おはようございます。

 

今日、髭を剃ります。

よしけんです。

#髭も白髪まじりだなあ

#これはこれでアリ

 

さて、今朝は。

自責と他責を再度考えた、

という話を。

 

人間というのは、

恐らく全員そうでしょうが

色眼鏡をかけているわけです。

 

いわゆるアンコンシャスバイアス

ってやつ。

 

しかもその色眼鏡は、

自分がこれまで接してきた

人々から「かけられる」もので

 

自分の意と反して、

かけられてしまうものですから

 

自分が色眼鏡をかけていること

すら、誰も気づかない。

 

親から、学校で先生から

集団生活で先輩から

部活動で顧問から

テレビから、ラジオから

音楽から、

道ゆく大人から、何から。

 

僕らの常識というのは

「無意識に培った経験」

という危ういものの上にある

砂上の楼閣なのに

 

社会に出るまでに

やり切った、という

証として、卒業証書を持って

揺るぎない自信にして

 

社会に出てきて、

ボコボコにされて、

また新たな普通を

思い知らされていきます。

 

そして、自分の良きところで

線を引いて、

 

あちらが責任範疇外で

こちらが、私の責任範疇だ

と決めてしまう。

 

それは人間関係でも

夫婦関係でも、

交通におけるそれも

列に並ぶ人々でも

全て同じで、

 

責任範疇を各々で作り

自責/他責というワードで

各々の世界を、色眼鏡を

普通を保とうと

一生懸命になります。

 

それも恐ろしいことに

無意識的に、です。

無意識的に、守るんです。

 

だから皆口を揃えてこう言います。

「普通でしょ?」「普通はさー」

 

この事実に向き合った2023年、

色々色々色々考えて、

何度も絶句して、

 

最終的に、距離を置くという

手段でしか無理だなと

まで思いました。

 

それくらいに、

アンコンシャスバイアスというのは

恐ろしいものです。

 

 

ところで。

 

今月、とある場所で

講義をする必要があり

 

受けたはいいものの、

なんせ資料を作る時間がなくて

 

そしてなんせサビ残は

大嫌いな僕は

 

スケジュールを俯瞰し

ここしかないと、

この前作り上げたのですが、

 

そこで改めて、

この自責/他責のメカニズムと

向き合うことになりました。

 

というのも、その講演でも

責任感がふれて欲しい

一つのテーマになっていたため

書かざるを得なかったのです。

 

熟考した結果、先に述べた

「自分の良きところに線を引く」

という概念

 

どうやら、ここが一番の

問題なんだなと理解しました。

 

自責と他責で線を引いていますが

それら二つが隣接している

わけではなく

 

その二つの間に

「自責か他責かを協議して決めるもの」

が涅槃像のように

大きく横たわっているなと

気づいたんです。

 

僕が自責/他責で頭を痛めていたのは

僕の自責と他責の物差しが

許容する範囲以上に

この協議範囲が大きすぎたから。

 

社会人として、親として、

先輩として、ラガーとして

そして人として、

 

そこは当たり前でしょうが、

という範囲なんて

 

本当に人によって

めちゃくちゃ違う。

 

そりゃそうだな、確かにな。

妙に納得したんです。

 

相手にとって、その協議範囲が

協議範囲と思ってもらえるまで

また時間がかかる

 

最悪には、一生協議範囲と

把握せずに死んでいく人もいる

かもしれません。

 

それだけ、自責/他責の間には

大きな谷がある。

 

そう考えると、

自責の念というのは

実はとても無責任な言葉です。

 

自己責任、という言葉が

蔓延する地獄のような世界に

生まれ変わり早幾年。

 

きっと各々の自責範囲は

狭くなる一方なのでしょう。

 

この国の品のないリーダーたちも

さぞ、自責範疇が狭かろうな。

 

だって、彼らは

国民の写し鏡なのだから。