藤田和日郎さんという漫画家が居る。

うしおととらという名作を皮切りに、

ホラーファンタジーの代表のような

漫画家さんである。


僕は彼のほとんどの作品を

今まで読んできた。


彼の作品には、必ずと言っていいほど

人を元気付ける勇気のヒーローと、

この世の悪を全て集めた様な

酷い悪役が登場しては、


その2人の丁々発止のやり取りや

コントラストに読者は一喜一憂する。


そんな彼の作品に、

『からくりサーカス』というものがある。


ゾナハ病という謎の病に罹患した青年と

妾の子として弱々しく生きる少年

そして、その少年を命に変えてでも

守る様に命じられた絶世の美女という


初めから展開が読めない

ハラハラドキドキの活劇である。


その絶世の美女の名前は、

当初、こう呼ばれていた。


『しろがね』と。


その名に相応しい白銀の髪を揺らし

人よりも雄に大きい傀儡人形を操る彼女は

美しく物悲しく、まさに生ける芸術であった。


そんな彼女を枕詞に飾る

行列のできるカレー屋さんが、ある。


その名を『白銀亭』

はくぎんてい、という。


その瀟洒な佇まいとは裏腹に

昼間は凄まじい行列。


その行列を眺めながら、

時間のない僕はいつもいつも

店に入るのを躊躇していた。


10数年前、一度だけ、昼下がりに。

行ったことがあったが、

美味しい、以外の記憶は


置いてから3ヶ月後の芳香剤の

香りの様に、何も残っていない。


先日、昼休みにヘビーな

打ち合わせがあって


さすがにこのまま仕事は嫌だ。

何か食べたい。何にしようと考えて


ふと浮かんだのが、ここである。


時間は正午を1時間と半分過ぎた頃。

列は成してないものの、

店内はそれなりに混んでいた。


コの字型のカウンターに10と少しの席。

黙食よろしく老若男女脇目も振らずに

カレーと対峙している。


『いらっしゃいませ』の爽やかさに驚き

『か、カツカレーを』とうわずる声。


あぁしまった。トッピングのチーズも

大盛りのオーダーも忘れてしまった。


あの、ええと、その、なんだ、

あれか、言おうか、どうしようか。


そんな逡巡を他所に、

じゅーーっ、サクッサクッと

音がして、


どうぞ、と目の前に

絶品のカレーが届く。


まぁいい。腹八分目だ。

静かに両手を合わせては、

頂きます、と呟く。


カツは小さめだが分厚く、

しかし脇役であることを理解しており


カレーは柔らかい口当たりに反して

後から辛味が追いかけてくる。


うわ!辛っ!うまっ!辛っ!うまっ!

僕の中のリトルヨシケンは忙しく反応する。


気づけば誰よりも大皿に一心不乱に

向き合っている自分がいた。


美味い、美味いんだ。

カレーなのに、上品。

カツなのに、繊細。


まさに、しろがね、そのものだ。


あっという間に食べ終えて、

福神漬けと玉ねぎの甘酢漬けを

口直しにポリポリ。


水を一気に流し込み、

大きく息をつく。


こんなに満足度が高い10分が

この世にあるのだろうか。


僕は食べ物に美味いものあれど

まずいものは無いと思っているが


庶民的な食べ物でも

美しいものもあるのだ、と

改めて気づいた。


それはまるで、劇中で白銀(バイイン)が

心を奪われた、フランシーヌのよう。


美しく、暖かく、美味しくて、可憐。


皆さんも一度行かれる事をおすすめする。

騒然とした直後、昼下がりに

狙ってみてはいかがだろうか。



ごちそうさまでした。と

寒風に吹かれて歩く帰り道。


腹八分目で良かったと

改めてかんじたのだった。