おはようございます。


そういえば今日は母の誕生日ですが


僕がここで書くと

周囲の人に、母親が聖人のようだと

揶揄されるらしいので

今年は自粛したよしけんです。

#母はいい人ですよ

#飲み会の途中で勝手に清算するけど


さて、今朝は。

幾つまでが子供なのか、という話。


僕は、父親から

『テメェで稼いでから意見しろ』的な

ことを、よく言われては

めっちゃ悔しい思いをしたので


さっさと大人になりたかったし

15歳で家を出て、20歳で故郷を離れ

25歳で家を建てて、大正解でした。


早く自立したくて

大人になりたくて

しゃーなかったので。笑


ただ、お金のリテラシーが低く

ダメリーマンだったので

30代までそこそこ苦労しましたが。笑


母は、僕が早くから家を出て

寂しかったと言ってますし


妻も長男を早くから送り出したし

双子もこの春居なくなるから

寂しいでしょうが


子供ら当人たちにとっては、

好きなことで夢中に生きられる環境を

手にすることって、


マジで、ありがたいものなはずでね。


親は子供がしたいことを

させてあげて当たり前、と

思う子供もいるでしょうが


そんなこと微塵もしない親や

自分のことしか考えない親も

一定数存在するのも確か。


また、今の時代は

両親が揃ってるということも

当たり前とは言えなくなりました。


親ガチャと揶揄されますが

割といいガチャを引いた彼らは

奇跡の中で、今生きています。


しかし彼らにとって、こんな環境は

『当たり前』のもの。


やってもらって当たり前。

払ってもらって当たり前。

連れて行ってもらって当たり前。

全てにおいて当たり前。


そりゃ仕方ない。子供だもの。

別に恩を着せるつもりも

微塵もございません。


自分が育った環境よりも

いい環境を整えたいと思うのが

親の本音でしょう。


僕もそう思って、

これまで生きてきました。


しかしながら、

事態はなかなか簡単ではないもので。



最近、高齢化と同じくらいに

幼稚化という言葉を耳にします。


年齢に不相応な大人が

増えてきている、ということですし


高校生みたいな大学生

中学生みたいな高校生

小学生みたいな中学生

幼稚園児のような小学生

が、増えている、と。


世の中が平和になった証だなぁ、

と、昔は思っていたのですが


どっこい、生き急がないのは

我が子にしたって同じこと。


幾つまで

親のスネをかじるつもり?


幾つまで

親からの施しを『当たり前』と思う?


努力しないのなら、

義務教育が終わった時点で

世の中に労働力を返してくれ、と

僕は本気で思っています。


学歴はそりゃあったら便利ですが、

本質的なことはそこじゃなくて


どう生きたいか、その人生に

それがどう生かされるか、しかない。


…見渡すと、割と身近に

見た目は高齢者、中身は子供な奴が

そこそこ存在していて


あぁ我が子たちも

そんなふうにならないで、と

めちゃくちゃ切に願うわけです。


親元離したら成長する

ラグビーを通じて成長する

人との出会いで成長する

仕事を通じて成長する


ってのは、そいつ次第だな、と

最近めっちゃ感じます。


若者よ、カッコつけようぜ。

さっさと大人になろうぜ。

ダセェぞ、本当に。


その牧歌的なポジションを譲って


さっさと、このイスを

奪いに来いや。


自分が20歳の頃は

こんな緩く生きられなかったもの。


彼らを見てると

このままだとやべーぞ?って

最近本気でそう思います。


我が子を溺愛してますが、

一緒に溺れる気はさらさらない

よしけんなのでした。