以前にも書いたが代替案を常に準備することは大切なことである。

 

地震や火災等に対応するならBCPになるが、そんなに大きな問題でなくても代替案は考えておくべきである。ここで言う問題は設備故障や大量欠勤等であるが、人起因の問題に対しては問題の捉え方が緩くなりがちである。

 

例えば他部門に作業を依頼する場合、遅れることを想定することは多いが手を付けていないという事象を想定することは無い。これは部下に対しても同じである。

作業指示でも”まさかこんな事はしないよね”という部分は省く事が多い。

これらは、ある意味相手を信用しているからである。その意味で自然現象や物理現象に対する想定とは異なる。

 

想定外の行動の最たるものが怪我だと思う。本人もその行動が危ないと知っていても、それよりも重要だと錯覚する事を助けるために危険な行為に及ぶことが多い。

危険を十分知っているからと言って、絶対にその行動をしないとは限らない。

よくある例は、製品が不良になるのを助けるために設備内に手を入れる行為である。

稼働中の設備内に手を入れる行為の危険は誰でも知っている。何でも無い時に手を入れろと命令しても嫌だと言う程知っている。それでもそこにある製品がそのままでは不良になると分かった途端に重要度の判断を間違ってしまう。

 

上記の怪我の例なら、絶対に手が入らないように設備を改造するのが正しい対策である。では何故最初からそのようにしていないのか。色々想定する時にまさか稼働中の設備に手を出す奴が居るとは思っていないからである。

まさか地震が来ないという想定をする人は居ない。その頻度や大きさに関しては想定に差が出ることはあるが、来る来ないに関しては来ないを想定する人は居ない。

何故か人に対しては信用してしまう。

 

人を信用するなと言っているのではない。人は錯覚するのである。重要度を勘違いすることがある。しかしこれを正面から言うと角が立つ。困りものである。

 

角が立つのは、まるで相手を馬鹿にしてる様に感じる人がいるからである。決して馬鹿にしてるのではなく、錯覚への対応だと分かってもらうのは難しいが大切な事である。

 

こういう議論が普通になっては来たが、まだまだの部分もあると思う。

ドライに感じるかも知れないが、人を守るためにもこの朱の議論が盛んになることを望む。