おはようございます。


ホテルの朝ごはんで

食べすぎる人生を初めて

早幾年のよしけんです。

#出張太り

#出張太りって何だ


さて、今朝は。

ルッキズムの弊害、という話を。


ルッキズムとは、

外見重視で人を判断したり

容姿で差別したりすることを指します。


例えば男女でご飯を食べるときに

大盛りを頼んだら男性の前に来ることや


見た目がだらしないから

危険人物とみなすことや


可愛いからって、賢いと思う事。


ヘソだして歩く人や

タトゥーがガッツリ入ってる人を

どことなく危険視してしまう事だったり。


例えば、今僕は電車の中で

このブログを書いてるんですが


目の前にダラリと座って

スマホでゲームをしてる

制服姿の高校生が居まして


極めてだらしないし、

ラッシュアワーに譲り合わない

座席の座り方が頂けないなぁと

思うわけですが


これだから高校生は、とか

これだから〇〇高校の人間は、とか

発想してしまいがちですよね。


ルッキズムを逆手に取って、

ネクタイとスーツさえ着ておけば

まともに見える、

まさに『馬子にも衣装』な実例が

あるように、


人って、見た目にかなりコントロール

されているように思います。


思えば僕も随分このルッキズム偏重の

世の中に悩まされた一人です。


太っているというだけで、

愚鈍と扱われたり、醜いと言われたり

バカにされたり。


チビとハゲは仕方ないけど

デブは努力不足!という言葉は

今でも僕の心に残っています。


それだけ、ルッキズムは

人間社会の中に蔓延っています。


それを完全に取り除くべきだ!

と言いたいわけではなく、


人間ってのは誰しもがバイアス

つまり偏重性を有していて


自分の常識があまり当てにならない事を

あらかじめ知っている方が

豊かに生活できるよ、という話です。



さてさて。

そんなルッキズムの話を

身内から聞きました。


対人だけではなく、対物に対して

強烈なルッキズムを発揮し


現場がもめにもめた、という話。


例えば、

苺大福や生ハムメロン、

おにぎらずが市民権を得る前、


その外見から

それなりに苦労したと思うんですね。


AirPodsも耳からうどんが出てるみたいだと

未だに感じる僕がいるわけですから


見慣れない、というのは

それだけで排除の対象になる。


しかし、見慣れないモノに対して

最初から排除しようと考えるのは

実に愚かだな、と思うわけです。


そこにちゃんとした意図があった上で

存在する物に対して、


自分の感想が

あたかもこの世の全ての声のように

考え、太刀振る舞うというのは、


豊かさからかけ離れてるし

悲しい事だと、

その話を聞いて僕は感じました。


千三つという不動産の言葉があります。


千個案件にあたって、

これは!と思えるのは3つだけ、という

調達の難しさを表した言葉なのですが

確率で表すと0.3%。


世の中に広く認知されるモノを

作ることができる可能性も

そんなもん、

いやそれより少ないかもしれません。


寛容さというのは、

ある程度知能指数と相関するでしょうし


心のあり方を大切にすれば

自ずと寛容になっていくでしょう。


ルッキズムに伴う無自覚なバイアスが

強烈に他人を傷つけることがある、


という事を改めて自覚して、

生きていこうと思ったよしけんでした。