おはようございます。


満員電車なのに

背負ったリュックを下さない人を見て

覚悟の違いに痛感するよしけんです。

#きっとあの人たちは

#世の中の何かを背負って生きているはず


さて、今朝は。

友達と仲間について。


ダメだなぁと思いながらも

つい暇つぶしに見てしまう短い動画。


大抵はどうって事ないものが

流れているのですが


たまに、ハッとするような

内容も流れています。


この前は、とある著名な経営者が

学生に向けて、友達と仲間について

語っているそれが流れてきました。


友達とは、利害関係がない関係性

だから、最悪1人もいらない、と。


その人曰く、


自分の成し得たい夢、

自分がそうなりたいあり姿を目指すときに


利害関係のない人とは、

共に歩く事ができないからだ、

というわけです。


だから、本当に必要なのは『仲間』なんだ

と。


麦わらの海賊団を見てもわかるように

彼らは利害関係が一致している事が

前提になって組成されています。


海賊王になりたいルフィについていけば

成し得たい夢に近づくから

彼らはクルーとして帯同しているわけです。


早く行きたければ1人で行け

遠くに行きたければ皆で行け


どこかの国のことわざらしいですが

これが、仲間の定義なんだろうなと

思うんですね。


学生時代には、大抵の人が

大なり小なり、友達問題で

揺れ動くのでしょうが、


クラブ活動を通じて、

擬似的な仲間体験をするときや


各々の夢を追いかけるため

その手段である学校への合格を目指し

切磋琢磨するときに出会う人は


友達というよりも、仲間に近い

感覚なのかもしれませんね。


自分に当てはめて見ると、

仕事の場でも同じ理屈が成り立ちまして


とある形を成し得たい人たちと

共に働ける時は楽しいですし


自分がやりたい、やるべきことを

させてもらえない所で働くと

全く楽しくないです。


会社組織の中で大切なのは

そこに仲間がどれくらいいるか

そこでどれくらい仲間を作れるか

だよなぁと、最近よく思います。


会社を辞める、辞めたいと思う、ってのは

そこに仲間がいないから

という動機もあるんやろなぁとも感じます。



さて、この友達仲間理論と一緒に

常に意識しておかないといけないのが

手段の目的化です。


仲間というのは、

志を同じとした集団であり

とある目的を達するために共に生きる人たち


だけども、その志を達成するために

採用してきた手段が

いつの間にか目的に変わる。


これはビジネスでもプライベートでも

よくある話なんですよね。


仲間だ仲間だと、寄り合って

研鑽しているつもりが


いつの間にか集まって楽しむ事が

目的になってしまう。


大義を持って始めたことも、

代謝が悪いとただの遊戯になる

なんてことは、ザラに存在します。


長年一緒にいると、

仲間ですら友達に変わっていく。


心地よい時間が増えるのは

とても嬉しい限りだけども


目指す場所に辿り着くための

利害関係だからこその

ひりつくような関係性が

影を潜めるってのは

本当に残念に思います。


大義も仲間も、行き先も

固定化し続けるのではなく


定期的に見直すことも

大切だなぁと

最近ふと思ったんですね。


人生は旅であるのなら

行き先が変わることも

パーティに入れ替えがあっても

ある意味当たり前のことなんだろな。


これもまた、諸行無常の理だなと

ひとりごちるよしけんなのでした。