組織の中では怒られ役が存在する。決して任命したわけではないのだが、自然発生的に怒られやすい人が決まってくる。

 

先日某中華チェーン店に行った。ちょうどテイクアウトのタイミングだったみたいで、客数の割に厨房はてんてこ舞いであった。

何か注文のミスがあったらしく、揚場の人が大声で「ごめんなさい」と言った。すると、ホールスタッフが残注文の数を読み上げ始めた。雰囲気、揚場でミスがあった様には見えなかった。この店には良く行くが、前にも同じ様な事があったのを思い出した。

 

想像であるが、揚場の人が”あやまり役”なのではないかと思った。

集団で仕事をしていると、誰のミスか良く分からないが問題が発生することがある。ミスの原因と対策は必要ではあるものの、その場では仕事を前に進めることのほうが大切な時もある。そんな時に取り敢えず「ごめんなさい」の言葉があるとみんなが気持ちを切り替えやすい。

 

過去を振り返ると、それぞれの職場でこの役回りを演じてくれる人が居た。その時は特に何も感じなかった。業務を円滑に進めるために便利な奴だな という程度の認識であった。今にして思えば、この「あやまり役」は「怒られ役」よりも大切な存在だったのではないかと思う。

自発的にか、誰かに言われたのかは今となっては分からないが、遅まきながら感謝である。

 

現実に問題が発生した時には、応急処置がまず必要である。一段落してから原因追求から恒久対策に進むのであるが、応急処置の段階で各自が「私は悪くない」と言い出したら、業務は停滞するだけである。その時に意味は分からなくても誰かが「ごめんなさい」を言うと、各自の言い訳は止まる。当然工場長としてはその人が悪いわけではないと分かっているし、その場で怒り出したりもしない。まさに潤滑油としての発言である。今から思うと強い組織だったのかと感心する。