皆様、新年あけましておめでとうございます。本年が読者の皆様にとって輝かしいものにならんことをお祈り申し上げます。今年もこのブログをよろしくお願いいたします。
昨年来、本ブログのコラムでは、速達郵便制度全国化(昭和12年8月16日)以降の郵便物の実例を順次ご紹介し、これらを読み解いてきました。
1通の封筒や葉書をただ単に眺めたり、貼ってある切手に着目したりするだけでなく、その背景にある郵便制度や郵便事情などを知ることによって新たな歴史の一面に触れることもまた興味深い文化活動であることを、多少なりともご理解いただければ幸いです。
さて昨年中は、昭和12(1937)年8月16日からスタートした「速達料金(市内料金)8銭時代」の4年7ヶ月半に絞って、さまざまな使用例をご覧にいれてきたところですが、今年もしばらくの間はこれを継続し、やがて次の時代、すなわち速達料金が値上げされ、戦時色が濃化していく時代に移っていくことにしましょう。
さっそく今日は、昭和13年に埼玉の川越から県内あてに差し立てられた速達書状の使用例をご紹介します。
ご覧の通りこの書状は、昭和13年11月9日に川越局から県内あてに差し立てられ、宛て先地が近いためにその日のうちに中山局に到着しました。当初、川越局は差出人が速達を出す際に、最低料金の8銭を徴収しました。このことは、「速達料金8銭徴収」の赤いハンコが捺されていることでわかります。
一方、書状料金は4銭ですから、この時点でこの書状には、左上の2枚の切手、すなわち4銭(東郷元帥を描く)と8銭(富士山と鹿を描く)の計12銭分だけが貼付されて、中山局に送られました。
ところが中山局に着いてみると、実際には、名宛人の住所は中山局の郵便区市内エリアの外にあり、「速達料金は30銭が適用されるべきだった」ということが判明します。つまりこの速達書状は「料金不足」ということになります。通常ですと、速達料金が不足している場合には、速達扱いを取り止めて、普通便扱いで配達するのがルール(2008年3月21日付の本コラム 参照)です。
ただ、このケースでは、そもそも川越局が窓口で8銭しか徴収しなかったので、社会保険庁ではありませんが郵便局が勝手に「普通便扱い」にすることはできません。そこで中山局では、この郵便物を速達扱いで受取人に配達しましたが、そのままでは料金不足。これをそのままにできませんので、その際、受取人には「中身だけ」を渡してその「封筒」は局に持ち帰り、川越局に送り戻しました。
その上で、川越局は再び差出人に頼んで、本来は30銭のところ8銭しか徴収しなかったので、差額の22銭を追加的に払ってもらい、その分の料金として封筒の右下に20銭(青)と2銭(赤)の切手2枚を貼り、13年11月10日の消印で抹消したというわけです。
当初の徴収額との差額を、このような形できっちり精算することになった郵便局は当然、手間がかかってそれなりに大変だったことでしょうし、22銭を追加徴収された差出人も驚いたことでしょう。
こうしたミスやそのリカバリーの事例は、いくら昭和13年という古い時代であっても、さほど頻繁に発生したとは思えませんし、事実、当時の郵便局の事務レベルは相当高い水準にありましたので、このような実例が今日まで残る可能性は非常に低いと考えられます。実際に、この類例をわたくしはこれまで見たことがありませんので、このカバーはやはり貴重な史料ということがいえるでしょう。
このカバーは、昨年末、かなり押し迫ってから偶然みつけて購入したもので、まことに幸運でした。
■使用例のデータ
櫛/川越 13.11.9 → 櫛/埼玉・中山 13.11.9 (ここで名宛人に配達済、封筒のみ回収)→ 櫛/川越 13.11.10
料金: 書状4銭+速達30銭(郵便区市外あて)=計34銭
貼付切手: 1次昭和2銭、4銭、富士鹿8銭、20銭
希少性☆☆☆☆(入手困難/オークション・アイテム)
※但し差出人への返付と不足分の再徴収がない使用例の場合は稀少性☆(ありふれている)