おはようございます。


とある人から本をプレゼントされましたが

その本がたまたま今僕が読みたい本で

小躍りして喜んでました。


ただ、日々の疲れにかまけて

リビングに置きっぱなしにしていたのですが


その本の題名を見て、妻が長男に

『ほんまにその気らしいわ、

 あの人とは価値観が違うからわからんわ

 子供の学費があるんなら勝手にしたら』

と、話してたらしく

(まぁ先日直接本人にもそう言われたんやけど)


なるほど、

そんなメッセージ性があったんやな

ありがとう、と思ったよしけんです。

#仕事の辞め方

#鈴木おさむ


さて、今朝は。

ポジショントークはみっともない

という話を。


人間皆、不平等。

持つものと持たざるものが

この世にはどうしても存在してしまいます。


こと、資本主義の日本では

大小様々な差があれど

その格差が人を動かす原動力になってたり

その人を止まらせている抑止力になってたり

様々な要素がはらんでいます。


じゃあ平等均一化がいいのか?と

いうとそんなことなくて


その差があるからこそ

面白みが生まれるし


その差があるからこそ

余白、ってのが生まれてくるのだと

僕は思います。


ただ、やはり、

どこまで行ってもカッコ悪いのは

自分の優位性を振り翳して


自分より立場の弱い人を

犠牲にする人で


緊急時のトリアージならまだしも

平常時にそんなことしたら

ダサくてカッコ悪くてもてません。


高級なおべべを着ていても

人間としての『臭さ』が漏れてきて

なんともどうしようもないな、と

思う仕上がりになってしまいます。


弱気を助け、強気を挫く

ほどの正義感は無いにせよ


僕らは無意識に特権を持つケースがあり

その特権を無意識に行使して

無意識に持たざる者を追い込んでいる

なんてこともあると思ってます。



さて。ここ最近、

自分より優位な立場の存在から

かなりの暴挙を振るわれる事が

続いています。


え?今なんて言ったの?

と耳を疑いますが


できれば嘘であってほしいと

思いますが


その事実が覆ることはなく

結局、案件として僕の目の前に

横たわるのです。


で、思うんすね。

ポジショントークするやつは

本当にダセェな、と。


自分らの優位性を知ってか知らずか

横暴な立ち振る舞いをする人は

しばしば目の前に現れます。


飲食店で偉そうな立ち振る舞いを

取ってる人間だったり


愛想笑いを自分への好意と

取り違えたりするような人間と同類の


自分さえ良ければいい、という輩が

BtoBに従事すると本当に出てきます。


これは、僕自身への天啓なのか?と

思い悩む事もありましたが、


なんて事ない、これが

僕が所属する会社組織のカルマなだけ。


看板の副次効果、とでも

言いましょうか。


相手の立場に自分が立って考えても

そんな立ち振る舞いしたら

誰もあなたのために尽くさないよ?と

思うのですが


相手をそうさせてしまうほどの

原因はこちらにもあるんだろうな、と。


対外的にもそうですが

体内的にもそうで


いわゆるハシゴ外しを簡単に行う人は

自分の人生を守るために『必要な犠牲』と

考えているのか


ただ単に感受性がないのか

わかりませんが


サラリーマンとしてめちゃくちゃ嫌なのは

いくらこちらが人として整えようと

日々コンディションしても


役割上そんな無粋な

人間とも付き合わなきゃならんこと。


こちらはニコニコしてますが

はらわたは煮えくり返ってます。


自分が強い権限を持つ事を

意識せずに立ち振る舞う人って

人にはモテないよなぁと思います。


そのポジションが無ければ

僕は君に使う時間はないよ。


そんな事を感じながら

一つ、また一つと、

明日からも事案を解決していこうと

考えているよしけんなのでした。


でもまぁ、僕自身も気をつけないと

あかんなぁ、と思います。


優位性があるときこそ、

丁寧に、冷静に、相手を慮ろうと。