返事がない。ただの屍のようだ。


往年のロールプレイングゲームの有名なセリフをつい口走りたくなるくらいに、何のリアクションもないし、そこから1ミリとも動く気配もない。双子がラグビーの練習に向かった後の静かな朝、彼女の様子は明らかにいつもと違った。通常であれば活発に自分の計画に則って動き、手の動きの素早さと言えば千手観音の如く。相応の家事タスクを済ませてスマホに向き合い、ディズニーだのピクサーだののキャラクターの生首を、それこそ高橋名人並みの早打ちで消しまくる休日の朝を過ごすのが、彼女の日課のはずなのに。


かの疫病を避けるべく、利き腕とは逆の、上腕深くに打ち込まれたワクチン。英語の頭文字はVだから、きっと勝利するのだと思う。


2回目摂取の後は、副作用がしんどいと言う話は、赤信号はススメじゃないよトマレだよ、と聞かされた事より多くなったんじゃないか、と感じるくらいに、耳目を通じて体内に入ってきた。それに準ずるように、妻は、家の真ん中にある、割とクタクタのソファー(そろそろ買い換えたいのだが、十分な賛同が得られない)に横たわるのみだ。


あの鬼子母神、一騎当千の彼女を鎮圧する劇薬に畏れをなしつつも、そりゃパートナーだから人並みに、いやそれ以上に心配をしてしまう。こんな彼女は見た事ない。双子を自然分娩で取り上げてもらった日よりも、授乳で眠れていない未明よりも、はるかに弱っていた。


逆の立場ならきっとイライラされて、2階の寝室に追いやられるのが関の山ではあるが、それは彼女が僕に向けて言って良い言葉であり、僕が彼女に言うべき言葉ではない事も、同時に理解している。つまり、彼女が不調の時こそ、必要最低限より少ない声掛けが大切である。


幸いにも僕自身が罹患した時に頂いたレトルト食品はたくさん残っているし、昨今のそれは、即席なんて言うのが失礼なほどに美味しい。味覚のレンジが広くて本当に良かった。


ウトウトと眠りにつき、寝息をかき出した彼女。いよいよいつもと違う。様子がおかしい。そんなにしんどいのか。と焦る。その気持ちを知ってか知らずが、時より目を開けては、こちらをチラリと見て、また眠りにつく。



それなりの家事をこなしてきた僕は、別に何の自慢にもならないし自慢するわけでもないが、事実、料理以外は人並みに何でもこなせるわけで。お湯を沸かしたけど、紅茶のありかが分からないなんてことは言わないよ絶対。ってくらいにサクサクとあれこれと、こなしていく。


ただ、である。そこに寝転がってるパートナーを背景に掃除機をかけたり、洗濯物を干したり、洗い物をしたり、とすると、『何で私だけ』という思いがにわかに湧いてきたりする。イヤイヤと頭を振り、相手は闘病中なのに、なんて無神経なんだと反省する。不思議な感覚だ。


そこで、ふと気づく。今抱いたやましい怒りの何十倍、僕は彼女を怒らせて来たのかと。明け方まで酒を飲んで帰ってソファーで目を覚ましたあの日も、連日連夜仕事に打ち込んでることを理由にいつまでも寝床から出てこないあの日も、子供からの公園の誘いを断ったあの日も、彼女は僕に対して凄まじい怒りを感じていたのだろうな、と。


二日酔いで1日気持ち悪いと言われることは、悪阻でしんどいのとは訳が違うのだ。同じ気持ち悪いでも、前者は自分の起こした失敗で、後者は新たな生命を次に繋げるための試練なのだ。ただ、僕たち男ってやつは、そんなことを微塵も感じる事なく、我関せずと生きてきた。皆はどうだ?僕は少なくともそういう人間だった。社会に出て働く事だけが仕事だ。そんな旧石器時代の価値観しか持った無かった20代を過ごしてしまった。


シンクに跳ね返る水の音で、反省を伴う回想から、現実世界に引き戻される。相変わらずしんどそうなのに、テレビを付けっぱなしで寝る妻。消そうものなら、パッと目を覚まして睨まれる未来は容易く想像できる。くわばらくわばら。


そんな彼女を少し離れたダイニングに座り、アイスコーヒーを傾けながら眺めて、心の中でしっかりと手を結んで祈るように言う。これまで色々と申し訳なかったね。これまで本当に色々とありがとう。でもね、頼むから明日は元気になってくれ、と。


家事が嫌なんじゃなくて、辛いのか不機嫌なのか、それともその両方なのかが分からない事が困りものだから。そして、やはり眠るならソファーよりも寝具の方がおすすめだよ、と言わなければならないのは、大変勇気がいることだから。昔から言うじゃないか。手負いの虎ほど、恐ろしいと。