「神霊詐欺」の典型的な見本です。
稲荷信仰について適当なことをほざいている輩がいるので筆を取りました。
神職であり、伏見稲荷大社 教師でもある私が、全国各地の稲荷神社と全国3万人の講員と眷属様に代わり、はっきりと申し上げます。
嘘はいけません!
化けの皮を剥いで進ぜよう‼
先ず次の文章をお読みいただきたい。
著者:「〇井〇子」
- テーマ:神仏
先週は広島・山口方面の取材だったので、叔母たちの家にも行きました。
母のすぐ下の妹である叔母とは、叔母の娘、その子どもたちと一緒に、夕食はお寿司屋さんに行きました。
このお寿司屋さんは「神様、福運を招くコツはありますか?」という本でご紹介した、あのお寿司屋さんです。
本を読んでいない方のために、ザッと説明をしますと、お店のご主人には、この方の祖母が信仰していたお稲荷さんがついていました。
お店に飾っている伝統芸能のお面に宿っていたのですが、それはもう見事に真っ白で美しい(お稲荷さんの状態がベストだということです)、上品なお稲荷さんでした。
働くご主人を見て、ニコニコ、ニコニコしていました。
開店前にお邪魔をして、ご主人にお話を聞いていると、
お稲荷さんが「神はこのような人間が好きである」という意思表示で、ご主人の肩にピョンッと、乗るところを見せてくれました。
その時のお稲荷さんの笑顔が、まぶしいほどに優しくて、それでいておごそかな雰囲気もあり、見ていた私は涙が出そうになりました。
正しい心を持った人のそばにいると、神様は居心地がいいのだな、と教えられた出来事でした。(ご主人のお人柄、驚くほど魂がまっすぐなことは、本に詳しく書いています)
そのお寿司屋さんに7年ぶりに行きました。
すると、あら?
お稲荷さんが2柱います。
前回、お会いしたお稲荷さんに加え、新たに小さなお稲荷さんが増えているのです。
可愛らしい子狐のお稲荷さんは、以前からいるお稲荷さんの横ではなく、「前」に、ちょこんと座っていました。
聞けば、この子狐のお稲荷さんは「修行」で来ているそうです。
へぇぇー!
神社ではない、一般人のところに「修行」で来るとかアリなんだな~、と驚いていると、
その人を通じて、または、その場を借りて、する修行もある、と以前からいるお稲荷さんが教えてくれました。
つまり、このお店、このご主人のところでは、ご主人、およびご主人の家族を守ることと、
美味しいお料理やあたたかいお店の雰囲気で、お客さんを、癒やす、なごませる、ストレスを緩和する、楽しい気分になってもらうなど、そういう方面で「奉仕」をする修行をしているそうです。
なるほど~、と思いました。
でも、子狐のお稲荷さんは、修行を始めて間もないため、「たまに失敗をすることがある」と以前からいるお稲荷さんが明るく笑っていました。
子狐のお稲荷さんは、ご主人の肩にピョンッと乗り、私に笑顔を見せてくれました。
頑張るぞ~! ということでしょう。
なんだかほのぼのとする光景でした。
その数日前に、私は天狗を乗せている男性にも会っています。(友人の夫です)意外とあちこちの眷属たちは、こうして人間を通して……言い方を変えると、その人間を使って、奉仕という修行をしたいと思っているのかもしれません。
※神棚やおふだに関しての質問が多く届いておりますが、まだ全部読めておりません~。
すべてにお答えするのは難しいので(本当に申し訳ないです)、質問の整理をしてから書く予定です。(数が多いので、いつになるかお約束はできないです。ご了承下さいませ〜)
以上、この稚拙な文章の中で赤字の部分についての過ちを正します。
①お店に飾っている伝統芸能のお面に宿っていたのですが、それはもう見事に真っ白で美しい(お稲荷さんの状態がベストだということです)、上品なお稲荷さんでした。
➡稲荷は天狐、地狐、白狐、空狐、赤狐、黒狐…とあり八霊五狐と数多の者があり、色によって階級が異なるわけではない。更に稲荷眷属であればわざわざ全く関係のないお面を憑代とする理由が分からないしあり得へんことです。
②神はこのような人間が好きである。正しい心を持った人のそばにいると、神様は居心地がいいのだな、と教えられた出来事でした。
➡神とは、誰誰が好きで誰誰が嫌いだと云うような、ちっぽけな人間とは違い、この世(顕幽両界)を包括しておられる存在でありますので、10000…%そのようなことはあり得ない。神は人を救わないのです。神は個人的な問題に関与しないのです。
更に、無知なことは自ら稲荷を神と定義してしまったことであります。神というものと眷属(神霊)は、別個の存在です。それさえも理解していない。
③この子狐のお稲荷さんは「修行」で来ているそうです。
➡どこの誰ともわからない、そして信仰も持っているのかいないのかわからない輩のとこに何故来るのか?何のための修行か?その修行によって眷属はどうなるのか?是非とも、教えてほしいものです。
④このお店、このご主人のところでは、ご主人、およびご主人の家族を守ることと、美味しいお料理やあたたかいお店の雰囲気で、お客さんを、癒やす、なごませる、ストレスを緩和する、楽しい気分になってもらうなど、そういう方面で「奉仕」をする修行をしているそうです。
➡奉仕することが果たして修行となるのかしら?契約も交換条件もない中で、寿司屋の家族や、お客さんに媚びを売るような低俗なことをすることが神霊の修行であれば、神や神霊や霊界などくだらない世界であろう。其れを修行とほざくこの輩は、我々から見れば頭のネジが外れているのか、脳に膿がたまっているのかとしか思えない。
⑤私は天狗を乗せている男性にも会っています。(友人の夫です)意外とあちこちの眷属たちは、こうして人間を通して……言い方を変えると、その人間を使って、奉仕という修行をしたいと思っているのかもしれません。
➡眷属神霊が人間を使って奉仕とか修行など、絶対にいたしません。仮にする場合はそれを「使役」すると云います。即ち眷属神霊に人間が操られてしまうと云うことになります。高級神霊はよほどのことがない限りそうしたことは致しません。
何故なら自己の霊格を落とすことになるからです。
人に取り憑いて人を使役する神霊は、殆んどが低級霊か浮浪霊の類です。
そして眷属との契約(勧請)を結んでも、四六時中一緒にいる訳ではないのです。こ奴は見えていないんでしょう。
以上、少しは参考になりましたか?
稲荷信仰とは、1400年程前から信仰心のある人たちにより受け継がれてきた、日本神道の中での一つの信仰形態であります。
この長き年月の中でも振れることなく現代まで続いてきました。
神と人を繋ぎこの世での人々の生活の支えとなった眷属信仰の代表的なものが「稲荷信仰」であります。
今回、何故このようなブログを書いたかと云えば、こ奴が最近発売した「稲荷」の本の中で嘘八百を並び立てているが、それを読んだそうしたうわさを耳にした、稲荷信仰をしている講員、各支部と眷属様の怒りが、私に筆を執らせたからに他なりません。
天の「理(ことわり)」に適っていないものは、どのみち消えていくか、最悪消されてしまいますがね!