おはようございます。


雰囲気をふいんきと言ったら

代替をだいがえと言う人を

目の前にすると、

ザワッとするよしけんこと

小さい事を気にするマンです。

#メールの本文のすいませんも気になる


さて、今朝は。

答えは無限、と言う話を。


僕は東野圭吾さんや伊坂幸太郎さんの

小説を好んで良く読んでいた過去があります。


今も新刊出たらたまに買うんですが

なかなか読み始められなくて

積読になっています。


彼らの作品は本当に良く出来ていて、

伏線を丁寧に回収するところが

たまらなく気持ちがいいんです。


ほーーなるほど。

ここであのセリフが効いてくるのか。


なんて、通ぶった読み方を

ついしてしまってます。


ちなみに個人的ベストワンは、

東野圭吾さんであれば

『容疑者xの献身』


伊坂幸太郎さんであれば

『ゴールデンスランバー』です。


子供の頃から、答え合わせという時間は

それなりに好きで、


宿題を丸つけするときに、

100点だと気持ちがよかったし、

間違いがあると悔しかった。


だからこそ、全ての答えが

回収されるという物語が好きだった

のかもしれません。


読後感のモヤモヤもないし。


ただ、ファンの人の

ジブリ作品の解釈などを読むと


行間というか、含みというか、

なるほどそういう意味があるのか。と

改めて考えさせられます。


例えば魔女の宅急便で

黒猫のジジと主人公のキキが

突然話せなくなる描写があるのですが


子供から大人に成長したから、とか


それまで話せてたのは母親の魔法で

だんだん弱って話せなくなった、とか


実はキキの心の声だった、とか。


本当にさまざまな介錯があり

唸ってしまいます。


作品は一つの答えなんかではなく

それが複数の問いである事を

教えられたんです。


答えは本当に無限なんだなぁと思うと


一つの答えに執着してしまう

思考回路が、急に陳腐に思えてしまう。


とある出来事で、

少し悩んでいたのですが


悩むというのは、自分の欲しい答えが

そこに無いのに、その答えを探してるからで


答えは人それぞれいくつでも

あるんやなぁと気付いたのです。


良かれの行動が全て正しいことはなく

時に少数の答えに真実が隠れてたり。


人生の伏線は、回収するものではなく

勝手に回収されるものなんで


無理から答えを求めなくても

いいんだよな、と


ふと感じたよしけんだったのでした。