広陵高校の件を見て思う。
もちろん暴力は絶対に許してはいけないこと。
だけど、部外者は真相も加害者の気持ちもわからないはず。
当たり前に制裁は下されるべきだけど、SNSで部外者が必要以上に追い込むことは果たして本当に正解なのかな。
田中圭さんと永野芽郁さんの件もそうだけど、背景も真相もその人になってみなきゃわからない。
「みんなが叩いてるから俺も叩いていい、私も叩いていい」
ということにはならないはず。
SNSでたくさんの人が自ら命を絶った。
あの加害者たちが、今SNSに溢れる言葉を目にして命を絶つことを選択したら、叩いた人たちはそれで満足なのだろうか。被害者さんは報われるのだろうか。
「あいつがこの世からいなくなってよかった」と思うだろうか。
被害者の傷が逆に余計に深くならないだろうか。
どう考えても加害者は悪いだろうが、加害者をこれまで育て続けて、寄り添い続けた親御さんは今の状況をどう見ているだろうか。
そんなの外野にはわかるはずがない。
だからこそ、大人は正確に判断しなきゃダメだ。
選択一つで誰かの命の行方が決まる社会になってしまった。
高校生だよ。たしかに悪いことに年齢は関係ないかもしれないけど、まだ正常な判断ができない年齢でしょ。
大人が守ってやらないで、だれが守れるのよ。
こんな誹謗中傷の嵐を止めることはできたはず。
でもそうした際に、加害者にならずまっすぐ野球と向き合っていた部員はどうなるだろうかと考えてしまう。
何度も言うけど、加害者を擁護する気持ちは全くない。
やっていいことと悪いことがある。昭和時代なら通じたことも令和では通じない。
でも、「これは叩いてOK、みんなで追い込め」「制裁を加えろ」という風潮はどうしても賛同できない。それは外野がすることじゃないだろうし。
もちろん表現の自由があるから、それも否定できないだろうけど。
でもせめて、非難ではなく、批判であってほしい。
「暴力なんて最低だ!〇ね!」なんて言葉すらSNSで見た。
いじめた人を、あなたが「いじめる」のは許されることなんだろうか。
いじめがいじめの連鎖を生んでませんか。
誹謗中傷が誹謗中傷をまた生んでませんか。
いつになったらこんなマイナスの連鎖が続く社会は終わりますか。
いつになったら、
子どもたちが希望をもって生きられる未来はやってきますか。
SNSという場所が、新たな悲劇を起こしませんように。
そして大人がちゃんと正しい道を誘導できる社会になりますように。
そして、そんな社会をつくるために貢献できますように。
SNSで命を失ってしまう子どもたちを一人でも減らしたいと思って、国家公務員を辞めてまで今の活動をしています。
子どもたちが、誰かを追い込む人間にならないように。
みんなでたたけば怖くないなんて思想にならないように。
批判と非難は違うと知ってもらえるように。
できることを俺は続けていきます。
もしよかったら賛同してくださる方はこれからの私の活動を見守っていていただけたら嬉しいです。
ここまでご覧いただきありがとうございました。
どう考えても今一番やらなきゃいけない、SNS教育を、もっとリアルに即したものに変えていきます。
是非見守っていただけたら嬉しいです。ではまた!