『名無し』迄の道のりと感想 | 偏屈アラフォーの旅と日常

偏屈アラフォーの旅と日常

方向音痴で偏屈な旅好き、少し変わったモノが好き。
旅や、日常のふとした事など気ままに更新しております。



久しぶりに映画館で鑑賞をして参りました。

賛否両論あるだろう、気になる作品。

内容はと言いますと↓


観たい映画は沢山あれど、
人混みと閉じ込められた空間、
人との距離や光が気になる自分は、
中々映画館には行けない。

ただ今回は映画サービスデイと、
理想の席が前日深夜でも空いてましたので
急いで座席指定をしました。


最後列の端しか座れないので、
これは何かの縁だなと。

因みに、
翌日に上映が終わってしまう『国宝』は
とんでもない埋まり方…!


素晴らしい作品と言われ、
素晴らしい俳優陣の集結で多数の賞も受賞の
気になる作品ですが、
3時間も自分は耐えられない…。

前後左右5席位人との距離が開いていれば
鑑賞出来るとは思いますが…。

今回もやはり階段の非常ライト?
点々と連なる灯りが気になって、
途中サングラス野郎になりました。

『名無し』の感想は最後に
書きたいと思います。


この日は父親に届け物をし神保町でご飯。
そして一人の休日が開始。

※お店は1909年創業の隠れ家レストラン
『ビヤホール ランチョン』


何処かで紫陽花も撮れたらなと、
歩いて日比谷の映画館に向かいました。

普通に歩けば40分らしいですが、
方向音痴ですので1時間は軽く経過…。


皇居まではスムーズに辿り着き、


せっかくならと中に入ってみました。

警察官による荷物チェックが実施中。


無料で自然に囲まれ良い場所だなと。


ただ少し暑かったですし、
何処を見ても外国人観光客ばかり。


唯一見かけたのはリュックで移動中の
サラリーマンのみ。

そして紫陽花はどこにも無く…。


そして、道路の地図を見て有楽町だと思い
向かえば東京駅。


改めて素敵な外観だなと撮影。


そして記念撮影も…。

東京在住ですが確実に観光客だと
思われたと思います。

明らかにアラフォーとなり、
自撮りにスタンプが増えたなと…。

特に顔出しNGでアメブロを
やっている訳ではないのですが…。

早く40歳になりたいと思いつつも
スキンケア努力が得意では無いので
ほうれい線が気になり始め…。


お洒落ですよね。


どうせならと中に入ったのですが、
人が多いですし、
まだ映画館迄辿り着いていないので脱出。


己の方向音痴レベルは侮れない。

近くの交番で有楽町方面を確認し、
再び歩きました。

デジタルデトックスでは無いですが
街歩きでは携帯は見ずに道路標示を頼る
アナログ派です。


はとバスは此処から出ているのですね。


そして有楽町に到着。


ここまで来れば日比谷の映画館は
行けるはず。


己の記憶を頼りに進み、


無事に小さなゴジラ像に出会えました。

TOHOシネマズ日比谷で鑑賞。


1階では近々公開のマイケルの展示が
開催されておりました。

1時間以上、上映までありましたので、
身体を休め1人になれるカラオケで休憩。

近くのビッグエコーは有り難い。


そして15分前には到着し、
トイレも済ませて入場。

いつも思うのですが、
ポップコーンを持った人って着席が遅い。

予告で色々な作品を観るのも好きなので
個人的には本編迄に座るのではなく、
予告開始迄には座って欲しいなと。

またエンドロールが始まったら立つ人も
嫌ですね…。

あの時間は余韻に浸ったり、
まだ整理しきれていない頭の中に対処したり
そういう時間だと個人的には思ったり。

今回はかなり傾斜のある座席の映画館
でしたので大丈夫でしたが、
人の動きや音は気になります。

以前に大衆映画を観た際は、
隣に親子が来てしまい、
更にグミを持ち込んでおり…。

鑑賞時に子供の優しさではありますが、
ゴソゴソしては母親の分も渡す。

シリアスな場面でも定期的に
グミ時間は続き、
思わず“いつ食べ終わりますか”と
聞きそうになりました…。

今は映画の料金も高くなっているので
マナーによるストレスで後悔は嫌です。

素晴らしいだろう作品には、
興行収入に貢献したいですし、
大画面で拝みたいですが、
作品の完成度以前に自分は気が散る点が多い。

結局は、
自宅で真っ暗な部屋でイヤホンし
チョビチョビ飲みながら鑑賞するのが
最適なのです。


少し長くなってしまいましたが、
個人的な感想を書きたいと思います。

※ネタバレしますので、
観てない方やこれから観る方は
どうぞ飛ばして下さい。


🎥ちょっと長くなりますし、
本当に個人的な感想です。


開始早々のファミレスでの惨殺描写で
この作品の温度と鑑賞するにあたり
心構えが出来ました。

『悪い夏』の監督さんですので
バイオレンス描写や世界観、
嘔吐などリアルな描写がより世界に浸れます。

誰から生まれたのかも分からず、
名前も無く勿論戸籍も無い。
幼いながらも家も無く食事はゴミ捨て場から
拾って来た食べかけの弁当の日々。
住処としている場所では幼い少女が1人。

丸山隆平さん演じる警察官に保護され、
2人は児童養護施設に入り名前を貰いますが、
特集な能力の右手があるので、
勿論、過去から解放されて純粋無垢な
子供には成長出来ない。

佐藤二朗さん演じる山田太郎は、
生きてきた環境、生立ち、教養もないからか
自分の感情を整理できないですし、
的確に対応できる語彙力、言葉もない。

MEGUMIさん演じる山田花子が
ずっと側には居てくれてはいても、
絶望の容器から出れる時は無い。
2人は他人ですがずっと一緒に居たので
きょうだいとして戸籍を作成かと。

大人になればなるほど社会からは浮くわけで
人間に備えられた様々な欲の感情、
金銭欲、性欲、承認欲求、家族欲…
それぞれを的確に満たせれば理想だが
絶対に叶わない。

太郎は始めから生きる意味や楽しさなど
感じた事もないだろう。

右手で触れた物は見えなくなる。

だから彼が凶器を持ち歩いていても
誰も気付くことは無い。

ファミレスでのシーンで思った事は、
沸点に到達すると全てが不快なノイズの
様になったのかなと。

一方的に自分の話を聞かせる
よくわからない女は最後は勧誘ではないと
言いつつも祈らせて下さいと
太郎に向かって祈り始める。

本来の大人であれば、
興味が無ければその場で断り、
自分の席には着席させない。
席で勧誘されたのか、
外で勧誘されたかは不明ですが…。

ただ太郎は語彙力も声もほぼ無い。
人と話すこともほぼ無いので声も細くかすれ
伝える事も出来ないのだろう。

不快や怒りの感情は表情がピクピクと動き
彼は顔の強張りで感情が現れる。

限界が達し祈る女性を刺し殺し、
店を出るまでには周囲も異変に気付き
騒ぎ始める。

その声全てが不快なノイズなのか、
殺傷は止まらない。

血を見るのが好きな快楽殺人犯では無く
感情の処理回路がおかしくなっているのか。

別の日の繁華街でも、
彼は見えない武器を手に殺傷を続ける。
絶望に浸りながらみる社会は
どう見えるのだろうか。

的確な欲の処理が出来ないからか
攻撃を続け血を浴び続ける太郎の表情は
笑っているのか苦しんでいるのか
何とも言えない。
これは佐藤二朗だからこそ出せるものかと。

幼少期を演じた3人の子役が素晴らしく、
特に太郎はどんな大人な俳優になるのか
とても気になる存在だなと。

ネットでは、
子役と佐藤二朗では骨格が違うだの、
子供の花子がMEGUMIだと違和感との
声もありますが、
それもあくまで個人の意見。

太郎を支え続け、
太郎を見捨て、
太郎に殺される花子の感情や行為は
まだ理解が出来ていない自分。

ピースが欠けている状態ですし、
そもそも映画は答えが1つではないもの。
観る者の解釈に委ねる部分も大きい。

ただ個人的にはMEGUMIさんを起用
したと言う事が理解する上でヒントというか
大きいのかなと。

先の先、全てを受け止め理解し…
そんな印象を受ける。

太郎を追う刑事の佐々木蔵之介さんは、
やはり画面を支配する。

演者としての魅力は勿論、
独特な深い声、
ギロリとした目、
役幅の広さ。

今回は単に老けた佐々木蔵之介では無く
彼自身も絶望の過去がある。
だからこそ太郎の右手の指紋に必要に拘り
最終的には太郎の逮捕にこぎ着けた。

ネタバレさせて申し訳ないなと思いつつも
ある程度書かない事には己の感想は
言えないのでご容赦下さい。


花子の話しに戻りますが、
花子は太郎の子供を宿します。

ただそれも愛ある営みや、
子供の誕生を期待する穏やかな映像では無く、
本人達が話しておりましたが、
邦画史上最高に汚いラブシーンに
なったよねと。

名前を知ってしまった以上、
太郎は右手で花子に触れる事は出来ない。
それは花子の命を奪う事だから。

児童養護施設でのシーンでは、
園で飼っているワンちゃんに触れてみようと
思った時に、園の方からワンコの名前を
伝えられてしまいます。

そして、
名前を知ってしまった以上
ワンコは命を落とす…。

丸山隆平さん演じる警察官に交番で
キャラメルを投げられた時に咄嗟に右手で
掴んでいたので太郎の利き手は右手かと。

と言うことはセックスにしろ、
日常の書物にしろ利き手が使えないだけで
継続的ストレスがある。

そこに土台があって、
感情や言葉の障害も乗り生立ちも乗り…。


花子が太郎を見捨てるとは、
子供の誕生までもう少しという時期に、
もう限界、バイバイとカレンダーに残し
花子は消えます。

太郎は子供の誕生を心から楽しみにし、
カレンダーに☓を毎日書き込み、
子供用品も購入し足早に帰宅。

絶望の容器から少し出られていたはずが
この日を境に再び彼は壊れる。


十年ぶりに街で花子を見掛け、
太郎宅で2人。

彼はそれでも何処かで自分の子供は
生きていて今では十歳になると信じていた。

でも花子の口から出た言葉は、
子供なんて居ない、堕ろしたからと。
あんたみたいな怪物がもう一人なんて。
※正確な言葉は忘れました

あんなにお腹が大きくなってからでは
その言葉は嘘だと普通の大人なら理解
出来るはずが、
普通には生きてこられなかった太郎には
その言葉が沸点に。

あの右手を使い花子を殺してしまう。


自分の解釈ではMEGUMIさんの
起用理由の推測とも重なりますが、
あの言葉は嘘で、
最後に彼の右手を感じたかったのかと。

いや、花子もやはり社会に馴染めず
常に死にたいと思っていたからか…。

男女の行為のシーンでは、
ずっと“右手で触ってよ”と繰り返し、
嫌がる太郎ともはや軽い格闘並みに
キスをしながら右手を求めていたので。

でもあの時の花子の感じは、
やはり花子も社会で生き辛く絶望も感じ
殺してよという意味で右手を求めた
様にも感じ…。
でも、それだったらキスは要らない気も。


難しい…。


自分が死ぬ事になっても、
右手で触れて欲しい…。

太郎の右手で掴まれている
あのMEGUMIさんの表情こそが
MEGUMIさんの起用理由の1つかと。


最後は、
児童養護施設でまた太郎は殺傷を加速させます。

殺した刑事から奪った銃を次々と発砲し
逃げ惑う人々を目に入った武器を持ち替え続け。

勿論人々には何も見えないので、
誰が主犯で何が起きているのかも
察知できない。

ただ子供だけは傷つけないので、
そこには太郎の心が見えるなと。


大惨事になって駆けつけた佐々木蔵之介により
格闘の末に太郎の右手は撃ち抜かれ逮捕。

担架に乗せられ横たわる太郎の横には
幼少期の太郎そっくりな子供が。


あくまで個人的な解釈ですが、
花子は社会の平和の為に、彼の為に、
太郎の子供をずっと育ててきたのかなと。

同じ右手の能力は継いでいますが、
過去は変えられる、
虐待の連鎖は止められる、
そんな希望では無いですが、

花子は子供に感情の整理の仕方、
右手との向き合い方、
社会で生きていく上でのルールなど
いつか太郎を止めるため、
絶望から解放させてあげる為に
育てていたのかなと。

勿論母親である花子は殺され、
無惨な姿で太郎宅の浴槽に放置されて
ましたので母親が突然消えた事になり
彼自身も絶望に足が入っていたとは思いますが。

同じ血が流れているから、
共鳴ではないですが太郎の居場所が分かり
母の思いも背負って太郎を葬ったのかと。

担架に横たわる太郎の手を握る。

太郎は拒絶する事も出来たはずですが、
太郎自身もやっとこの世から消えれる、
解放される、
そんな何とも言えない表情に見え。


同じ能力を持つ者同士は
どうなるのかと思いましたが、

太郎は彼の名前は知らないですが、
彼は太郎の名前を知っている。

だから太郎は命を落とした。


太郎の逮捕や射殺で終わるのではなく、
子供が空に向かって神に唾を吐く終わり。


これはどんな意味か。


要らない能力を神が与えてくれたお陰で、
太郎は絶望し苦しみ
自分は母親から使命を背負わされた。

これで終わった、
神よ今度はしっかり働けよと、
俺が片してやったぜという
そんな感じを受けました。


鑑賞後は分からない事だらけで、
本来の2.000円が1.300円、
正直サービスデイで良かったなと
恥ずかしくも思いましたが、

時間を置いてこうやって文章にすると
ピースが埋まり始め、
このアイディア、世界観を閃いた
佐藤二朗という者は、
恐るべきだなと。

脚本が書けて自分が演じる技量があれば
思い描いた世界観からは遠くはならない。

凄い武器だなと。


長くなりましたが、
やはりタイミングを見計らって、
映画館で映画を観る行為は諦めずに
やってみようと思います。


KENZ8



過去作のこちらも気になるな…。