「女やくざ紅と女執行人花」第2部

 

34)救済事業「総合病院」建設

花川戸一家の大事業「総合病院建設」のための建設予定地となる「土地10万平方メートル」も、関東連合睦会の月形若頭の努力で買収契約が出来た。
場所は筑波山ろくの石岡市八郷町内で、、、ゴルフ場跡地であった。
建設土地も見つかり、、、設計にとりかかった。
ゴルフ場跡地であるために、すでに「開発許可」は出たいたのである。
「変更許可申請」だけだった。
地元対策、、行政愛策もすでに根回しがすんでいるので、、、許可交付は時間的な問題だけだった。
あとは担当医者の募集採用が重要だったのである。
関東連合睦会の月形若頭の人脈から、人選が進んでいった。
彼の大学時代の同級生に外科専門医者がいたのである、、、月形若頭は東京大学法学部出身のエリートであった。
その彼は「ボート部」に在籍していたので、、
彼の大学時代の同級生に外科専門医者がいたのである、、、月形若頭は東京大学法学部出身のエリートであった。
その彼は「ボート部」に在籍していたので、東大ボート部は一つ橋大学、早稲田大学、慶応大学と並んで日本のエリート集団であり、常に大会で優勝するボート「エイト」の漕ぎ手であった、、そのエイトの仲間であり、、、月形は漕ぎ手の中でもエースであった。
そんな月形と同級の外科専門医である大島恒夫の付き合いは今でも続ていたのである。
大島恒夫は現在東大付属病院外科部に所属いていたのであるが、、、月形がやくざになり、、現在も関東連合睦会の若頭をしているが、、、それを知っての理解しての付き合いであった。
月形若頭は大島恒夫に連絡を取って、、、東京で会う約束をしたのである。
東京赤坂の「ホテル大倉」で食事をすることにした。
そして、会った。
「しばらくだな、、、元気だったか、、、」と、、
大島恒夫から声をかけてきたのである、、、「大島は寿司が好きだったな、、、摘まみながら、お前の好きなバーボンでも飲むか、、、」
そして、二人は寿司店の暖簾をくぐった。
そこで、月形若頭は今、、、計画している過疎地の「総合病院建設」な話をしたのである。
現在の日本の過疎地医療の困窮や、高齢者救済の事業を説明した、、、
また、業務提携している「花川戸一家の救済事業の話」を、、、その経営者が女性であること、そして、仲間の女性二人で開発から資金手当てまでしている話をした。
大島は興味を示し、、、その二人の女性経営者に会うことになった。

 

 


35)大島恒夫「月形若頭の大学同級生」、、女やくざ「紅」と女執あ東京で食事をした、関東連合睦会若頭の同級生「大島恒夫」が花川戸一家を訪ねる。

月形若頭が大島恒夫を連れてやってきたのである。大島恒夫はお嬢紅たちの事業計画聞いて、非常に興味をもったのだった。
田舎の過疎地の中に「総合病院」を建設して、一番先に疑問を持ったのである。
資金力があれば出来るだろう、、土地を手に入れ、許可を取得して、、、人材を集めれば何とか出来るだろう、、、しかし、、過疎地で、、、人もいないところでどうして「収益」を挙げるかと、、、何でもそうだが、理想を掲げても最終的には「金儲け」が出来なければ、、、事業は行き詰まり破産するはずである。
そこで大島恒夫が言うのは、、、「その収益」をどうするのかを聞きたかったのであった。
話を聞いて、大島恒夫が疑問を持つのは、、「首をかしげる理由」がよく分かった。
企画提案者である、花川戸一家のお嬢紅が、、「ごもっとも、、、大島さんのご心配は当たりまえです。。。」と。。。
しかし、説明をしていった。
まず、資金的には「銀行融資」「国庫補助」により調達します。
後々の収益に関して、もともと、「花川戸一家、、、すなわち花川戸企画は、高齢者救済事業です。、、、」
その救済事業で利益が出ます、、、その利益分を総合病院に「投資」をしていくのです。
そして「利益投資」の他に、、高齢者労働力の投資も見られるのである。
総合病院建設当たっては、今までに投資した「建設会社」、「運搬会社」、「作業員の分配会社」
などが参加して、、、實経費の削減が可能なのです。
花川戸一家のお嬢紅は「総合病院」を建設するために、、あらゆる方面に気配りをしてきたのであった。
其のうえでの「総合病院建設計画」であった。
更に患者等の収益の関しても、細かく用意周到に考えたいたのである。
その計画についても話を聞いた。





36)総合病院の集客。。。

関東連合睦会の月形若頭は、花川戸一家のお嬢「紅」の計画を聴いているうちに、その「壮大遠望な計画」に驚かせられるとともに、、、
時を駆ける、「お嬢紅」が大きくなったことに感心していったのである。
月形若頭の同級生、大島恒夫も驚きとともに、ますます、お嬢「紅」に惹かれていった。
病院の大きな集客の一つである「高級老人ハウス」を森林豊かな環境に作ることであった、、、それは「資金集め」にも貢献して、、
管理運営費の上りにも十分必要な経費となる。
また、、個人患者、特に地域高齢者の需要にも繋がるのであった。
病院専用の高級バスでの送り向かいを考えて、、、運送時間「1時間」とか「2時間」と決めて、、、所定の街から「高齢者輸送」を計画することである、、、、
更に、、高級老人ハウスを設置するなら、、、その家族が宿泊出来て、、、食事の出来る施設も併設する、、、
高級老人ハウスは、、、「出来るだけ高級にして、、」「出来るだけ料金を高くして」運営をするのであった。
そして、、庶民的な医療施設には「安らぎと安ど感」が漂う環境を施した「高齢者施設」をつくり、、、精一杯働いた人生の「ゆりかご」を用意してやることが、、、「高齢者救済の究極である」と、、、、
お嬢紅と花は思っていた。
人間の世界はばらばらであり、、、千差万別である、、、従って、すべてが同じとはいかない。
しかし、、、それぞれの違った世界には、それぞれの幸せがあるようだ、、、、
人は与えられた人世で、、与えられた生活というか、、、仕事も与えられるように、、、幸せ、幸福感を得られるようだ。。。
そんな環境を作りたいと願っている「ふたリ」であつた。
この話を聞いて、、、
大島恒夫は感心して、、、「おい、、月形、、凄い女(ひと)たちがいるな、、、」
そして、、「月形、、、俺は明日からでも参加したいよ、、、お前がやくざを辞める気持ちがわかることが、よくわかる」
大島はお嬢紅と花をベた誉めした、、、」
早く、今回の総合病院が完成するのを楽しみにしていることを伝えた。
更にお嬢紅は付け加えて。。。
この病院に「障害者患者」を、さらにはこの世の中の「難病」と戦う人たちの施設をつくりたいといと、、、、
今、二人の夢は大きく広がっていた。


37
)関東連合睦会の月形若頭の躍進、、、

関東連合睦会の月形若頭はやくざ世界でも、日本を二分するほどの勢力やくざの旗頭であった。
もうひとつの旗頭の久隆健次郎を塾刀とする「関西連合櫻会」という、ヤクザ組織は依然として「硬派」であった、、、覚せい剤や売春活動はせずに、、賭博といった「博打打」のやくざであり、、、
色々な「賭場」を開いていた、、、昔気質にやくざを気負っていたのである。
ヤクザ世界では「会津の小鉄会」の流れを組んでいた。
そんな久隆健次郎を、月形若頭は説得していたのであるが、、、頑として、言うことを聞かなかった。
そして、、、ある時、九州系のやくざ組織と出入りがあったのである。
暴力的な争いでは、「関西連合桜会」は一歩もあとには引かなかった。そのために抗争は長引いたのである。抗争が長くなると「資金」が必要になり、、、喧嘩も金次第となる。
関東連合睦会は「資金的は裕福」であった、、、それは救済事業を始め、、、花川戸一家との業務提携による事業収益が増えてきたからである。。
月形若頭と久隆健次郎若頭は、、、熊本刑務所で約10年間一緒だったこともあり、、、刑務所友情が出来ていたのであった
そんなことで、今回の九州抗争が長引き、資金面で助けを求めてきたので、、、月形若頭は援助をしたのであった。。。やくざ組織の付き合いではなく、個人的な「やくざ友情」によるものなである。
その援助があって、、、辛うじて「関西連合桜会」は面子を保たれた。
そのあとに二人の話し合いが「京都」でもたれ、、、今回の資金援助の礼を述べるとともに、、、久隆健次郎若頭は
進められている事業の話を聞いた。
これからのやくざは警察に追われるのではなく、、、褒められ、、、奨励される組織にならないという、、、
月形若頭の話に耳を傾けたのである。
そして、、本格的に救済事業に絡んだ、多種方面の事業経営に乗り出す知恵を借りることにした。
二人は手を取って、、、関東と関西の業務提携のことを考え、、、ヤクザ構想の夢を話したのえある、、、
そのためには「花川戸一家のお嬢紅と花」にあってもらう必要があった。。。




38)月形若頭と久隆健次郎手を組む

今回の抗争で資金援助をしてもらった「関西連合桜会」の久隆健次郎は定期的に稼ぐことの出来る「資金」の大事さを知った。関東連合睦会が現在やっている「高齢者救済事業」が、人のためにもなって、
社会貢献にもなり、、、世の中からも感謝されながら稼ぐことが出来るということ、、、そして、いつも監視されて、追われる身の警察からも認められ追われない。
痛くない腹を探られないという安心感が得られて、日々暮らせることの大事さを教えられた。」
そして、「博打一辺倒」のやくざと言われる悪徳団体からの脱皮が出来ることへの、喜びを少々あじわったのである。
「関西連合桜会」の組織の中にも反発する者もいたが、、、久隆若頭に説得されていったのであった。
久隆若頭も納得の上で、、、関東連合睦会の月形若頭の紹介で「花川戸一家」のお嬢紅と花に合うことになった。
東京の花川戸一家の会社事務所を訪ねた。
「初めまして、、、関西連合桜会の久隆健次郎と申します、、、宜しくお願いします」
と、、挨拶をされた。
お嬢たちも、、「花川戸企画の花川戸紅です、、、どうかよろしくお願いします。。」
そして、花川戸グループの取締役である「金花」も紹介された。
関東連合睦会の月形若頭を介して話し合いが行われたのである。
その結果、業務提携の話は進んだ、、、久隆若頭は思いっきりが良かったので、、「こうと決めたら、、」事の進むのがはやかったのである。
事務的な手続きは担当者たちで細かく取り決めていった。
当初は関東連合睦会との合同事業から始めたのである。
「高齢者救済」の中の「住居斡旋から始め管理までの業務」を、関東連合からの指導で、、、
そして、徐々に仕事内容を増やしていった。
やくざ稼業の日々が、どっちかと言えば「サラリーマン的」な仕事に変わるわけだから、面食らっていたのであったが、、、人とは不思議なもので慣らされてしまう。
半年も過ぎるころにはやくざ姿の「だぼシャツ」「草履姿」から背広姿が似合うように成ったいった。
最初は不満を言ったり、愚痴をこぼしたりしていたが、、、家族との生き様に、誰もが生きがいを見つけ出したのである。
ヤクザの組員が、「会社員」となり、定期的な「決められた金が入る」という生活に喜びをみいだすものもいた。
特に家族持ちには歓迎されるようになっていたのでるが、、、独り者の威勢のいい、ヤクザ気取りのやつからは苦情もでたのである。
しかし、久隆若頭の統率のもとに前進していった。
そんな関西連合櫻会から離脱するグループも出たが、、、久隆若頭は将来を考えて、
今回の業務提携を推し進めていったのである。
その結果、月形若頭と久隆若頭はコネやつ手を頼って、、「九州と四国方面に」進出を考えて、行動に移していった、、、
すべて、これからのやくざ世界の為にと思ってのことである。



39)月形若頭襲われる、、、九州やくざに、

月形若頭と久隆若頭は九州の「九州連合荒波会」と「四国連合土佐会」への話し合いを求めて、それぞれに手分けしたいたのである。
そして、月形若頭は九州連合荒波会の若頭西園寺剛三との話し合いを持った。そのあとの食事会を「九州一の繁華街中州」の飲食店で食事をしていた。
その場所に元の関東連合睦会を破門された「阿部グループ」の代表であった、阿部真一が銃撃をしてきたのである。
彼は関東連合睦会の月形若頭に恨みをだいていた。破門されるときに「けじめ」として片腕を失ったのであった、その恨みは強かった、人には恨みを忘れずに、いつか復讐をしてやると思っている人間もいる。阿部真一は恨みを忘れない男であった。
そして,今回の九州連合荒波会の会合を狙っていたのである。
阿部グループの阿部真一は月形若頭を狙って、機械を待っていたのであった。
その機会が今回の福岡「中州」の飲食会であり、、的を絞って狙ったのである。
関東連合会んの若頭月形と、、、見事に当たった、、、銃弾は月形の腹と胸の2発撃ち込まれた。
心臓を討つ抜かれたので即死状態であり、すぐに病院に運ばれたが間に合わなかったのである。
月形若頭の知らせは、四国連合土佐会を巡っていた「久隆若頭」のもとに届いた、、、
「なにー、、月形が撃たれて、、、どこで、、本当か、、」言葉にならなかった。
久隆若頭はそばにいた若者「今は若手社員」に車を手配させて、、、
「兎に角、福岡へ飛ばしてくれ、、、」と指示を出した。
彼は車の中から電話をして、、確認やら手配やらをしたのである。
東京の「花川戸一家」にも訃報は届いた。
お嬢紅や花は驚いたというより、、、なぜか涙が流れたのである。
花が、、「紅、とりあえず行って来いよ」と促して、、、敏にも連絡をつけて、一緒に九州福岡へいかせた。
お嬢紅は新幹線の中で涙が止まらなかったのである。
九州福岡の総合病院について、久隆若頭と会った。
そして、、、お嬢紅を迎えたのである、、、、
「紅さん、、、参ったよ、今は考えが纏まらない、、、今後の対策を打つ前に、月形若頭の弔いをしないとな、、、すべて、それからだよ。。。」
と、、言ってくれた。
お嬢紅は月形若頭の通夜の晩に、久隆若頭に念を押していたのである。
彼の性格では「けじめ」をつけるために、、、九州連合に「脅しまえ」をするかも知れないと。
お嬢紅は強く止めた。
月形若頭は「そんなことは望んでいない、、、竜ちゃんは仕事が旨く行くことだけ願っているはずだと」
そして、、、九州連合と四国連合の業務提携が出来るまでは辛抱して欲しいと、、、
久隆若頭は涙を堪えて、、、悔しさを耐えた
「わかりました、、、お嬢の言う通りにします、、、月形若頭の前で約束します」と、、誓ってくれたのである。
腹の内では、すぐにでも行動に移した
かったに違いない。


40)月形若頭の告別式

今回の不始末に関しては、九州連合会でけじめをつけます、、、と、西園寺剛三若頭がいってきたのである。
関西連合桜会、久隆若頭を通じての話もあった。
この事件が、、、月形若頭の意思でもある、九州連合との業務提携を推し進めた形になったのである。月形若頭の死がもたらした
贈り物になった。
業務提携を速めたのである。。。。。九州連合荒波会との話し合いが進み、、、同時に四国連合土佐会も提携の話が前にすすんできた。
月形若頭の告別式が「築地本願寺」で盛大に執り行われたのである。
「葬儀委員長は花川戸一家のお嬢紅」が、、、関東連合睦会の代行として、、、、
そして、関西連合桜会の久隆健次郎若頭が「弔辞」を述べた。彼は途中で涙が零れて、声が何度も詰まったが最後まで「友に送る言葉として」、、「弔辞」を読み上げた。
九州連合荒波会の西園寺剛三若頭、四国連合土佐会の坂本市太郎若頭も出席してくれた。
また、花川戸救済関係からは、大学時代の同級の大島恒夫が涙していた。
「なぜだよ、、、月形、最後まで付き合って欲しかったな、、、お前に代わって、やり遂げるから、、、見守っていてくれよ。。」と、、、
そして、ここまで参加してくれた高齢者たちが告別式に参加してくれた。
月形若頭の葬儀もすんで、、、救済事業関係も始まったのである、、、月形若頭の跡目も決まり、、、関東連合睦会も動き出した。
跡目は月形若頭が事業内容を教えこんでいた「花田幸次郎」に決まった。
誰彼のひいきはしない、、、物事を公平に判断できる男だった。
花川戸企画関係ではいよいよ、、、「総合病院」のオープンが近づいてきたので、、、花川戸一家のスタッフは忙しくなってきたのであった。
特に「総合病院」に携わる大島恒夫医師は病院に留まりきりであった。



41)花川戸企画の「総合病院」オープン

花川戸企画の救済事業から始まった事業も病院建設までに至った。
総合病院の業務は、その仕事範囲が広かったが、大島恒夫医師が「院長」を引き受けてくれたので各関係医師を集めることが出来た。
彼の人脈で大学の先輩後輩関係で、さらには東大附属病院関係での参加してくれる医師が増えたのである。
そして、過疎地であるために「交通の便」が悪かったが、、、病院までの運搬方法は初めから考えていたが、、、その人員確保が困難であった。しかし、高齢者救済事業を展開していたので、、宿舎を建設して容易に人員募集はでいたのである。バス運行会社を設立して、運転手は高齢者救済で充当出来たので、地域活性化にも貢献できた。
バス運行も宿舎つきであり、賄も付けたので、働く高齢者にも歓迎された。
病院施設の総合清掃管理も、清掃会社を設立しての宿舎賄付きなので、高齢者の救済も出来たのである。
また、病院の警備関係も同じようにした。
過疎地の中にすべてを完備して営業管理をしたので無駄がなく、効率よく運営ができたのである。
不毛の地となった「過疎地開発」は順調に進んだ。
筑波山ろくの第一号の総合病院経営はお嬢紅たちが考えていた以上の成果があった。
施設の運営計画も病院経営の集客もうまくいったのである。
どんな立地条件でも、工夫すれば出来ると、、、その地域に人が居なければ「人のいる街から、地域から集める」と、、、
事業をするうえで難しいことは、、、人材の確保と人材経費である。
その条件をクリアー出来ればということであるような。。。
そのためには全国で「3600万人」いる高齢者を利用することであり、、、その人たいを救済することである。。。
年金支給などは少ない、「平均国民保険の場合は6万円であるから月平均にすれば3万円だ」しかし、
生活環境を工夫すれば、それらの高齢者を救済できるのであった。
そして、総合病院関係で業務に従事して、総合的に資金計画を立てれば、病院経営は不可能ではない。
花川戸企画の救済事業は山林開発事業、、農業開発事業と増えており、、、さらに養殖事業と立地条件を考えて造修しているんであった。高齢者は多方面にわたり、就業経験が豊富なので事業を広げることが出来た。
花川戸企画では「つくば山麓事業」が順調なので、全国展開を考えている。
現在のグループには、関東連合睦会、関西連合桜会。九州連合荒波会、四国連合土佐会ともともとの組織団体がるので、それぞれに総合病院形式の施設を1施設ずつ設置すれば、過疎地の病院対策は十分だと思うのである。
そういった施設をつくることが、やくざ組織の消滅にもつながるようだ、、、
また、、高齢者が住みやすい国にすることが出来るのではないのか。。。お嬢たちはおもうのであった。
お嬢たち二人は、、、、
「花よ、、、悪いことを考えずに、、、ゆっくり生きていきたいな、、悪人退治の執行などせずによ、、、」
と言えば、、、
「紅、、、少しは女らしく生きたいような、、、気もするよ。。」