世の中には”先生”と呼ばれる人達が居る。

 

学校の先生だけではなく病院の先生や代議士の先生が居る。

 

個人的な感覚であるが、昔に比べ”先生”の価値が下がってきている気がする。

 

何故そう思うのか、そうなったのかを考えてみると、庶民からの尊敬の念が薄くなっているからでは無いかと思う。

一般の人から見て学校の先生も病院の先生も代議士の先生も奉仕をしてくれる人に成り下がったのではないかと思う。一般の感覚としてサービスをしてくれる人であって、サービスが悪ければ変えれば良いという感覚になっているのではないだろうか?

 

一面では真であるが、何となく腑に落ちない。公立の中学までは選ぶことが出来ないが、私立を含めるなら自分が選んだ学校の先生である。病院だって昔と違ってセカンドオピニオンとして別の病院に行くことがタブー視される時代ではない。代議士に関しては自分達が選んだのである。自分の意志で選んでおいてサービスが悪いとはおかしくは無いだろうか?

つまり、一般の人が我儘を通すようになって来ていることは無いだろうか?

 

一方、先生側にも問題はあると思う。昔の先生には威厳があった。学校の先生も病院の先生も代議士の先生も偉そうにしていた。本当に偉いのかどうかは別にして、それに相応しい言動を取るようにしていた気がする。学校の先生は怖かったが、親身に指導してくれた。病院の先生は間違っても流れ作業のようには患者さんに接しなかった。代議士の先生は裏で何をしているかは知らないが、国民のためにという姿勢を崩しはしなかった。

 

どちらが悪いと言うわけではないが、双方から崩れていっているような気がする。

ここまで書いて、弁護士の先生を忘れていることに気がついた。弁護士の先生は依頼者の味方であり、極論すれば依頼者のために烏を白いと思わせる人達である。だからなのか、尊厳は地に落ちていないと思う。元々敵に回る可能性のある人だからだろうか?

 

いつでも「正」であることを求められる先生の地位が下がっているのかも知れない。

 

会社の中にもいろいろな”先生”がいる。各人が個人的に”先生”と思っている人達である。自分に無いスキルを教えてくれる人を勝手に”先生”と思っている。この場合は信じることから始まっているので、尊厳はなかなか消えない。つまり、尊敬の念が消えているわけではない。

尊敬の対象に望むものが多くなっているのに、尊敬の対象が自我をむき出しにしているから尊敬の念を持ちにくくなっているのかも知れない。

 

先生受難の時代なのかも知れないと思う。