・基本的にどちらのビジネスモデルも当事者間は契約ないし約款を締結して、だいたいの内容がカヴァーされるので、ざっと思いついたのは下に書いてあるぐらいです。

 

・アパレルEC

○ホームページ作成

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○ネット店舗の募集・確定

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○商品の製造

①意匠法、不正競争防止法

 基本的には意匠法によるが、時間・費用の観点から、ファストファッションでは不正競争防止法213号によることが考えられる。不正競争防止法はデットコピーの禁止にあたるので、れに関連して法規制を受ける。

    ↓

○商品の販売

①特定商取引法:通信販売に該当するので、規制を受ける。

②消費者契約法:消費者契約に該当するので、規制を受ける。

→①・②がアパレルECでメインになる法規制かもしれないです。特に取消しや無効主張など。①・②は要件・効果・制度趣旨が異なるので、両方とも適用される。

古物営業法:中古品を扱う場合には、許可が必要になる。これに伴って規制を受ける。

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○商品の流通

①貨物自動車運送法(製造業者から販売業者)、販売業者から

 

・ネット広告

○クライアントと広告代理店

→契約による

○広告代理店と消費者

特定商取引法:アパレルECとパラレルに考えられる。

②不当景品類及び不当表示防止法:ネット広告は顧客を誘引する手段であるから、「表示」にあたり、規制を受ける。

 

*インターネットを使ったビジネスでは、世界各地の人と取引することが考えられる。国際的な当事者間の契約において、準拠法選択と国際裁判管轄の合意をするので、原則として、契約の条項によるが、これでカヴァーしきれない部分については、国際私法ないし民事訴訟法の適用を受ける。

 福澤は智恵と徳義が双方共に大切ではあることは認めながら、両者は性質が異なると考えている。徳義は人間の行動規範であって、古より不変で外部性に影響を受けることはない。徳義の反例として、人の誹謗を恐れ、世間の悪評を憚り無欲正直の行いを努める者を挙げている。徳義は重要ではあるが、 その効用の波及する範囲は狭い。反対に、智恵は外部性に対して、利害得失を意識しながら、臨機応変に対処するものだ。智恵は進歩の連鎖であり、また徳義と違ってワットの蒸気機関のように、影響は無限大だ。そしてその智恵は外界の為に活用されなければならない。もし徳のある者が家に引き篭っていても悪人とは称されないが、智者がその智恵を外界の為に活かさなければ愚者と呼ばれても仕方がないとしている。

 現代社会において、上記の福澤の考えは修正が必要だろう。なぜなら現代社会が必要としているものは、もはや絶え間ない智恵の革新ではなく、社会の総意としての徳義の再定義だからだ。福澤は徳義を一人の人間の行動規範であり影響は寡少だと断じているが、物と情報の移動が平衡化した現代社会においては一人の徳義がときに信じがたいほどの大多数の生活に影響を及ぼすようになったためだ。近年マイケル・サンデルの議論が注目を浴びているのも、社会全体の徳とは何かという根源的な問いを投げかけているからだと考える。実際に、現代の日本、そして世界が直面する問題を例にとりながら、社会として徳を再定義する必要性を考察していきたい。 

 現代日本は漂流している。それは智恵の革新において先を行っていた西洋文明に追いついた時点でみえた風景が、まさにその智恵の革新故に苦しむ西洋文明の姿だったからだ。分かりやすく金融を例にとってその構図を明らかにしていきたい。近年、金融技術の革新は目覚しい。20年前には考えられなかったような金融商品や資金調達のスキームがITの発達も伴って生み出されてきた。まごうことなき智恵の革新の好例である。だが、この智恵に溺れ、徳義なき資本主義の名を借りた利潤追求が生み出されたのもまた事実であった。そして一部の人間が徳義を忘れて世界に及ぼした影響は決して寡少なものではなかった。ギリシアやイタリア政府のとばしによって一番苦しんだのは誰だっただろうか。CDSを天文学的な規模で販売したAIGの救済に使われたのは誰の資産であっただろうか。あるいは学生ローンや住宅ローンの金利を決定するLIBORをBarclaysの数名のトレーダーが自己利益のために操作したとき、最も影響を受けるのは誰だろうか。
 
 福澤は決して徳義を軽視していたわけではない。ただ時代が智恵に比重を置くことを求めていただけであり、当時では想像もつかなかった目が眩むばかりの現代の智恵の革新の規模とスピードに対して、改めて徳義を振り返り、一人の行動規範から社会の倫理規範に拡張させていく必要性が生じているという話ではないだろうか。現代に生きる我々が成すべきことは、丁寧な対話と議論を通して、徳義の再定義に関する社会としての総意形成に貢献していくことなのだろう。
 2009年8月に実施された総選挙で、当時野党第一党であった民主党が訴えた日本の問題点と掲げた理念は妥当なものであった。自民党一党支配に特徴づけられる55年体制は、利益誘導・官僚主導(≒族議員主導)による政策決定過程の不透明さ・縦割り行政等に代表される制度疲労を起こしていた。これに対して民主党は政治主導の理念の元に、政策決定の一元化・国家戦略局の設置・公務員制度の合理化・政財官関係の正常化などの解決策を掲げ、国民の支持を得た。だが2012年現在、これらの民主党の諸提案は看板倒れに終わっている。その理由に関して、民主党には政権運営の経験がなく、反自民党のみでまとまった綱領すら持たない政党であることなどを指摘する種々の考察がなされているが、本著を読み解くと、大きく3点に収斂することが分かる。即ち、1.箱物議論の先行2.縦割り行政からの脱却失敗3.政治の暴走だ。ちなみに1.に含まれる本稿で民主党案を敢えて政策ではなく提案と表記した理由も含め、以下では本著を引用しながら上記の3点について詳細に記述したい。
1.箱物議論の先行
 本来、行政の仕組みは国家ビジョンに基づく戦略とさらにそれを細分化した政策実施に適合するべく構築されなければならない。だが民主党は55年体制からの脱却に執着する余り勇み足で、「公約(政策)実現の道具である官僚制の改革それ自体を、実現すべき課題として公約の冒頭に掲げ」 てしまった。例えば民主党は官邸主導の実現のために国家戦略局設置という仕組を変えることから着手しようとした。しかしビジョンの欠落とそれに伴う政策の迷走によって、既存の経済財政諮問会議を活用することもままならず、内閣官房長官との役割分担も曖昧になった結果、大した活用もされずに終わっている。
2.縦割り行政からの脱却失敗
 「縦割り行政の弊害とその打開策としての総合行政の必要性は、かねてから繰り返し主張されてきた」 ため、民主党の政治主導によって縦割りを打破する意図は評価できる。だが民主党による打開策は政務三役による政策決定や事務次官会議の廃止という原理主義的なものばかりで、事務的な省庁間調整という観点を見落としていた。そのため「閣僚委員会で実際的な府省間調整が図られた形跡は見当たらない」 上、「政治家が調整を主導する制度の態勢も未整備なままでは、府省間調整は官僚に依存せざるを得ない」 結果となった。これは民主党の政権運営の経験の無さに起因すると考えられるが、打破するはずの縦割り思考からの脱却に失敗したツケは今後民主党に重くのしかかるだろう。
3.政治の暴走
 民主党の掲げた政治主導は、政権党としての未成熟さによって看板倒れに終わることも多い一方で、一部政治家の暴走も招いた。鳩山政権下の亀井静香金融担当大臣は自党の政治基盤を強化させる目的でその政策効果には疑問符がつく「中小企業金融円滑化法」を強引に成立させた。事業仕分けにおいても、民主党所属の国会議員によって恣意的な裁量がなされるなど「『説明責任なき査定』が顕現」 することがあった。
 このように、民主党は政治主導を掲げるには未熟で、その意義と影響を深く理解していたとは言いがたい。実際に民主党の稚拙な政権運営と領土紛争にみられる対外政策の迷走により日本の国益を大きく損なわれた。だがそれを勘案しても、民主党が55年体制に一石を投じた意義は大きい。今後は政治、特に自民・民主の二大政党は政官関係の理解を深化させた上で、明確に志向する国家ビジョンと、その実現に適した行政の仕組みを国民に提示することが求められる。