妻が実家から持ち込んだ物の中に、
茶色のタンスがありまして。

もともとは妻が使ってましたが、
今の家に引っ越す時に
かなり広いウォーキングクローゼットに
妻の服をすべて入れ込んだので、

タンス処分しようか?という話に
なったんですけども。

使い勝手が特段いいわけでもないですが、
処分するのももったいないし、
その後は僕が使っています。

シンプルなデザインだから
飽きるなんて事はありませんし。

妻に負けじと服好きな僕なので

そのタンスだけでは
全ての服を収納できませんが
日常でよく使うものを中心に
そのタンスに収納しています。


単身赴任期間が終わって
自宅に帰ってきて、数日後

そのタンスの真ん中の引き出しが、
前面のパネルごと外れてしまい、
引き出せなくなってしまいました。

その段はタンスというより
棚のようにして使っています。

するとその3ヶ月後かな。
その下の段も外れてしまいました。

主に靴下や下着を入れるスペースで
毎日開け閉めするから、弱りました。

こちらは応急的に元に戻りましたが、
今にも外れそうな勢いです。
だからそうっと扱うようにしています。
なるべく優しく、ゆっくりと。



そんな使い方を繰り返して過ごしてたある日、
ふとこんな事を思いました。

あぁこの感覚が、孝行という
ものなのかな、と。

このタンスは、おそらく
四半世紀以上は使われていますので
歪みや痛みだって現れてしまう。

長く連れ添った、
そこにあって当たり前のモノが
突然壊れることで、
どれだけその名もない道具に
自分が助けられていたから
初めて気づくわけです。

自分と連れ添ったモノや人だって、
いずれは弱り、歪み、痛む。

その時に今まで通り付き合う。
そのためにも、優しく丁寧に寄り添う。

急いで引っ張ったり、
イラついて乱暴に押し込んだり出来たのは、
相手がそれ相応に元気だったからなんだなぁ。

素早く力強く動くことは、
年々できなくなるかもしれないけども、
時には失ってしまう力もあるけども、

タンスの能力やカタチは、
こちらが寄り添えば、ずーっと残るのだな。

自分にとっての当たり前の幅が
どうしても年々狭まってしまう中で、

思いやりとは何か、優しさとは何か、
そして、孝行とは何か。

そんなヒントをもらえたと思います。

妻にしても、親兄弟にしても
そして子供達にしても

うちのタンスを引き出す時と同じような
優しさを持って接して行かねばな。

春の日差しが差し込む部屋で
今日の着替えを手に取りつつ

そうひとりごちてしまいました。

みなさま、おはようございます。
よしけんです。

今日も貴方にとって
いい日でありますように。


栄枯盛衰とは、
成功者のそれを指すだけではなく、
自分の大切な人や自分自身、
生きとし生きる全てのモノに当てはまる