おはようございます。

 

自分に降りかかる様々な理不尽を

自分へのメッセージと捉えて、

その一つ一つから学びを得て、

成長しながら生きています!と

堂々と書いてますが

 

たまにそれらの出来事が

フラッシュバックして

自分の中で筆舌に尽くしがたい

黒い炎のような怒りを抱くよしけんです。

#乗り越えられたけども

#赦せない心の弱さの現れ

#まだまだ研鑽が足りませんな

 

さて、今朝は。

怒り方、鎮め方、という話を。

 

とある人から

 

怒りを抱くというのは

自分の考える評価と

他人とのそれにギャップがあり

自分の考える評価が高すぎるからだ。

 

という話を聞いたことがあります。

 

また別の人からは、


その人の怒りを抱くのは

その人に自分と同じものを

同じレベルで期待していて

それ通りにならないからだ。

 

という話も聞いたことがあります。

 

喜怒哀楽、という言葉がある通り

人が生きる上で大切な要素の

一つに違いない怒り。

 

アンガーマネジメントという言葉が

定着した昨今、今一度、この怒りの

メカニズムを考えてみました。

 

そもそも、僕は何に怒りを抱くのか。

 

最初に浮かんでくるのは、

自分の物差しとの大きなズレ。

 

自分の物差しを「常識」と

定義することが多いですが

 

常識は偏見のコレクションだと

言われる通り、常識の範囲は

人それぞれでしょう。

 

人に優しくても

犬を蹴り上げる人もいれば

肉を食うな!と声高に叫びつつ

人を傷つけることに抵抗がない人も

存在するくらいですからね。

 

ただ、僕の場合は、

正義を軸にした評価、という考えが

強いように思います。

 

正義というのは、

人が人として生きる正しい道理

という意味ですが、

 

例えば情けは人の為ならず、

という言葉にもある通り、

 

人が人として生きるために

このようにすべきではないか?

というものから

 

大きく外れると、

僕は怒りを抱くのだと思っています。

 

隣人に優しく出来ない

隣人に関心を持たない

隣人とのコミュニケーションを持たない

隣人の気持ちを疎かにし

自分の意思決定だけで物事を進める

 

部下に優しく出来ない

部下に関心を持たない

部下とのコミュニケーションが一方的

部下の気持ちやポリシーを疎かにし

自分の意思決定だけで物事を進め

それに反したら烈火の如く怒鳴りつける

 

こういった行為に出会った時に

僕は行き場のない怒りを抱きます。

 

無論、世の中の全ての人に

無差別に怒ることは無く、

 

明らかに正義に反した他人、

例えば駅員に食ってかかる人を見ても

ああ、まあ仕方ないな、

ああいう人にはならないようにしょう

くらいしか感じませんが、

 

自分の命を燃やしている場所や時間

チームや組織に、そういった

正義心のない人間が現れる時に、

言いようもない怒りを抱くのです。

 

その怒りを鎮める方法は

そいつを見ないようにすること。

 

見ない、というのは

物理的に見ないのもそうですし

 

視界に入っても、

それは風景だと思うようにする

ということです。

 

少なくとも私とあなたは

違う人間であり違う正義感を持ち

生きているのだから

 

同じ感覚で生活すること

同じ考えで存在すること

なんてないわな、と思う他に

有効な手段はないように感じます。

 

なるべく気をつけて

使わないようにしている接頭語の

「普通は〜」「常識的に考えると〜」

を、つい言いそうになる程に

 

僕の考えている正義から

はみ出ているけども、

付き合わざるを得ない人からは

 

学びを得つつも、

適切な処置と距離をとっていこうと

思っているよしけんなのでした。

 

人間、そう簡単に

何でもかんでも赦せないものですね。

 

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