新切手購入をいつやめたのか | 郵便・切手から 時代を読み解く

郵便・切手から 時代を読み解く

切手コレクター必見! 経済評論家にして郵便・切手評論家でもある池田健三郎が、辛口トークと共に「ゆうびん」や「切手」を通じて時代を読み解きます。
単なる「切手あつめ」や「郵便物コレクション」とは次元の違う、奥深き大人のライフワークの醍醐味をお伝えします。

新年度がスタートし、来月から始まる新元号も「令和」と決まりましたので、何か今年の春はいつもにも増して清新な空気が漂っているように感じられます。

 

2019年度についても日本郵便は、恐らく様々な切手を多種類発行するのでしょうが、わたくしは「郵趣の低迷は、日本郵便がたくさん切手を出し過ぎるので、収集家が買い切れずに収集を断念することがその要因だ」とする説には与しません(そもそも現状が「低迷」していると必ずしも思っていないので)。かつては、そうした主張にも一片の真理があるかも知れないとの思いも少しはありましたが、現在は全くそうは思っていません。

 

というのも、私自身は、(昭和)天皇在位50年記念小型シート(画像)を郵便局で購入したことを契機に郵趣の世界に入ったのですが、一度たりとも「新発行の切手類はすべて購入しなければならない」と考えたことはないため、「もう新切手を買う資金が続かないので、収集をやめなければ」と感じた経験がないからです。

 

 

ただ、記憶を辿ってみるとかつて一度だけ、地元の郵趣会に行く魅力が消失したと感じるきっかけになった出来事があります。それは中学生になった頃にはじまった「エコーはがき」の新発行でした。

 

それまでは日本・外国切手や郵便史、消印などの話題がかなりあった郵趣会の例会が、ほとんど「エコーはがきの話題オンリー」になってしまったため、わざわざ出掛ていっても何も得るものがないと感じられるようになったので、次第に足が遠のいたのでした。

 

当時の大人のコレクターたちは、エコーはがきというステーショナリーの新商品を何とか「完集」しなければと、ある種の強迫観念に支配されていたようにも見えましたが、全国版に加えておびただしい数の地方版が次々に発行されようになると、徐々に疲弊し、続かなくなっていったと聞きました。それでその後どうなったかといえば、やはり元通り「切手」に回帰していったということなので、エコーの件によって郵趣からの完全撤退を余儀なくされた方があったとは聞いていません。

 

この出来事から考えるに、話題が偏ってしまい対象範囲が極端に狭くなった「郵趣会が衰退する」のはしばしば起こり得る話ですが、それと「郵趣が衰退する」こととはまったく別の話です。

 

この間、わたくしはというと、エコーはがきブームだからといって切手自体を嫌いになる筈もなく、独自に通販で外国切手を購入したり、代々木の郵趣会館で切手商をのぞいたりと、コツコツと自分のペースで続けていました。

 

ということで、ブログのタイトルにある「新切手購入をいつやめたのか」という問への答えですが、結論をいえば「はじめから新切手を熱心に購入していた経験はないので、やめるも何も、そもそも新切手完集などめざしたことがない」となります。つまり、「新切手を買う=郵趣家」あるいは「郵趣家=新切手を買う」という考え方は、当初から持っていなかったのです。

 

それでもわたくしは、小学生時代から今日まで、40年にわたってフィラテリーを続けているのです。無論、ずっと同じ熱意をもっていたわけではなく、受験や進学、あるいは就職や業務繁多などでフィラテリーへの関心が極めて薄くなっていた時代もあるのですが、それでも完全に「郵趣を断つ」こともしませんでした。「やめる」という決断もかなりのエネルギーを要します。確かに、好きな趣味を完全にシャットダウンする決断をどうしてもしなければならない事態とは、破産や家庭崩壊、あるいは重病や甚大な罹災くらいしか思いつかない(たとえそのような事態に見舞われても、好きなことなので完全にはやめられないというケースも多々あります)ので、そうした場面をわざわざつくる必要もなかったのです。

 

ところで、「フィラテリスト(郵趣家)」というのは、郵便や切手に少しでも興味があれば、そのように呼称して一向にかまわないと思うのです。単なるホビーなのですから、その時々で自分のペースで自分の嗜好にあったものだけを取り込めばよいので、そもそも何も難しく考える必要はないでしょう。

 

事実、わたくしも、今まで一度たりとも「キミは〇〇を集めなければならない」、「お願いだから××を収集してくれ」などと言われたこともありませんし、当然、「発行される日本切手はすべて発行される都度、郵便局で購入しなさい」などと命じられたことも無いのです。仮にそのようなことがあったとしても、唯々諾々と受け入れる筈もないでしょう。「新切手をすべて購入していたらとても郵趣の資金が続かない」のであれば、「郵趣じたいをやめてしまえ」ではなく、「分野を絞り込むなどして持続可能な郵趣のやり方に変える」ことは、まともな人間であれば誰もが考える当たり前の対策なのですから。

 

さて、郵趣界のリーダーと呼ばれる方々の中にも、この「新切手は須らく購入すべし」の呪縛から逃れられない人が少なからずおられます。この説に立つと、途端に思考停止に陥り、「郵政当局による切手類の濫発が、郵趣を低迷させている元凶だ」との説に拘泥せざるを得なくなり、畢竟、「すべては発行当局が悪い」という他責に帰するだけになって、ネガティブ思考の渦から抜け出せなくなります。

 

それゆえに、フィラテリーの将来を前向きに語ろうというする場合には、「新切手の購入をやめることと、フィラテリーから撤退することとはまったく異なるものである」ということを、再度しっかりと認識しないと、そもそもスタート台にすら立てないのではないかと考えています。

 

来月からの「令和」時代には、誰かのせいにして思考停止を続けるよりも、一人一人がそれぞれに郵趣を楽しみながら、少しでも前向きな振興策を打ち出して、賛同して下さる方々と共にこのホビーの楽しみを広げていくポジティブな動きが増えるようにしていきたいですね。