、昔風なお嬢様を狙って、「ひっかけ」るのであったのである、、、みんな暇であり、、、良家のお嬢様がたは面白おかしく遊んだものだった。。。
そんなたわいもない遊びをしながら、大事な青春を過ごしていた、、、本当に無駄な時を費やしていたような、、、
そして、街中で息がってぶつかり合い、、、喧嘩もした、、、喧嘩で悪友が「タイマン」を張って決闘をしたことがあった、、、負けたしまい「記憶喪失」を起こしたことがある、、、その時は喧嘩を立ち会っていて参ったのである。
喧嘩をするときに決めたことなので、、一平たちは手出しができなかった。
始めは悪友が弱いとは思っていなかったので、、「がっくり」であるが、、、その喧嘩相手とは逆に「いい悪友」となったのである。。
一平は参加していなかったけど、、、学校で大事件が起きた。
一平たちはお昼の弁当を早めに食べてしまうために、、、お昼休みには校門前のお店に「やきそば」を食べに行くのであるうが、、、それを阻止しようと学校側が校門に見張りが付いたのであった。しかし、、一平たちはその間隙をぬって抜け出して「やきそば」を食べに行ったのである。。。
そこで学校側はその上を講であるた、、、余程、学校側も頭に来たのかもしれない。
學校の敷地の周りを松杭を打ち込み、、、「鉄線」をはりめぐらせたのである。。。
そん反撃は学生の中から馬鹿がでたのでた、、、リヤカーを持ち出し、、、一晩掛けて,松杭と鉄線を取り外し、、、近くの池に捨ててしまったのである、、、大騒ぎとなったが、、、「喝采」も起きた。
その結果は悪かった、、、学校側は囲いを「コンクリート」で作ってしまったのである。
可笑しな話だ、、、、あはあはあは、、、、だよ。



5)高校三年生だぜ、、、

天海一平が高校三年生の時にはやった唄が「高校三年生」だった、、、舟木一夫の流行歌がはやったのである
そんな時に高校3年だった天海一平はその高校の進学だけが目的の特別クラスにはいった。
私立大学へ進学が目的で、、、しかも、文化コースであったのである。
天海一平は私立の「早稲田大学」希望だったので、、そのクラスを選んだ、、、早稲田大学なら「学部」はどこでもよかった。。。
まったく、ふざけたはなしであったのである。
しかし、楽であった、、、そのクラスは「数学の授業では英語を」「体育の時間には国語」「理工科の事業では社会を」という風に、、、
大学受験のための授業をしていたのであった。
徹底した受験のためのじゅぎょうである、、、まるで、予備校であった。
不思議な高校だったのである、、、、試験的に天海一平の年だけに取り入れたようであった、、、その後はなくなったのである。
更に「数学の通常の数3はなくなり、、、国語、社会、英語に変わった」ので、、、高校3年で学ぶ「微分積分」はなくなった。
そして、単位はそれぞれの科目の単位が貰えたから、、、不思議な学校であったのである。
やらない学科の単位が取得できたのであった、、、まるっきりの大学受験の高校である。
そして、、大学受験のために最後の年の2月は、、まるまる休みでも休みにならなかった。
その月は全て、、、大学受験のためにつかえたのである。

天海一平の時代には私学大学の受験テストは「3科目」で「英語、国語、社会」を選ぶことが出来た、、、ただし、、私学文化コースだけである。
そして、「三科目で合計点数が7割」であれば合格なのであった、、、あくまでも「合計点数」だったのである。
天海一平は考えた、、、得意科目と苦手科目に分けたのである、、、勉強配分を。
「社会は得意の日本史で100点満点」「国語は70点」「苦手の英語は40点」で、、、「合計で210点だから7割で合格」といった勉強を2月はしたのであった。。。
そして、、、高校三年間はほとんど勉強をしないで「サボって」いたので、出来ないのが当たり前。
そこで「的」を絞ったのである。
「得意な日本史は高校2年の時の教科書を丸暗記」「国語はやはり高校2年の時の教科書のすべての漢字」そして、
そして、苦手な「英語は高校2年時の文法の教科書を丸暗記」で勝負をかけた。
金をかけて参考書を買って勉強しても間に合わない、、、やらないほうがましだった。
その作戦が大当たりで見事に「合格」を射止めたのである。
天海一平のいい加減人生の始まりだった。



6)高校卒業式の当日、、、事件が

天海一平も知らなかった、、、高校の卒業式に出たら、卒業生も在校生の代表も、、学校の先生たちも大騒ぎしていたのである。
なんだと思ったら、校長室の初代からの校長に「ひげ」が生えていたのであった、、、天界一平は後で犯人は分かったが、、、あとの祭りである。
当日の卒業式はそんままで進んだ。
その犯人の一人は「羽織袴で出席」してきた、、、もう一人は「学生服」をきていた、、、
そして、奇抜なことが起きた。
卒業式なら普通、、、名前を呼ばれたら「はい」か「はーい」であるが、、、
「羽織袴」の卒業生は「おーー」と答えた。
その時に出席していた在校生「2年生」から、、全員から「拍手喝采」を浴びたのである。
世にも稀な「珍事」が起きた。
卒業式という、一種のお祝いごとなので、卒業生には一切、おとがめなしで、済んだが在校生は怒られたらしい。
天海一平には愉快な卒業式だった。
そして、天界一平は「お祝い飲み会」があって、いつものように飲みすぎて、家まで帰りつかなかったのである。。
悪友のところに「卒業証書」をもったままで、、、「朝帰り」であった。
卒業記念と称して、、卒業証書を丸めて持って、、電柱に登って何かをしていたよ。うだ。。。
それでも「卒業証書」は家に持って帰ったようだ
バカな一日だった、、、、
これが高校最後の日であったから、可笑しい。