おはようございます。
年末に酔って転けて
できたひざの擦り傷が
未だにカサブタで
なるほど、これが老化か
とぢっとそれを見るよしけんです。
#気づけば左手も擦り傷が
#いつ怪我したかも知らない
#これも老化か
さて、今朝は。
推し活と人間の本能という話を。
僕は、昔っから、この
「推し」という感覚がわからない
少年であり青年でした。
勝手に好きになって
勝手に勝敗をとやかくいう
巨人ファンの父親に辟易としていた
幼少期の体験からか
#そのくせ新聞は地域誌を取る愚行
ジャニヲタと呼ばれたら
ご年配の淑女がセクハラ紛いを
公言してもいい風潮に
心底鳥肌がたったからか
セクシーアイドルという
素晴らしい造語のおかげで
より女性のルッキズムを
単純にマネタイズできる世の中に
設えてしまったその下品さからか
#何かとお世話になってますが
#よしけんというよりお盛ん
とにかく、推し活の意味が
どうしても理解できませんでした。
だって、〇〇をレコメンドしてます
って朗々と語ると、
大抵嫌な顔をされるんだもん。
不公平だよなあ。
という嫉妬も根底にあったのかも
しれません。
それが年月を経て、
家庭を築き、子供ができて、
すっかり子供の推し活に
時間とお金と体力という
この人生のリソースの大半を
ぶちこんでしまっているオイラがいます。
彼らの試合を見るのが
この上ない娯楽であり楽しみであり
学びを得る時間であり
彼らとの会話から
得られる幸福度は計り知れず
エンドルフィンの計器があったのなら
警報を出してメンテ会社が見に来るほどです。
それくらいに我が子を推している
自分をふと鑑みて、
なるほど、そういうことか。
と思ったのです。
人というのは、元来、
「誰かを応援したい生き物なのだ」
ということ。
応援したその人たちが
大きく育っていくのが
何よりも幸せなのだ。と。
そこに、見た目の美しさや
スマートさ、かっこよさ、
場合によっては面白さや
セクシーさが加わって
理想の誰かを追っかける
自分が幸せなんだなあと。
アイドルという言葉が
偶像という意味ですが
それが
光を当てて焦点をずらした時に
この世に現れる虚像だとしても
誰かの理想であることを
背負って生きている人間には
儚さと愛しさを抱くわけで
これは、神様を祀るという
お祭りがアイデンティティの
日本人気質にバッチリフィット
しているんだろうな、と。
自分の血肉が、子供として
次世代に繋がった時に、
実像であるその子を推すことが
メインとなり、いつの間にやら
虚像を追わなくなるという人と
実像の過酷さや惨たらしい現実を
埋めるべく、さらに虚像に走る人が
存在するのも、なんとなく理解できました。
応援されたいから、応援している人も
応援したいから、応援している人も
一緒くたに同じ棚に並べている商売が
芸能界であり、アイドルビジネスで
推し活も、さまざまだなあと思った次第です。
なんとなく本当のファンだったら論争と
近い匂いもしてますが、
自分にとって、どこまで行っても
やはり自分の子供が最も尊くて
推すべき存在であり
好きすぎですが、滅したら困るので、
容量用法は間違えないで
暮らしていこうと思った
子煩悩なよしけんなのでした。
