安楽死と言う選択… | 大阪の社長 kentのブログ

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とてもナーバスな話題ですが、「安楽死」を巡る議論は一部の関係者の間では継続して交わされています。

 

ただ、政治家はこの問題に及び腰ですし、例えこの問題に取り組んだとしても選挙で有利になる事も見込めないので真剣に考える事さえしませんでした。。。

 

政治家が及び腰だと、当然官僚も政治家の姿勢を忖度して議論を深めないでしょうね。。。

 

でも、一部の医療従事者の間では「安楽死」容認論があるのも事実です。

 

毎日、毎日人の生死と向き合っているDrの中には、人の死に関してどう向き合うのか?

 

尊厳ある死を選択する自由があってもいいのではないか?って考えておられる方も多いと聞きます。

 

死生観の問題なのかも知れませんが、人は誰しも必ず死を迎えます。

 

仕事として人の臨終に立ち会っているDr達は、死を迎える事を極当たり前に捉えているでしょうし、死が特別な事ではないと考えておられる方もいるでしょう。

 

でも、我々一般人からすれば「死」は特別な事であり、「死」に関する話題はできれば避けたいと思っている方が多いと思います。

 

昨日、ALSを患った京都の50歳代の女性が、SNSで知り合ったDrに安楽死を依頼し、Dr2人が薬物を投与して嘱託殺人の容疑で逮捕されました。

 

この事案が安楽死に該当するのか?

 

東海大学付属病院で起きた安楽死事件では、裁判でDrの刑事責任を免れる為には以下の要件が必要になると示されました。

 

  1. 患者が耐え難い肉体的苦痛に苦しんでいる
  2. 死が避けられず、死期が迫っている
  3. 肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くし、ほかに代替手段がない
  4. 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示がある
今回のケースでは、逮捕された2人の医師は主治医ではなかったので、上記の2、3に我当しないので殺人罪になるのでは?って言われています。
 
ただ、今回の事案で被害者はいるのか???
 
亡くなられた方が被害者と言えるのでしょうか?
 
残された家族さんたちが被害者なんでしょうか?
 
ここからは僕個人の憶測ですが、50代の女性ALS患者と言えば、全身の筋肉を動かす事ができずに寝たきり状態で、しかし頭はクリアで目や耳は正常だったと思います。
 
入浴時、排泄時にはヘルパーの手を借りて全介助状態だったと思いますが、それでご本人さんの人間としての尊厳は守られていたのでしょうか???
 
時には男性ヘルパーに介助される事で恥辱的な想いを抱かれていたもかも知れません。
 
この病気の基本的な治療薬もなく、将来を悲観し、生きている事を選択しないと言う判断を下されたのかも知れません。
 
それを法律が、死を選択した人に罰を下す事ができるのか?
 
本人の依頼によって薬物を投与した医師を罰する事が正しい事なのか?
 
非常に複雑でナーバスな問題です。
 
人には生きる権利があるって言われていますが、死ぬ権利は持たされていないのでしょうか???
 
日本でも尊厳死に関する議論が進んで行く事を願っています。
 
安易に死を選択する事に対する批判もあるかと思いますし、安易に「尊厳死」と言う言葉を使う事への抵抗感がある事も承知しています。
 
でも、議論は必要だと思っています。