この世には

父性と母性、という、

役割の違った二つの力がある。

 

父性から連想できる言葉は

推進、リーダーシップ、

強さ、厳しさ、客観性

マネジメント、我慢

 

母性から連想できる言葉は

慈愛、リレーションシップ

受容、安心感、保護

マインドフルネス、解放

 

この二つは、明確に目的が違うが

一対の箸のように、または

ナイフとフォークのように

 

共に存在するからこそ、

その効能を大きく発揮するものだ。

 

家庭の構成が、

父と母になっているのも

それは実に理に適っていて

 

無論、性別や遺伝子、

生殖方法から影響を受けているのは

自明の理論だが

 

命を作り、産み落とすことと

その命を育てることでは

 

求められる能力や要素に

大なり小なりの違いが存在する。

 

前者は動物的な歴史と共に

伝承されるものであり

 

後者はいわば人間的な記憶と

記録から、学び取るものだ。

 

父性と母性の授業はないし

多数の家族は先祖代々を

トレースしながら存在している上に

その手法が疑われることも少ない。

 

育ってきた環境が違うから

好き嫌いは否めないし

 

その家族間が合致しないのも

人の数だけ、家族があるから

当たり前だろう。

 

少し長めの前置きになって

恐縮だが、僕が何を言いたかというと

 

家族の在り方や

父性や母性の役割は、

 

無意識に刷り込まれた

ローカルルールだという事実を

客観的に知った上で、

 

自主的に学ばないと、

使いこなせないものだ、ということ。

 

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男性だから父性があり

女性だから母性がある。

 

というのは、

なかなかに飛躍した理屈でしかなく

 

例えば、お母さんはお腹の中に

子供ができた時からお母さんだから

母性が生まれるのは早く、

 

お父さんは作った方だから

その責任に無自覚なので、

父性が生まれるのが遅いため

 

そのギャップが、

産後最も起きやすい

メジャーなトラブルだ、という言説は

 

ありふれていそうだが、

実はそうでもないもんだ、と

最近は感じるようになってきた。

 

慈愛に満ちた男性も、

ルールに厳しい女性も存在するのだから

少し考えたら当たり前だろう。

 

それぞれがパートナーに求める

「異性の親性」に隔たりがあるものの

 

自分の無意識なプログラムを疑わず

自身の立ち振る舞いを顧みないから

そのトラブルは起きる。

 

つまり、父性も母性も必要で

それぞれが、父と母にどれほどの

質量で分布しているかを

すり合わせすることを

 

お付き合いや、結婚、

出産の準備に進めるにあたり

実行すべきなのだと、思う。

 

***

 

 

社会の形は、私が親になった23年前とは

比較にならないくらいに変わった。

 

子育ては、その親だけの責任であり

皆過ぎてきた事だから、甘えるな

なんて風潮はなくなり

 

子供は社会の宝だ、という

基本原則が復活してきたことは

非常に喜ばしい。

 

しかし、父性と母性に対しての

理解は、未だに道半ばなのでは、と

私自身が強く感じている。

 

つい先日も、行きすぎた母性が空転し

右往左往する現場に出くわした。

 

母性は愛であり安心であり

関係性を強化するものであるが

 

Yes /Noを突き詰めたり、

手放し、突き落とす能力は

持ち合わせていない。

 

特に、異性の子供に対してのそれは

おそらく自身が想像する以上に

大きく深く「厄介な」ものである。

 

少しきつい言い方をすると

子供は幾つになっても子供だ、

というのは、嬉しい反面、

親のエゴでしかない。

 

戸籍を分つ、というのは

自立した別家族になった証拠だからだ。

 

もちろん。子供のことは

何にも変えがたく愛しているが

 

溺愛し、蝶よ花よと育てるフェーズは

確実に過ぎ去っていて

 

一人の人間として扱わないといけない

タイミングを、親自身が逃すのが危険なのだ。

 

いろんな家庭での子供達への悩みを

耳にするたびに

 

「家庭内の父性欠如」の視点が

驚くほど、大きな問題だと感じる。

 

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この時代、父性を持ち続けるというのは

実は相応に骨が折れるものだ。

 

男性はこの30年で圧倒的に

生きにくくなった。

 

無論、不平等を均した結果でも

あるから、仕方ない部分もあるし

 

自己の特権に酔った、矜持を失った男に

一定数退場願えた良い機会だったので

一概に悪いとは言い難いが

 

それでも、この迎合ありきの

脅迫じみた同質化を求める現代において

 

胸を張って堂々と父性を語るのは

リスクが高すぎるのだ。

 

父性とは、一言で言うと

「嫌われる勇気」だ。

 

パートナーに嫌われても

子供達に嫌がられても

 

正しいことをしたり

正しいことを伝えたり

正しくないことを咎めるのが

父性だと、私は思う。

 

それを続けられるほどに

奔放に生きていける環境は

家の内外に驚くほど存在していない。

 

このトレンドは、これからも

簡単には拭えないだろう。

 

母性は柔らかく、正しく聞こえ

父性は前時代的で、冷たく感じるからだ。

 

なぜ、男性と女性が存在するのか

その根本的な問いが示唆するのは

 

性質が違い、役割が異なる

二つの大切なものはある、

ということではなかろうか。

 

嫌われる勇気を持ち続けるのは

実に骨がいるものだが

 

それが、私にとっての

父親像である以上

覚悟にして引き受けるべき選択なのだ。