おはようございます。


いよいよメンバーに

1日の移動距離が長いことまで

褒められたよしけんです。

#そこにお客さまがいるのなら

#私は駆けつけます


さて、今朝は。

旅のさせ方、という話を。


可愛い子には旅をさせよ、

ということわざがあります。


その子のことを

本当に大切に想うのなら

いつまでも自分の手元に置かずに

なるべく辛くてきつい経験をさせよ

という意味です、


今の時代の旅は、レジャー

つまり楽しいものとカテゴリーされてますが


昔の旅はそれこそ命懸けですよ。

なんぼほど歩くんや、と。


気候や旅程を読み間違えたら

野宿よろしくな状態になるし。


旅は辛くてキツイもの、という

イメージがつきものだったから

生まれたことわざなのでしょう。


では、近代では、旅にあたる経験は

何になるでしょうか。

単に親元を離せばいいのでしょうか。


僕はそう感じません。


子供達が成長するのは

1人でサバイブしなければならぬ現実を受け止め

その事実に向けて淡々と生活できるように

なった時、だと思います。


うちの場合は、長男も、下の双子も

共に15歳で家を出ていますが


彼らの精神的な成熟スピードは

全然違います。


長男は、20歳を過ぎてようやく

しっかりしてきたな、と思うし


下の2人は、最近はそれなりに

なってきたなぁと感じてます。


あ、長男は長男で

ちゃんとしてるんですよ。笑


ただ、先の『旅をさせる』というのは、

親元を離しただけでは効果が薄い

ということだなぁと思うんです。


長男よりも双子の環境の方が

少し過酷な分、サバイブする時間も

少し早く始まった、のです。


例えば

留学しても、成長する人と

何も変わらない人がいるように


結局は生き抜く力を

つけなければ、と自覚しないと

用意した旅も意味がない。


彼らの例で言うと

クラブの準備や、身の回りのことを

手伝いではなく、自主参画でもなく

習慣にしてこそ初めて


成長に繋がるんだな、と思います。


バックパック一つで世界を駆け回って

様々な経験をしてたとしても


身の回りの凡事に気付かず

動けないのなら、

それは旅とは言わないんです。


うちの子供達も、実家に帰って

だらけてるうちは、まだまだ。


寮にいる時にやっている習慣を

自分で考えず感じず動けるようになって

ようやく、旅の効果があるってもんだな、


そんなふうに

最近特に感じるよしけんなのでした。


社会に出る、というのは

そういうことです。