焼き鳥にビール、焼肉に白飯、
ラーメンに餃子、チーズとワイン、
ウイスキーとレーズンバター
日本酒と塩辛、秋刀魚にすだち、
ご飯と、お味噌汁、
コーヒーにあんドーナツ。
あれも食べたい、これも食べたい
ああ美味しい、幸せだ。
と、自分の好きなタイミングで
何も考えなくて食べ続けたとしても
体が養分を吸い取った残りカスを
僕らは排出する仕組みになっている。
お腹が空いていないのに
食べる行為を続けるから
栄養過多になり、消化しない栄養分を
体の中に溜め込むことになり
それが将来何らかのタイミングで
栄養摂取できなくなった時の
貯蓄として、腹や二の腕についていき
最終的に、何らかのタイミングが来る前に
その宿主の生命を止めさせる。
つまり、インプットと
アウトプットの量というのは
適切にコントロールしないと
栄養過多にも、栄養不足にも
なってしまう。
体を大きくしながら、
ハードトレーニングを繰り返す
ラガーの皆様は、
常人の三倍のエネルギーを摂取しないと
【栄養不足】に陥ってしまうし
徹底した軽量化したボディを持つ
陸上の長距離選手も、
長距離走り切るためにも
走り切った後も相当の栄養摂取をする。
つまり、求められるアウトプットが
大きいから、インプットも並行して
大きくする必要があるのだ。
さて、栄養の話はここらでお暇し、
これを教養の話に置き換えて考えよう。
ビジネスの現場では日々、各々、
様々なアウトプットを求められる。
一見単純作業の羅列に見える
業務形態でも、1日の成果を
いかに効率よく効果的にあげるか
アウトプットを求められる。
そして、誰でもできる仕事を、
誰もがやるかで差が出るからこそ
ビジネス領域では、
アウトプットの量と質は求められ
それらをこなすことで一流につながる。
勉強をする、本を読む、という行為は
アウトプットを出し続けるから
インプットしなければいけない人は
自ずと習慣化できているし
逆にいうと、栄養不足があるのに
放置して教養飢餓に気づいていない
多数の大人が存在するのもまた
この世の真実であろう。
このブログだってそうである。
僕にしたら存分なアウトプットだ。
ともすればこの世に
自分の恥部や無能っぷりを
垂れ流すだけになっているかもしれないが
それでもこれらが誰かの目に留まり
その人をエンパワメントできているのなら
こんな誉なことはない。
だからこそ、僕もインプットを
続けないといけない。
なるべく良質で新鮮な野菜を食べたり
丹精込めて育てた新米を炊いたり
愛を込めて育てられた牛や鶏や豚の
命を頂き、栄養分にするのと同じように
良質な文章、丹精込めた内容、
愛のこもった書籍たちから
たっぷりの教養分にする必要があるのだ。
人はなぜ本を読むのか。
それは、教養に飢えているほどに
アウトプットを出しているからだと
僕は感じている。
逆に、インプット過多で
アウトプットを出そうとしない人も
まま存在する。
過ぎたるは及ばざるが如し、という
古き諺にも表されるように、
過多だと支障が出るのは、
栄養も教養も同じである。
教養を本から入れるだけ入れて、
咀嚼して、飲み込む。
それがストレス解消になる。
というのは、
教養を栄養に、本を食べ物に
置き換えるだけで、
どれくらい体に悪いかが
よく理解できるだろう。
つまり、出す必要があるから
入れる必要があるのだ。
最近本が読めないな、と
スランプになるのは
教養の便秘になっているし、
最近、いい仕事ができてないな
と落ち込むのは、
教養の飢餓になっているに過ぎない。
教養飢餓で死にゆくも良し、
それも己の人生だ。
しかしながら、だからこそ
自分に富も名誉も、与えられない。
教養過多で死にゆくも良し、
それも己の人生だ。
しかしながら、その教養は
誰のために使われるべきだったか
反省は促したい。
だからこそ、
入れるだけじゃなく、出そう。
出したいなら、入れよう。
目や耳は口ほどに
養を喰むものだと、私は思う。


