おはようございます。


正論というのは、世の中からの

罰則対象なんだろうなぁと

自身の経験から感じるよしけんです。

#嫌がられるよね

#家まで燃やされたし


さて、今朝は。

学問という話について。


このブログでは、営業だったり

働く人のあり姿、スタンスだったり

マネジメントだったり、

チームビルディングだったり


はたまた子育てだったり

ラグビーをキーに考えたり

読んだ本を紹介してみたり、と


割と雑記帳的なモノに

なっています。


思いついた順に、その日の気分で、

ほぼ毎日書いてます。

(たまに書き溜めてます)


僕にも43年の人生経験があり

ビジネスパーソンとしては

20年超の知見があるので


それなりのナレッジというか、

ノウハウというか、溜まってまして


こういう時はどうしたらいいか?

こんな人の場合はどうするか?

などの問いに応えることは出来ます。


しかしながら、それを

体系立てて何かにまとめているか?と

聞かれると、

そこまで出来ていない。


今まではその事に対して

何も思っていなかったのですが


この前ふと感じたのが、

『だから、学問というのは凄い』んだな

ということ。



例えば、そうだな。

国語を例にとると、


母国語の浸透、識字率の向上のための

読み書き練習があり、


音読み訓読み、当て字云々の

日本語の難度をむっちゃ向上してる

内容を学び、


現代文では、小説だったりで

人の気持ちを考え、そんな時は

いかに表現するかを学び


また説明文では、

レポート作成の基礎を学ぶ。


主語と述語の関係を把握する事で

日本語をより深く理解するようになる。


そこに加えて、古文では、

その当時の情景であったり、

人の心の在り方を学び


言語というのはこうやって

変わっていったのかという

変遷も理解できる。


漢文については、その古文よりも

さらに古い歴史を知り


人の原則は数千年何も

変わらない事に

おののくわけです。


伝えたい事を以下に

短く簡素に、しかしながら

情景深く伝えるかを考えた短歌や


昔は、目に映るこの光景を

人に伝える術は無かったので


5・7・5のリズムに乗せて

写真代わりに作られた俳句。


それに加えて、

日本語の使われ方を

10の用途に分けて考えたり

活用方法だったりを仕分けたりする

まさに言葉のエンジニアリングな文法。


ここまでカテゴライズされて、

いつに何を学ぶべきかが

作られている事に


今、改めてこの国の学問の

凄さに驚愕するわけです。


僕の雑記帳を編纂したとしても、

学問まで作り上げる事は

容易ではないと思います。


学びというのは、だからこそ尊くて、

先人たちのナレッジの詰め合わせ。


しかも、パッケージもわかりやすい。


自分の足りなさ加減を

今日も今日とて思い知らされて

精進せねばなぁと思うのでした。


本を自費出版しませんか?という

打診を過去に受けた事があり


かなり悩んで、辞めたのですが

その理由は、動機の弱さでした。


学問として、語り継ぐべき内容が

出来そうなのであれば


一つの書にまとめても、

いいのかなぁと、


ふと、そう感じたよしけんなのでした。