おはよう御座います。

 

冬はつとめて

よしけんです。

#がっつり寝坊しました

 

さて、今朝は。

口に出すだけで良いわけじゃない。

という話を。

 

気持ちの上ではそんなことは

全くないのですが、

 

まだ若手くらいの気持ちで

駆け出しの頃の感情で

生きているのですが、

 

重ねる年齢と、それに比例して

増えていく贅肉と

 

自分から買いに行って

苦悩して乗り越えた経験の

あれこれが

 

自分がもう若くなくて

あの日あった説教くさい

おっさんになっていることを

痛感させられます。

 

先日夕刻、タクシーの中で

チケットの金額を書こうと

手元を見ると

 

歪んでよどんで、全く見えなくて

何度もまばたきするのに

その状況は改善されなくて

 

新鮮な絶望感を抱いた時から

これもまた成長かと

鈍い痛みと共に

感じていたのですが

 

やはり、どうしても

僕はおっさんです。

(=学生生活から遠ざかった人)

 

話少し脇道に行きますが、

 

刷り込み効果って

あるじゃないですか。

 

ひよこが初めてみたものを

親と認識してその後をついて行く

あの効果。

 

それが仮に誤りでも

結構強力です、簡単に抜けられない。

 

それは人間の世界でも同じで

身近な大人、親や義務教育時代に

先生から希望せずとも受けた

教育プログラムというのは、

 

確実に各々の奥底に

残っているわけです。

 

あ。

 

学校に行けるだけ幸せだろうが

みたいなツッコミは一旦

脇に置いておいてください。

 

そこで意図せず育んだ

あれやこれやが、

 

社会に出る

(=自分で生計を立てる)と

時に大きな手枷足枷として

邪魔をすることがある。

 

僕自身は驚くほど

素直な男の子だったようで

 

そのシステムからの

刷り込みからの悪影響に

大人になって

相応に苦労しました。

 

今は壁にぶち当たる度に

結果ではなく原因を考えるような

思考回路になったので

あまり困らないのですが、

 

過去の僕と同じように

呪縛に苦労している

大人たちを毎日毎日拝見します。

 

それだけ刷り込みは恐ろしい。

 

そしてその刷り込みから

表面上逃げ出そうとし

強がった口上で生きていても

 

それは単なる

「逆張り」の思考でしかなく

とても空虚なものです。



さて、話をおっさんの

メインストリートに戻しますが

 

おっさんになると、

幼気な若者の誓いを

耳にすると、

 

む、と口を閉じざるを

得ないのです。

 

キラキラした目、

ハリツヤのある肌、

モラトリアムの中に

置かれた環境から発せられる

奔放な意見に

 

心をえぐられます。

 

若者よ、

君が発したプランは

朝鮮と呼ぶものではない

 

それはこちらの世界では

無謀と言うんだよ。

 

そんな言葉を

昔のサザエさんの

エンディングのように

んがくくと飲み込んで

 

へー、すごいね

若いのに立派だね

 

と、毒にも薬にも

ならない言葉を発するしか

僕にはできないのです。

 

6・3・3・4の

教育システムの

恐ろしい刷り込みが

 

彼らの意識下には

きっちり横たわっていて

 

寝て起きて同じ生活をすれば

「来年には出来るようになっている」

と誤解している。

 

しかも無意識に。

んなこたあないのに。

 

証拠にほら。

今、君たちはなるほど、

確かにと声を出しているのに

そんな顔をしているのに

 

アドバイスに

メモ一つ取らないんだもの。

 

メモとったほうがいいよ

明日には忘れてますよ

と伝えても

 

なるほどそうですね、と

変わる様子がない。

 

頭ごなしに否定するほど

僕が気にかけるような

若者は別に存在しません。

 

強いて言えば自分の

息子たちだったり

 

その周辺の友達くらいには

 

真剣に相談を受けたら

懇切丁寧にレクしますけど

 

自分自身が成長したいと

思っていない若者に

 

おっさんが

感情を乗っけて話すのは

時間の無駄だなあと痛感した

よしけんでした。

 



おっさん一人

営業できない人間を

誰が応援すると思うのだろうか。

 

世の中はおっさんと

おっさん化したおばさんが

仕組みを作ってるというのに。