おはようございます。
この前、初めて会った妙齢の男性に
『え?そんなに年齢重ねてるの?
てっきり30代前半かと思った!』
と言われて、
おお、いよいよ若見えフェーズに
突入か?と思ったよしけんです。
むしろ、その人はいくつだったのだろう?
#リップサービスだとしても真に受けます
さて、今朝は。
本音の深さについて。
このブログを書き続けて
たどり着いた一つの真理なのですが、
人というのは、本当にたくさんの
ベールに包まれている
表現を変えると、沢山の重荷を
背負っています。
それも十二単のように幾重にも。
体力がつき、耐力もつき、
体も大きく、心もたくましく
成長していくと
その折り重なるベールにせよ
積み込まれた重荷にせよ
慣れてしまい、
その存在すら忘れてしまいます。
それを、成長と定義して
人は大人になっていくんだと思います。
しかしながら。
その折り重なったベールの奥の奥に
存在するのが、
従来のその人自身であり
自分の伝えたい事や言いたい事を
世の中に出そうと思っても
包まれたベールで、声がくぐもり
背負わされた重荷で、声が出にくく。
結果、本当の声が
その世の中に出てくる機会を
失われていきます。
本当にこれが僕の声か?
という違和感ですらかき消すほど
人間の慣れる性質は強く素晴らしい。
本当に何が伝えたかったのか。
本当にこれが話したかったのか。
本当にこれが僕の意見なのか。
未だに自問する日々です。
皆かっこよく、美しく
生きていたい。その気持ちは
痛いほどよく分かるのですが
自分を欺いてまで
無理をする必要はさらさらない。
そんな重ねられたベールを
一枚一枚剥がす作業が
どうやらこのブログ
『よしけんあれこれ』
だったんだな、と
感じています。
それは、知覚的には、
学ぶ、と、思い出すの
ハーフアンドハーフのようなもので。
日々少しずつ、僕が
僕になっていく。
僕が僕を取り戻していく。
そんな感覚です。
本音というのは、従来
心の奥深くにあるわけではなく
赤潮のように幾重に心に幕をかけられ
地層のような積み重なった結果
遮断され深みに沈んでいるのです。
もっと表現豊かに
でもわかりやすく書ける人に
なるためにも
丁寧に語れる人になるためにも
今になったら
自分が背負ったのか
誰かに背負わされたのか
よくわからないそれらを
丁寧に剥ぎ取りながら、
更なる深みに到達したいな、と
ふと感じたよしけんでした。
今日は土曜。
羽を伸ばすも休めるも
ちょうどいい1日。
皆さんもいい1日をお過ごし下さい。
