一番古い記憶は、小学生低学年かな。

時代がおおらかだったからか

生まれ育った町が大まかだったからか

僕は幼ながらに、妹を保育園に

よく迎えに行っていた。

 

いつも草と泥の匂いがする

活発な妹は、

僕の顔を見つけるや否や

両手に握った砂とカエルを投げ捨てて

『おにーちゃん!!』と

駆けつけてきてくれてたっけ。

 

自転車の後ろに器用に乗っけて

家まで話しながら帰ったあの日々は

今もたまに思い出しては

ふふふ、と笑ってしまう。

 

お迎えに行く、というのは

実は結構幸せなことなのです。

 

育児の時を振り返ると、

保育園の仕事はほぼ送り込みのみ

(夜は仕事と酒に溺れてたので)

 

習い事は送り迎え両方

やってたかなあ。

 

特に双子のラグビースクールは

送り込みだけではなく

そのままピッチサイドで見学し

 

そこで半ば強引に

(いや、全部強引に)

コーチとして引き込まれ

 

結局今もコーチとして

所属することになるくらい

彼らと一緒に大きくなった僕ですが

 

やはり、お迎えの経験は

母親のそれとは段違いに少ない。

 

自分自身も送り出されることが

多かったからだろうか。

 

たまに、母と

僕が学生時代の時のことを

話す事があるのだが

 

僕が寮から帰省するときに

迎えに行く時は

本当にルンルンだったそうだし

 

逆に送り出した帰路は

なんとも言えない寂しさがあって

辛かったなあ、と言ってたね。

 

そんなもんか、と思いながら

今日まで過ごしてきましたけど。

 

この前のアクシデントでの

三男のお迎えと

 

今回の充実の合宿を終えた

次男+チームメイトのお迎えは

 

確かに、浮き足立つものが

ありました。

 

前の日から楽しみで

ワクワクしてて

 

これまで遠足や修学旅行の類で

一度も感じたことのないような

お楽しみ感が凄かったんです。

 

おいおい、よしけん。

相手は高校生だぞ?

と笑いたくもなりますが

 

それくらいに、やはり

子供ってのは可愛いし

かけがえのないもの。

 

花園で負けた長男を

早朝から迎えに行った時も

 

新大阪という雑踏すら

キラキラと輝いて見えたほどに

 

親って、子供が好きなんだなあ。

 

子離れできてない?

そう、できそうもないから

早くから家を出したのだよ。

 

胸を張っていうことではないけども

僕は本気でそう思う。

 

幾つになっても子供は子供

これもよく母に言われたけども

 

この前の帰省の時に

その愛を感じつつ

 

いくら限られた時間とはいえ

楽しくて仕方ないもので。

 

大きく手を広げ迎え入れたい。

 

おかえり、と言える嬉しさは

親冥利に尽きるよな。

 

彼らがいて、僕がいる。

なんか最後アントニオ猪木みたいに

なっちゃったけども。

 

それは紛れもない事実。

 

君たちよ、僕の子供として

生まれてきてくれてありがとう。

 

君たちの母親は菅平の時から、

尽くしたくて尽くしたくて

肩をグルングルン回してたよ。

(本当は四十肩で痛いらしいよ)

 

いっぱい甘えて、いっぱい休んで

いっぱい補って、また旅立ってください。

 

戦士には束の間の休息が重要。

ここは実家、どうぞごゆるりと。