おはようございます。


子供のはしゃぐ声を聞いて

騒音に感じる人がこの世には

おられると見聞きしますが


自分も昔そうだったことを

忘れてしまったという

なんとも人間らしいなと

感じるよしけんです。

#子供責めるな来た道じゃ

#老人責めるな行く道じゃ


さて、今朝は。

知っても、やらなきゃ、

出来ないよ。という話を。


昔、淡路島まで行って受けた研修で

聞いたとあるエピソードなんですが、


昔、男子フルマラソンで、2時間を切るのは

無理だ、と言われていた時期が

あったそうなのですね。


それが定説だ、と思って、

選手は体づくりをしていた、と。


しかし、その定説を疑って、

いや、いけんじゃね?いけるっしょ!と

チャレンジした結果、

2時間台を切る事ができたそうなんです。


そこからが面白いのですが、

その2時間を切った年に、

他のランナーも軒並み2時間を切って、

最終的に数十人がその記録を作ったらしく。


いかに人間の限界突破を邪魔してるのが

人間自身の思い込みなんだなぁと

学ばされた、って話なのですが


例えば、ラグビーにしてもそうで、

僕が競技をしていた頃は

日本が世界と互角に試合が出来る


まさか一度でも南アフリカや

アイルランドに勝つなんて

思いもよらないわけですよ。


それが、ブレイブブロッサムズと

そのスタッフの皆さんが

まさに自分の人生を賭けて、

ブレイクスルーしてくれたから


今や、世界とどう戦うのか?という

論調になったし


先のフランスW杯でも

たった、2勝と揶揄されるほど

『強くなれた』わけですね。


定説というのは、時に指標となる

大切なものですが、


より高みに進むにあたっては、

疑って見直すことも肝要だよなぁと

こういったエピソードから

思わされる次第です。


さて。


百聞は一見にしかず、という

ことわざがある通り、


人間というのは、

聞いた事ではなく

実際にその出来事を見る事で

『なるほど自分も出来るのだ』と

思う人がようやく現れるわけで、


自分が成し得たい人生を送る人が

仮に目の前に現れていたとしても


何かにつけてその人と自分を比較し

わざと卑下してみせて、


例えば、学歴がないだの、経験が違うだの

実家が太いだの、嫁さん可愛いだの

自分にないものがあるから、

その人は『自分がなりたい人』に

なれたんだ、と思い込もうとします。


君にはできるよね?

でも、僕にはできないんだ。


卑下してるように見せながら、

バカにしてるようなスタンスを取って

自分の中の均衡を保ちながら、

自己肯定感を高め、プライドを保つ。


100回聞いて、100回見て

見本まで見つけているのに

自分が変わろうとしないから

何も変化がありません。


でも、それでもいいんです。

だってその人の人生なのだから。


ただ、組織の恐ろしいところは、

そんな人に、

人生をコントロールされている人が

たくさんいることで、


リーディングする立場の人が、

自己研鑽を繰り返さず

アップデートしないのなら


その組織体は、徐々に朽ちていき

どこかで一気に崩れます。


そんな見本市を定期的に見せられる

こちらとしては、


悲しいけど、

助けには行けないんですよね。


その人が変わろうとしないのであれば

助けようと伸ばした手を

跳ね除けられるのがオチ。


個々人の問題ならいいんですけどね。


サラリーマンとして

ノーリスク人生を歩むのであれば


チームビルドに

心血を注いで欲しいよなぁと

切に思うよしけんなのでした。