何かあるとよくギャッツビーに思いを馳せる。

彼は全てを体現しているから。

そしてぼくはニック・キャラウェイで、彼のパーティーは楽しめないから。

ギャッツビーがデイジーと結ばれたことに関して、「私がただ、たまたま彼女の持ち合わせていない知識を持ち合わせていた、というだけのことなのだがね。」と言うシーンがある。

謙虚だ。そして恐ろしいほどに冷静で客観的だ。

それでも彼は人生を賭けてまでデイジーを追い求め得ようとする。

その飽くなき向上心を人は称え、その恐ろしいほどの強欲を人は嫌う。

だからこそギャッツビーは偉大なるアメリカン・ドリーマーなんだ。

そして同時に卑屈なリアリストでもある。

誰もが自分の一面をギャッツビーに重ね、最も忌嫌う相反する面もまた彼に重ね合わせる。

誰も彼を全肯定できないし、全否定できない。

なぜなら彼は自己保全と自己嫌悪の結晶だから。

ニューヨークという街は好きだけど、ニューヨークという街はまた嫌いだ。

表の華美と裏の孤独はどちらも引き合い人を抜け出せない穴に陥れる。

自分のことを偉大なるイエスマンだと標榜した政治家がいた。

ちがう。

人はだれもが偉大なる矛盾者なんだ。

感謝という言葉は文字通り謝意を感じるから感謝と書く。

そして謝意には相反する二つの意味がある。

謝るの意と、感謝するの意。

英語に直しても、apologize/appreciateでどちらも接頭語adの変形apをとる。

ちなみにadは[向かう]という意味の接頭語。

万物は表裏一体。

それに気がついたとき、人間ってちょっと変わるんじゃないだろうか。