おはようございます。


防犯カメラを略して

防カメと書いてる映像を見たのですが

それならカメラと書けばいいのにな、と

表現の難しさを感じたよしけんです。


さて、今朝は。

予見と伝達、という話を。


『気をつけて行ってね』

『まっすぐ帰ってくるのよ』


僕自身何度も親から言われ、

耳にした言葉であり


僕自身が何度も口にしては

やきもきした言葉でもあります。


親というのは、

木の上に立って見ると

書きますが


その由来通り、目の前の迷う子供より

俯瞰して物事を見て


先に起こりうる厄災を予見して

注意喚起する生き物。


自分が親になり22年目の春を

迎えるにあたり、


また、日頃の仕事を通じて

様々な人間と出会い

データを蓄積した結果


げに親というのは、責任重大であり

知見を集めることの重要さを

痛感する毎日です。


彼らが一歩外に出ると

無事に帰ってくる保証など

何もないからこそ、


せめて無事に帰ってきて、と

親は子に暗示のように今日も

気をつけて、と声をかける。


世界のあちらと、こちらの

境界線は常に誰の傍にも引いてあって

散漫に生きると、ついうっかり

その線を越えてしまうもの


その事実を知っているからこそ、

親は子に真っ直ぐ帰っておいで、と

声をかけるのでしょう。


しかし悲しいかな

全知全能の顔をした若人には


そんな言葉の本質を受け取らず

勝手気ままに生きても自分は大丈夫

という顔をして、

世の中を闊歩するもんだから


その心が伝わらないことも

しばしばあるわけです。


いつまでも子供扱いしやがって、

と、ほぞを噛んだとしても


僕の親は、永遠に僕の親であり

僕の子供達は、永遠に僕が親なわけです。


親子がいがみ合い、憎い、嫌いと

ぶつかり合う家庭もあるでしょうが


それは、歪み愛にしか過ぎず

お互いを無意識に認めるからこそ

出てくる感情なのだろうな、と

僕は思います。




さてさて、話は少しだけ

脇道に逸れますが


経営者というのは孤独な稼業だな、と

日々感じています。


僕は社長でもないし、

経営に少しだけ携わってるに

すぎない存在なのですが


その孤独さ、をとても痛感するし

相談役という英語である

コンサルタントという仕事が

この世から無くならないのも

理解できます。


先の親子の話と似てる部分が

経営にも過分にあるから、です。


経営に親子関係が絡むと

さらにその様相は難解度合いを

増していきます。


でも、親は、どこまで行っても

親なんだなぁ、と、

横から見る僕は思うんですよね。


人が人の気持ちを簡単に

でも完全に理解出来るシステムがあれば


言語化が得意じゃない人でも

心を明記できる機械があれば


ミスコミュニケーションは

起きないのですが


そんなシステムや機械は

この世にはまだ存在しないので


歪み愛のリングの上で

バチコリ戦う人々が現れる。


思いはおんなじなのにな。


どうしてもお互いに

期待するんだろうな。


俺の可愛い子供だから、

わからないはずがない。


あんなにすごい父親なのだから、

わかってくれて当然だ。


そんな思いが根底にあるからこそ

なのかもなぁと思います。


売り上げをあげ、コストを減らすこと

だけが、コンサルタントの仕事ではなく


そういった感情のもつれを

少しずつ、でも確実に解きほぐすのも

寛容だよな、と


改めて感じたよしけんなのでした。