おはようございます。


何か協力して前に進む

という表現の中で使われる

『スクラムを組んで』ってやつね、


スクラムを組むって

相手と押し合うことなのですが

前に進みにくいよなぁと

毎度感じているよしけんです。

#確かにスクラムは

#相手と息を合わせないと組めないけど

#そんなこと知らんやろし


さて、今朝は。勝ち負けについて。

勝敗、というのは厳密なルールに

基づいて決まるのですが、


それはあくまでスポーツやゲームの世界

だけの、専売特許と言っても

過言じゃないのかもしれません、


例えば、僕の仕事では

営業成績を競い合わされて、

勝者にインセンティブをつける事で

メンバーの力を引き出す、という

古典的な手法が存在しますが


それは、仕事のゲーム化であり

楽しくやろうという

マネジメント側の心遣いだったはずです。


そういえばとある部署の時は、

毎週毎週キャンペーン活動を張っていて

インセンティブの効果も測らずに

無闇矢鱈にこんなことやってて

意味あるんかなぁと思ってました。


そんなもの無くても、やる人はやるし

やらない人の原因を取り除くような

動機付けには不十分だからです。


話を元に戻します。


生きている上で、

勝ち負けってのは

中々わかりにくいもので


例えば、志望校に入る/落ちるとか

レギュラーに選ばれる/選ばれない

という結果はあったとしても


それが、何の勝ち負けなのかは

全くわかりません。


勉強にしても、スポーツにしても

その人が『好きだから』やるものであり

嫌なら辞めたらいいと思う。


ただ、人間ですら『無くて七癖』

勉強にせよスポーツにせよ

嫌いな要素があったとしても

全体を見たら好きって事はあるでしょう。


だから、本来はそこに勝ち負けなどなく

楽しい事、好きな事をやったらいいのです。


勝ち負けにこだわったグレードで

戦いたいと望む人が、

より高いレベルに行けばいい。


望んでも、そこに辿り着かなかった事を

簡単に負けた、と感じがちですが


挑戦した事はその後の人生の

大きな糧になるし、

本来そこに勝ち負けは存在しない。


だから、生きて行く中で

勝った、負けたと一喜一憂して欲しくない。

この長い道程を、どうか楽しんでほしい。

それも、自分のために。

キャリアがどうとか、関係なく。


あと100年もすれば

これを書く僕も、これを読むみんなも含め

皆死にます。抗うことの出来ない事実。


だから、勝ち負けは、

スポーツやゲームの中だけに任せておいて


自分の人生に集中しましょう。


勝ち組、負け組、なんて区分け

本来はないんやから。