(3日分の視察報告ですので長いです)
会派の視察で東北方面へ出掛けておりました。
遠野市 大槌町 石巻市
「カリンちゃん」 「おおちゃん」 「いしぴょん」
「東日本大震災からの災害復興等について」見識を得るべく3市町を尋ねました。
遠野市は強震に見舞われながらも沿岸部への支援を実施した実績について
本田敏秋市長自ら説明に当たって下さいました。
近い将来発生すると予測がされていた三陸地域に起こる地震に対して
明治三陸地震津波の教訓から
内陸部の自治体として津波の被害に遭うであろう沿岸部の自治体に後方支援が実施できる様にするため、
東日本大震災から遡ること3年、平成19年より陸上自衛隊東北方面隊の全面協力で訓練開始、
(翌年よりみちのくALERTとして毎年実施)
これが平成23年3月11日14時46分に発生した震災から14分後には
災害対策本部は後方支援の体制を整え、
その後長きにわたり沿岸部への支援が続いたそうです。
遠野市と海の位置関係は海老名市と似ているものの
この「後方支援」体制を真似るのであれば
沿岸部と同時に液状化が心配される市内の河川沿線への行動計画について考えを至すことができれば、と感じます。
特設された後方支援資料館では建設業者の活躍紹介も。
大槌町でh震後の復旧・復興の現在までの進捗についてご説明いただきました。
浸水被害は市域の半分以上、町民の3割以上が仮設住居に移らざるを得ない上、
町長が津波の犠牲になってしまわれ不在の中で
大槌町東日本大震災津波復興計画を策定、実施をされてきました。
復旧・復興を進めていくためにピークで15倍にまでなった一般会計の執行に
全国の自治体から多くの職員が派遣(海老名市からも)され
復興計画の進捗がほぼ計画通り成されてきているとのことでした。
小中学校は小中一貫教育として再建がされ中一~中三の呼び方が7年生~9年生に。
震災遺構として大槌町震災アーカイブ~つむぎ~を公開するなど風化させない取り組みの紹介も。
移動の途中、きれいに整備された通り沿いに仮囲いに覆われた大槌町旧庁舎が
唯一当時のまま残っていました。
石巻市は東日本大震災で最大の被害を受けた都市で
復旧のお手伝いをさせて欲しいと訪れたことのある方が多い所です。
災害に強いまちづくり
産業・経済の再生
絆と協働の共鳴社会づくり
を基本理念に
石巻市震災復興基本計画(~32年)を策定、着実に成果を上げていられます。
震後の被災者への支援メニューが並べられていましたがその数は大変多く、
全てがケースバイケースで個々の状態に即したものとして一から寄り添っていかねばならないもので
行政のすべきことの多さを目の当たりに。
石巻市へも全国(海老名市も)から職員が派遣されておりましたが
この派遣された職員さん一人一人の経験を
派遣元がフィードバックする仕組みを持つにはどの様な策が望ましいのか、
名案を求めたいものです。
東日本大震災においては被災自治体への職員派遣が効果を上げていたことが
今回の視察でよく理解ができましたが
この様な災害が首都圏で発生した場合、
不足するマンパワーを地方からの派遣職員で補えるのか、
地方ほど自主財源は少なく、職員を最小限に絞りつつある中で
職員を派遣するだけの体力が地方にあるのか
この点についての心配が頭から離れません。
自らも傷つきながら止まることなく復興に携わる皆さんから伺う話は大変重く
一言たりとも無駄にできないと感じるものでした。
石巻市は震後、何度となく通った街であり、
今回久しぶりに訪れる機会を得て少しですが当時を思い出しながら街の中を歩くこともできました。
4日は「都市景観の日」で
平成30年度都市景観大賞(いわゆる一位)に輝いた
女川駅前レンガ道周辺地区を目前にして
ここを視察できなかったことが悔やまれます。