高級品を纏っていても中身が伴ってるかは世間は分かる。心の価値観が見た目をつくる。 | megumi-12のブログ

megumi-12のブログ

人生の転換期を迎えたのを機に、日頃、自分が感じていることや、その時々のさまざまな思いを何かに残したくてブログ始めることにしました!

私がよく見てきた有名人の動画で、人との縁についてこんなことを言っていた…。

「誰かと組んで仕事をする時、よくありがちなのは、友人や親友や夫婦といった、自分と前々から親しい関係や近しい関係の人と組むパターンが多いんだけど、実はこれ逆なんだよね。まず仕事で出会う。そしてお互いにメリットがあってWinWinの関係になって、お互いをリスペクトし合えるから、よりその人と親しくなっていく。そっちの方がうまくいくんだよね。親友や夫婦だと最初は良くても、だんだん本心や我や欲が出てきて、うまくいかなくことが多い。うまくいくケースがあるなら、どちらかが気を使ったりよほど遠慮してるか、、だよね。そもそも僕と(対談相手の)◯◯さんが親しくなったのって、◯◯さんがある日、普段なら利用しないビジネスクラスに乗ったことで、たまたま僕と隣合わせになったからだよね?それがなかったら、こうやって一緒に仕事することなかったし、ご飯食べに行ったり、どうせならこっち来ない?って◯◯さんをシンガポールに呼ぶこともなかったよね。そうなったのって、◯◯さんが頑張ってビジネスクラスを利用したことと、僕に話しかけられても物怖じしなかったからなんだよ。大抵の人は、すぐ自分なんかが…と言って、チャンスすら作ろうとしないで、アイツだから出来るんだとか、どうせ芸能人だからとか、そんな目でしか見ない。仮にどれだけ普段親しくても、

勝手なことしか言わない奴や、自分のことしか考えない奴と、ずっと付き合っていきたいって思う?人との縁をモノに出来るかどうかって、結局自分次第なんだよ。だから僕も若い下の子たちに、夜中でも、相談があるんですが…って言ってきたら、いいよおいでよって言うし、一緒にご飯食べたりそうやって大事にするのは、その子が必死に頑張ってるのを見てきてるからなんだよね。」

今日、私はたった一人の親友と思ってた相手から、嫌な思いをさせられた。

それはもしかしたらたまたまなのかも知れないけど、私が彼女に対して唯一引っかっていた違和感が、この出来事で表面化した。彼女は自分がしてあげたい人…なんだけど、見返りを求めるタイプだった。自分が良かれと思って私を誘った。だけどたまたま私は即答出来ない状況にあったから、その事情をきちんと伝えた上で、返事は金曜日(今日)するとまで言っていた。そこまでしていたけれど彼女は今日になって、今日は体調悪いから話せない、私が誘ってた件も一人で行くから、とLINEしてきた。

前々から彼女は、自分がいいと思うものを私に勧めてきたり、自分が使わなくなったけど高かったからと私に譲ってくれたりしてくれた。だけど彼女はその後、私が使ってなかったり、あまり反応が薄いと気に入らないみたいで、今回もきっと、私が時間を調整してでも…という行動が無かったことで、気分を損ねたのだと思う。

自分が良かれと思っても、相手は必ずしもしもそうではない。モノを譲るのも同じだけど、良かれと思う気持ちが悪いのでは決してない。大事なのは親切の押し売りになってないか?

そこなのだ。自分が良かれと思ってしたことに相手に責任を持たせてどうする?自分が責任を持つこと。

一旦相手に勧めたり手渡したものを相手がどう処理するかは相手の自由であって、もしどうしてもそこに不服を感じるなら、

自分にとって何故それを望むのか?何故それが良いと思うのか?そこを伝える努力をしているか?ということ。

人はそこに価値を見出せなかったら動かない。時間を調整してでも…と思う価値をその人やモノに感じるなら人はすぐ動く。私は正直、今回の誘いは自分にとってそこまで行きたいかと言うとそうでもなかった。それもある。

それでもどうしても知って欲しいなら、伝える努力をすることが、良かれと思ってしたことに責任を持つということだと思う。

私にとってたった一人の親友と思ってた人だけど、私はある意味これが縁だと思った。

繋ぐ縁と、切れる縁。

それを選べるのは相手じゃない自分。

自分にとって違和感を感じる相手か、自分にとってその人との縁を繋ぎたいなら、その人にそれを理解して貰うためにどんな努力を惜しまないと、思う相手か、ということだと思う。

私にとって彼は、いわゆる地位の違う相手だった。それでも私が彼に少しでも話せる機会をつくりたくて声をかけ、必死にアプローチしたのは、私が彼をリスペクトし、そんな彼に少しでも近づきたい、そんな彼に自分を認めて欲しい、自分の存在価値を上げたいと思ったから。自分の願いを叶えるためなら、物怖じしたいと思わなかった。

この有名人のような考え方を、私も持っていた。自分が東京に行きたいなら借金してでも行くこと、自分がたまに三越や全日空のカフェラウンジに行くのは、

現実にボロボロになり心が下がったとき、自分の心の価値を上げるため、

心が豊かになる場所へ行くこと。三越なんか私らのような一般人には縁がないよね?よくそう言ってる人がいることに、私はいつもモヤッとしていた。

そんなんアンタらのヒガミでしかないと思ってた。ヒガミは人の心を腐らせる。

ならアンタは、その努力をしたか?と言いたくなる。

今の私にはお金がない、借金しかない。

サイフには札がない日もたくさんある。

そんな私がたとえたまにでも、全日空のカフェに行く努力をするのは、金持ちの当たり前的な感覚や見栄とか形じゃなく、近所のスーパーでは得られない、自分の心の価値観に合った場所に行きたいと思うから。

心の価値感が低い人は、三越なんか縁がないと堂々と言う。

心の価値感が高い人は、たとえ行けなくても、自分で心の価値を下げることをしないし言わない。

高級な場所や高級な身の回りのモノは自分の心の価値を測る一つの判断材料に過ぎないのだ。

それらに踊らされると裸の王様になる。

見た目だけ着飾って、中身は欲の皮が突っ張るだけで、欲プライドの塊になり、モノが無ければ生きれないような、

その一つ一つのモノに感謝すら出来ない人になる。

その時点でその人の心は既に腐ってる。

どんな高級品に囲まれても、その価値に見合った中身、いわゆる心の価値は下手したら、三越なんか縁がないと言ってる人以下だ。何故なら、三越なんか、、と思うだけそれなりに謙虚さがある。

そうではなく、自分の心の価値観が見た目を作るのだ。

どれだけ心を豊かにするか?

それは自分にしか出来ない。

先に高級品を纏うと中身と一致しない裸の王様になる。それはどんだけ繕っても、どんだけ偉そうにしてても顔や態度に出る。そういう人を誰も信用しない。

一番大事なのは心の価値観。

たとえどんな格好をしていても、アホな間違いや滑って転んでも素敵に見えるのは、その人の内面が豊かだから。本当に世間体を気にするなら、

自分が裸の王様でないか?それが一番恥ずかしいことだと思う。

世間体が、自分の周りにそう思う人が多いというだけで、狭い視野やたった一つの物差しだけでしか測れてない多数派の考えならば、

彼らはその人の中身まで見ようとはしない。だけどその人となりをぼんやりでも判断してるのは、その人の醸し出す雰囲気や言動。そこにジャッジが入る。

良くも悪くも見た目やステイタスとのギャップに人は見る目が変わる。

そこに多数派が集まれば噂になる。

私はそれだけの材料で可否はつけないが、愛子さまがリスペクトされてるのも一つの例だと思う。