おはようございます。


いつかしないと、と

ペンディングしていた仕事が

5分で終わってしまい


人間の作り出す心の障壁の

ええ加減さを感じるよしけんです。

#単なる怠け者とか言わんといて


さて、今朝は。

不義理の落とし穴について、少々。


不義理だなぁ、嫌なやつだなぁって人

たまにいるじゃないですか?


頼む時だけ丁寧で、

こちらが困ってる時には無下に断る人とか


お願いされたからその話に乗ったのに、

そこから前提条件を変えて

どんどん過発注してくる人とか


ここまででいいよ、と言ったのに

そこで終わるともう終わり?と言う人とか。


んだよもぅ!!って

なりません?


刻石流水という高尚な言葉があります。

受けた恩は石に刻み

与えた恩は水に流せ、という意味。


人間というのは恩について、

与えたもの>>受けたもの

という方程式が


心理的にも成り立つ事が

立証されていますから


その高尚な言葉は、

楽しく生きるためのキーワードとして

とても重要なのかもしれません。


ただ、人間の辛みは、

『ブルータスよ、お前もか』

という言葉にもある通り、


愛して信頼していた人の裏切りは

更に堪えるものでして、


恩や、愛への裏切りって

水に流せないものみたいです。


最近、僕もそんな裏切りの話を

耳にしました。


与えて与えて、分け与えて

育てて、期待して、裏切られる。


不義理というのは、

何時僕らの負けに現れるかなんて、

わからないものですね。


与え手からすると、

ここまでやったのに。

自分だったらそんな不義理できない。

と感じるだろう事も


受け手からしたら、

いや、自分にとっては

大した問題ではない、と

感じる事もあるでしょう。


与え手と受け手の心の天秤は

常にアンバランスなのかもしれませんね。


では、僕らは不義理を感じた時に

どうすべきなのか。


それは自分とその人どちらも

第三者的に見つめ直し、

その事柄だけに集中することです。


自分だったら〇〇で当たり前!

という思考が、実は一番危ない。


自分の常識は周りの非常識に

なるケースもあるので。


不義理を受けた時は

自分に立ち返り、

何をどうして来たかを考えて、

次の人間関係に活かせばいい。


そして、世の中は因果応報。

誰かに何かをされた分、

あなたも誰かにそうしてる可能性も高い。


そういう視点で省みるのも

いいことかもしれませんね。


元々短気な人間ですし、

若い頃はずーっとムカついてましたが、


年々いい意味で

他人に期待しなくなった僕は


やられた!なんやねん!と

思う事もグッと減りました。


期待するは己の勝手

裏切られるは己の徳足らず。


まさに、不徳の致すところ、ですね。


では、皆様。

今日もいい1日をお過ごしください。

よしけんでした。