おはようございます。
とあるターミナル駅で、
僕の目の前を歩く妙齢の女性が
歩く僕の足元に自身のトランクケースを
突き出してきまして。
お、っと足を止めてつんのめり
なるほど、まぁ異国の旅行者だな、と
たかを括っていたんですね。
その人があまりに歩くスピードが遅いので
X-girlのステッカーが貼られたトランクごと
早足で追い抜きましたところ
長傘を後ろに長く持った家族連れが
それこそ異国語を話しながら
あちらこちらを指さしながら
その傘の先っぽが後ろに当たりそうなほど
振り回して歩いてました。
あ、今日はなんだ?
スーパーマリオか?と思って
見た目より素早い身のこなしで避けると
後ろのトランクを持った
とてもガールじゃない年齢の女性が、
顔をしかめながら
ハッキリとこう言ったんです。
『なんじゃこいつら、日本に来んなやボケ
邪魔なんじゃ、常識ないわ』
今年初めての『君よく言えたな』案件に
見事に遭遇したよしけんこと
ワガママな人は他人に不寛容なんだなと
改めて学んだ中年です。
#凄い剣幕だったからね
#みんな誰かに迷惑をかけながら生きてるのにね
さて、今朝は。
他責思考に陥る理屈、という話を。
平坦な人生はつまらない。
山も谷もある日々だからこそ、
人生という映画は面白くなる。
嫌なやつは、そんな人生において
山椒のようなピリリとしたスパイスだ。
なんて言うと、少しカッコつけ過ぎやなと
自分でも薄寒くなるんですが
研鑽という文字の通り、
人は研がれて良い形になっていくもの
と、考えると、
やはり、冒頭に書いたような、
非常識で嫌な奴との出会いから
学べる示唆は、ある程度必要だな、と
思わざるを得ないんですよね。
ヌルゲーの方がいい、と
みんな口にするけども、
どう考えても拮抗した手に汗握るゲームの方が
周囲を熱狂させ巻き込んで行くと同時に
自己の成長にもつながるわけで
やはり、たまには、
理不尽が服を着て歩く、みたいな人と
出会っておくのは、悪くないなぁと
この歳で人生を振り返り感じるのです。
ただ、いつもそんな人に出会い
こちらばかりが学びを得てるので
たまには、あちらサイドのことも
考えてみようかな、と言うのが
本日のテーマになってまして。
そもそも、です。
忖度に重きを置く社会であり、
常に集団に気を使う人種である
温和で優しい日本人ですら
なぜ、そんな他責思考、
ワガママな人間が存在するのか。
それは、あるがまま、に、
生きる権利を持っていると
強烈に自認しているから、だったり
でも本当は、あるがまま、に、
生きていけない時間が
人生に多いため、その時間以外は
ワガママに生きることを許していたり
自分以外の人間が生きる世界で、
その各々にも各々の人生がある事を
考えられないから
目に映る全ての人間を
石ころのように思ってたり。
それらが共通して映し出す問題は
欠乏、なのだと思います。
自分は足りないから、できない。
他人は足りてるから、できる。
その差が埋まらないからこそ、
足りない自分は、
自分の好き勝手に自分以外からの搾取で
足らずまいを埋めていい。
自分の不を取り除くために
全ての人を見る事をせずに
勝手気ままに生きてもいい。
いいでしょ、だって
私は「持って」いないんだもの。
そんな心理状態なんだろう、と
予測しています。
そして、相手の正しい行動を見たり
正しく生きる事を勧められると、
自分がこれまで生きてきた人生を
強烈に否定されたように感じて、
時に強い行動や、言葉が飛び出す。
つねに、承認に飢えた状態。
相手からもらうことしか
考えられない。
恐らく、ですが。
他責思考の人って自分のことを
他責思考だなんて一切思ってない。
だから、他責思考の人は
減る事はないし
自分が「不足」しているのは
相手からの搾取であり
実力ではないという
とんでもない理屈を
振りかざすんだろうなあと。
自責思考の人が追い込まれるのは
結局こういった構造が
結構どんな局面や環境でも
整備されているから、
なのでしょうね。
だからこそ、自分は
そういった人間にならぬよう
気をつけて生きたいと思ってます。

