時刻は午前11時頃。僕と友人の2人は、1時間ほどの空の旅を終え、長崎空港に到着しました。

長崎に着いてまず心配だったのは天候で、午後からは雨の予報となっていました。

現状まだ雨は降っていないものの、空には曇り空が広がり、いつ降り始めるか分からない状態です。

僕たちは、天気が味方してくれることを信じ、長崎市内に向けてバス移動を開始しました。


​旅の中心地へ


長崎に到着し、いよいよ旅が本格的に始まるということで、最初は外の景色を眺めながら移動を楽しもうと考えていました。

しかし、長崎に来たからといって、道路沿いに別段面白い景色があるわけでもなく、同じような景色が何度も通り過ぎていきました。

そんな中で、僕は段々と眠気に襲われ、いつしか眠りについてしまっていたのです。

そうして、再び目を覚ました頃には、目的地まであと少しで、結局バス移動のほとんどを寝て過ごしてしまいました。

そして、目的のバス停に着き、僕は頭がすっきりとしないままバスを降りました。

僕たちが下車したのは、長崎空港からバスで1時間ほど移動した場所にある平和公園です。

長崎といえば、特にイメージが強いのがこの平和公園と原爆資料館ではないでしょうか。

学生の頃の僕であれば、これら以外の長崎の観光地など全く検討も付かなかったでしょう。

そのため、当時は長崎に興味を抱くことは全くありませんでした。

長崎や広島といえば、僕の脳内で修学旅行や平和学習と結び付けられ、旅行に行く場所という印象がなかったのです。

それもあって、将来こうして友人と長崎探訪に来ていることなど、当時の自分には想像も出来なかったと思います。

さて、実際に平和公園までやって来たわけですが、バス停の周囲の景色を見て最初に思ったのは、非常にありふれた公園があるだけということです。

地図上で確認してみると、平和公園にずっしりと構えた像が見れるのは、もう少し離れた場所のようでした。

なので、バス停の前にいきなり平和公園があるわけではなかったみたいですね。

というわけで、さっそく平和公園まで移動を開始しても良かったのですが、現在の時刻は12時過ぎ頃。

飛行機とバスでの移動を経験して、僕たちのお腹もかなり寂しくなってきた頃合いです。

そこで、まずは近場で昼食を食べ、その後に平和公園と原爆資料館を訪れることにしました。


長崎名物で腹を満たす


長崎に着いたら、必ず食したいと思っていた料理がありまして、それが「長崎ちゃんぽん」です。

まぁ、旅の前に父親から勧められたのが要因としては大きいのですが、個人的にもかなり気になっていました。

そこで、平和公園のバス停付近にあるちゃんぽんのお店を探し、さっそくお邪魔することにします。


地図上では、複数のちゃんぽんのお店が見つかったのですが、徒歩数分の距離にあるお店は一つしかなく、僕たちはそこで昼食を取ることにしました。

店内には、座敷とカウンター席の2種類があり、既に4人組の家族?が座敷で食事を始めていました。
会話の内容からして家族ではなさそうですが。

僕たちは、カウンター席に隣同士で座り、迷うことなく「ちゃんぽん」を注文しました。

それから、料理が提供されるまで20〜30分ほど待ち、遂にお目当ての「ちゃんぽん」が目の前に登場します。


対面してみると、料理のボリュームはかなりのもので、次郎系ラーメンのごとく麺の上に野菜が盛られていました。

麺を口に運ぶと、スープのコクとまろやかさに、様々な具材の味が混ざり合って、口の中で最高の調和が生まれました。

そして、具材ごとに異なる食感が楽しく、どれだけ噛んでも飽きることがありません。

僕は、無我夢中でちゃんぽんをすすり、完食する頃には全身が熱くなっていました。

ここまで、長時間の移動の連続で疲労が蓄積し、どこかすっきりとしない気分のままこのお店に入りましたが、

目の前のちゃんぽん一杯で僕の意識は覚醒し、完全に旅モードへと切り替わりました。

やはり、「元気は腹から」という言葉は本当なのだと実感した瞬間でした。


​single bed ?


その後、平和公園と原爆資料館の見学を終えて、僕たちは一度ホテルのチェックインに向かうことにしました。
これらの場所で過ごした時間について記述しないのは、僕程度の文章力では表現し切れない感情であったからです。

当初のチェックイン時刻は、15時に設定していたのですが、平和公園と原爆資料館を見て回るなら15時には間に合いそうにありません。

そこで、事前にホテルには連絡を入れ、チェックイン時刻を少し遅らせてもらっていました。

原爆資料館からホテルまでは、それほど距離が離れておらず、電車やバスを利用すれば15分ほどでアクセス出来ます。

ただ、長崎市内に着いてからというもの、道路上を走る路面電車を何度も目にしました。

そして、「あれに乗ってみたい」という 好奇心が湧き、ホテルまでは路面電車を利用することにしたのです。

出発地は、原爆資料館の最寄駅となる「原爆資料館駅」で、そこから崇福寺行に乗ります。

なんとも分かりやすいアクセス方法です。

ですが、いざ駅に着いてみると、次の路面電車の出発時刻や行き先の案内がなく、ただ2つのホームが用意されているだけでした。

僕たちは、どちらのホームで待てば良いかも分からず、既に何本か通り過ぎた路面電車を見て、乗るべき車両を理解していったのです。

目的の路面電車がホームの前で停車し、僕たちはさっそく中へ乗り込みました。

車内の雰囲気や運賃の支払い方法はまるっきりバスと同じで、乗っている時の感覚はバスと相違ありませんでした。

ただ、バスに比べて車内の広さや座席数は劣り、あくまで近距離を移動するのには便利といったところでしょうか。

__________


それから15分ほど移動し、車内に目的地のアナウンスが流れました。

僕は、バスと同じ要領で停車ボタンを押し、ホテル目の前の駅で下車しました。

駅は、車の往来が激しい道路のど真ん中にあり、周囲には様々な施設が立ち並び、活気に溢れていました。



ただなんというか、街の景色を見回した時に、あまり日本にいる実感が湧かなかったのです。

雰囲気の中に、どこか西洋の要素を感じ、少し海外に来ているかのような気分になりました。

そして、僕たちが宿泊する予定のホテルでは、入り口に一見中国由来のものと思われる提灯がかけられ、異国風の雰囲気に迎え入れられました。

この時点で、長崎が様々な国の影響を受け、成り立つ場所であることを直感的に感じました。

長崎という立地からしても、異国の影響を受けやすく、ホテルのすぐ近くに出島があることからもそれが理解できます。

その後、僕たちは簡単にチェックインを済ませ、本日の拠点となる部屋の内見をしました。

部屋に入る瞬間というのは、綺麗で広い部屋を想像し自然と期待感を抱いてしまうものです。

ただ、そういった期待は基本的に裏切られるもの。特に、僕たちのように安く宿泊する者であれば尚更です。

とはいえ、僕たちが部屋の中を見た時の落差は想像を遥かに超え、言葉を失い思考が一瞬停止しました。

それもそのはずで、僕たちの目の前にあったのは、狭い部屋にベッドが一つ、申し訳程度に枕が2つ用意されていたのです。

この状況を生んだのは、僕かホテル側か。ホテルの予約時に何か間違いがあったのかと記憶を引っ張り出しますが、それも後の祭りです。

今夜は一つ屋根の下、野郎とベッドを共有しなければなりません。

幸い、友人は普段から冷静沈着な男なので、一つしかないベッドを見て僕を責めるようなことはしませんでしたが、

この場を借りて深くお詫びします。友よ、本当に申し訳ございませんでした。

おそらく、僕の予約の仕方が悪かったのです。


大浦天主堂


部屋の中で受けた衝撃は、その後もしばらく尾を引いたものの、これから僕たちは長崎の街に駆り出し、いくつか観光地を見て回る予定なのです。いつまでも引きずっていてはいけません。

ホテルを出ると、雨雲が街を包み、空からは無数の雨粒が降り注いでいました。

予想はしていましたが、遂に予報が現実になったようです。

ちょうどこれから街の散策をするという時に、なんとタイミングが悪い。

僕たちは、しょうがなく傘を持ち出し、雨のもと移動を開始しました。

地元の関西を大きく離れ、僕の目に映る長崎の景色はどれも新鮮なものばかりでした。


雨が強く傘を叩こうとも、風が髪を掻き乱そうとも、僕は周囲の景色に好奇の目を向け、観光地までのただの移動を楽しんでいました。


そして、15分ほど歩いたところで、前方に石が敷き詰められた坂道が見え、目的地のすぐ近くまで来たことを察知します。



坂を上り始めると、目の前に広がる風景はまさにテーマパークの一角であるかのようです。


また、雨で石の表面は濡れ、その影響か観光客はずいぶんと少ないように見えました。


それは僕としては好都合ですし、こういった西洋風の風景には雨模様が最適解であるような気がします。



また、途中にある建物はレトロで、なんと可愛らしいものか、と何度も足を止めてしまいました。


しかし、いったん寄り道したい気持ちは抑え、まずは目的地へと向かいます。


僕たちは、そのまま坂を上り続け、ちょうどいくつかの道の分岐点に差し掛かったところで、お目当ての建物が視界に飛び込んで来ました。



圧倒的な存在感を放つ西洋風の建造物、これが「大浦天主堂」です。


この場所を提案したのは友人で、長崎探訪の計画を立てている際、友人が長崎で訪れたい場所の一つとして挙げていました。


友人は、こういった歴史的建造物が好きですし、今回も彼の興味に引っ掛かったのだろうと思っていましたが、


友人に尋ねてみれば「長崎の観光地を調べてみたら、この場所の名前が出てきたから」だと言うのです。


しかも、大浦天主堂の写真すら見ずに、行くことを提案したようで、彼にもそんな適当な面があるのだなと可笑しくなりました。


この大浦天主堂の拝観時間は8時半〜18時で、現在の時刻は16時過ぎ。十分に見て回る時間があります。



さっそく、大浦天主堂へお邪魔することにしましょう。




敷地内は静かで、落ち着いた雰囲気に包まれていました。

僕たちは、天主堂内部を見る前に、周辺の広場に設置された銅像や記念碑を見て回りました。

そして、気持ちの準備が整うと、敷地の中央に聳え立つ天主堂へと足を進めます。

天主堂の入り口では、聖母が観光客を迎え、そこから先は写真撮影禁止。完全なる神聖な領域が広がっています。



ここからは僕の文章だけで、天主堂内の様子をお伝えしますが、


建物に入ると、後方から前方へずらっと会衆席が並び、最も目立つ場所にあるステンドグラスには、十字架に掛けられた救世主イエスの姿がありました。


天主堂内には、女性の声でこの建物の歴史を伝える放送が流れており、建物の随所を観察しながら、皆がそれを静かに聴いていました。


放送を聴き終えると、人がぞろぞろと天主堂をあとにし、僕たちもそれに従って外に出ることにしました。


その後、敷地内にある博物館に立ち寄り、大浦天主堂と長崎の「キリシタン」の歴史に関する理解を深めていきます。


そして、博物館を見学し終えた時点で、僕と友人はそれぞれ別行動することにしました。


友人は、天主堂内の風景を絵に残すため、再び大浦天主堂へと、僕はもう一つある博物館の見学へと向かいました。



​雨の日にだけ姿を現す魔法の国


各々がやりたいことをやって過ごし、17時頃に再び集合しました。


本来の計画では、その日は大浦天主堂まで見れれば良かったのですが、僕の願望が表に出てしまい、もう少し長崎の街を歩いてみることになりました。


行き先は明確で、僕が長崎探訪の計画当初から期待していた「どんどん坂」です。


この場所は、僕が「段々な坂道」を上手く日本語で表現できないかと調べていたところ、検索結果に偶然表示されたものです。


もはや、今回の長崎探訪の計画は、そのどんどん坂の写真を見た瞬間から始まっていたと言っても過言ではありません。


僕たちは、雨のもと再び移動を開始しました。


道の少し窪んだところには雨水が溜まり、道中、自然のトラップがいたるところに設置されていました。


歩いて5分ほどで、僕たちの靴は見事に浸水し、地面を踏むたびに不快な感触が足から伝わってきます。


ただ、その時の僕は好奇心と冒険心に溢れ、雨水の染み込んだ靴がどれだけ足を遅らせようと、僕たちの歩みは止められません。




長崎というのは、街の一角でさえレトロで美しい。


途中で出会った道には、さくらの花びらが散っていました。


もちろん、それは季節的に有り得ない話で、さくらの花びらのように見えるのは、道路上に施された装飾に過ぎません。


ですが、こういった小さな工夫が旅人の心を大きく楽しませてくれるのです。


しばらく歩き、地図上では目的地の目の前までやって来たものの、一向にその気配は感じられませんでした。


しかし、住居と住居の間に、それは突然姿を現しました。



空まで届く勢いで、遥か先まで伸びる坂道。


これはまさに「どんどん坂」だ、と思いましたね。


同時に、その風景は僕の期待を優に超えていて、その衝撃で脳が揺れる錯覚を覚えたほどです。


僕は、この感動を早く誰かと共有したいと思い、後を付いてきていた友人のもとへ駆け寄りました。


そして、少しずつ坂を上っていきます。



坂は少し急で、側溝には雨水が激流のように流れ続けていました。


坂道を覆った雨水は、街灯の明かりに照らされて光を反射させ、それがこの場所を美しく神秘的に魅せています。


坂の頂上付近までやって来ると、ここぞとばかりに坂の勾配がより激しくなり、頂上に辿り着いた頃には息が少し上がっていました。



どんどん坂は、下から見ても長いですが、上から見ても長いですね。


友人は、「自転車でこの坂をどうやって上るのか」と呟いていました。


__________



坂を一つ上れば、その先には新たな道があり、途中にはまた別の階段や坂が上へと続いている。



長崎の街は、まさにその連続でした。


この辺りの住民は、相当足腰が鍛えられているのか、普段このような坂道と階段ばかりの場所でどうやって暮らしているのかと疑問に思います。


ご老人にはあまりにも過酷な土地でしょう。


実際、かつて山を切り崩して住居を建てたのか、住宅街を眺めていると、かなり急勾配な土地に家が段々に立ち並んでいることが分かります。



それは四方八方どこを見ても同じこと。風景としては迫力がありますが、僕はおそらく望んで住むことはないだろうと思いました。


とある住居の前で見つけた猫ちゃん。かわいい。


それから、僕たちは地図を見て少しずつ進む方向を調整し、散策しながらホテルへと向かうことにしました。


ただ、その道中で僕たちは最高の風景と運命的な出会いを果たします。


それは、友人と語らいながら歩き、ふと横を見た時のことです。



たまたま目に入ったその風景に、僕の目は釘付けになり、無意識に足を止めていました。


レンガ調の壁や赤を基調とした建物、街灯など、どれも西洋風の建造物でありながら、その一画に和を感じさせる灯籠が設置されている。


僕はそのセンスに脱帽するとともに、友人と僕にとっての長崎探訪一日目にして最高の景色を見つけた瞬間でした。



俗世に戻って



その後も街の散策は続き、次に僕たちは「日本の道100選」に選出されたオランダ坂を訪れました。




オランダ坂は、街の風景に見事に溶け込み、地図を見ていなければこれが有名観光地であることに気付けなかったかもしれません。


僕の個人的な感想になりますが、周囲の建物とオランダ坂の放つ雰囲気が異質すぎて、上手く調和できていないように感じました。


なんというか、オランダ坂の良さを殺してしまっている気がしたのです。


それから、僕たちは見たい箇所を全て見終えて、現実へと帰る時間がやってきました。


先ほどまでは、魔法にかけられて少し意識の外にありましたが、雨の中での移動で全身はびしょ濡れ、靴の中は雨水のせいでひどい有り様です。


僕は、一度ホテルに戻って靴を乾かし、それから夜ご飯を食べにいくことを考えましたが、友人の提案で先にご飯を済ませてしまうことにしました。


Googleマップで調べれば、地図上には膨大な数の飲食店が表示され、一軒に絞るのはなかなか骨の折れる作業でしたが、結局「勝鹿」という豚カツに行くことにしました。




「勝鹿」がある中華街は、提灯が頭上を覆い、僕たち同様美味い飯を求める人々が行き交っていました。


もっと足元の状況が良ければ、時間を掛けて散策が出来たものですが、その時の僕たちは最短距離で目的地へと向かっていました。


「勝鹿」は、交差点沿いにぽつんと立っており、中華街から少し逸れた場所にありました。


中に入ると、入り口に最も近い席に案内され、二人してメニュー表を眺めます。


ざっと見た感想としては、どれもなかなかいい値段がするな、ということです。


普段なら一回の食事にこれほどお金はかけないでしょうが、遠路遥々長崎まで来たのです。今ぐらい財布の紐を緩めても良いでしょう。



しばらくして、僕たちの前には豪勢な食事が並びました。


ロースカツを一切れ取って口に運べば、分厚い肉の弾力が感じられ、噛むとともに肉汁が溢れてきました。


本当に美味しいものを食べた時というのは、言葉より先に顔に出るものです。


その時の僕はさぞ幸せそうな笑みを浮かべていたことでしょう。


雨に濡れ、どんよりとしていた気持ちはどこへやら、僕は最上の幸福感に包まれていたのです。



 それは突然起こった


最高の飯を食べ、僕たちは元気を取り戻していました。


あとは、ホテルに戻って寝るだけではありますが、そう簡単にこの夜を終わらせはしません。


この後は、一度ホテルに戻り、そこから「世界三大夜景」に選ばれた稲佐山山頂展望台を訪れる予定です。


一日の終わりに世界最高の夜景を眺める、なんとロマンチックなのでしょう。


「世界三大夜景」というのがどれほどのものか、僕が直接見極めてやらねばなりません。


僕たちは、「勝鹿」をあとにし、ホテルに向けて帰路につきました。


そして、ホテルまであと少しというところで、僕たちにとって想定外のことが起こったのです。


交差点の近くを歩いていた時、友人が突然「事故や!」と叫びました。


そして、友人の視線の先を辿っていくと、歩道の上に人が横たわっているのが見えました。


その時は、目の前の光景を瞬時に理解できず、頭が真っ白になりました。


僕たちのほんの数m先で、車と人が衝突する事故が起きていたのです。


ただ、この瞬間の自分の行動は、事故に遭った方の命に関わることであると思い、すぐに冷静な状態に戻ることが出来ました。


それから、救急車を呼ぶため、まずは現在地の確認を行います。


しかし、問題はそこにありました。「ここはどこなのだ」と。


現在地の確認をするために、どこを見るのが良いのかが分からなかったのです。


ただ、そうしているうちにも周囲の状況は変化していきます。


事故を起こした車はすぐに停車し、車内から中年の男性が飛び出すと、横たわる人のもとへ駆け寄って声を掛け始めました。


そして、それとは別に、事故現場へ近付いていく人の姿も見えました。


僕は、ここで突っ立ってあたふたしていても何も始まらないと、事故が起こった場所へ走りました。


その後、僕と友人の2人、現地の方が2人集まり、協力して救急車と警察を呼びました。


また、事故現場の状況を出来るだけ維持するため、接近してくる車両を別車線へと誘導します。


広い道路で、車の往来が激しかったものの、全ての運転手が僕たちの動きを見て車線変更に協力してくれました。


それから、少しして救急車のサイレンの音が聞こえ始め、それに続くようにして警察車両もやって来ました。


その光景を見て安堵するとともに、あとはプロの仕事にお任せすることにしました。


僕たちは、警察から事故当時の状況を聞かれたものの、事故の瞬間を2人とも見ていなかったため、あまり役には立ちませんでした。


警察からの質問が終わると、僕たちは自由の身。ホテルへ帰る途中であったことを思い出し、再び帰路につきます。


その途中の会話は、もちろん事故のことで、まさか旅行の最中に事故を見かけることになるとは想わなかったと、直前までの出来事を振り返りました。


そして、今回のことで最も痛感したのは、事故発生時に取るべき行動についてもっと知識を付けておくべきであったということです。


これについては、かなりの後悔と悔しさがありました。


ただ、この経験は必ず次の役に立ちます。自分の近くで、不運にも事故に遭われた方がいれば、次こそより迅速かつ的確な対応をしたいと思いました。



​長崎探訪一日目 終了


ホテルに戻った僕たちは、すぐに濡れた上着を脱ぎ、靴をドライヤーで乾かし始めました。


少し前にあんなことがあったばかりですが、僕たちは、靴が乾き次第再び外出し、予定していた稲佐山山頂展望台へ夜景を見にいくつもりです。


とは言ったものの、目的地までの移動手段を調べてみると、山の麓から頂上に行くまでが想像以上に厄介でした。


今から向かった場合、麓から山頂までの行きのロープウェイはあるのですが、帰りのロープウェイが時間的に存在するかしないか怪しいところです。


そこで、今日は十分に思い出ができたことですし、無理な冒険はせず、部屋でのんびりと過ごすことにしました。


思い返せば、恐怖に震えた飛行機移動から始まり、原爆資料館では、黒く焼けた死体が転がる町の様子や被爆後も人々を苦しませ続けた後遺症の症状など、人類の残虐性が嫌というほど感じられる歴史を見ました。


その後、大浦天主堂とその周辺にある長崎の街並みを歩き、まるで魔法の国に足を踏み入れたかのような錯覚に陥りました。


そして、一日目の最後には、事故現場に遭遇するという想定外の出来事もありました。


ただ、全部含めて、長崎探訪一日目は非常に良い経験をした一日であったと思います。


明日は、念願の島「軍艦島」とグラバー邸を訪れる予定です。


最高の一日になることは確定していますが、あとは僕たちの予想をどれだけ超えて来るかに期待ですね。


それでは次の長崎探訪二日目でお会いしましょう。