伊勢志摩へ
江戸川乱歩ゆかりの地「坂手島」
個人的に、島といえば複雑に入り組んだ階段が多くある印象です。
ただ、島の階段だからといって、別段変わった特徴があるかと聞かれれば、そういうわけではありません。
しかし、坂手島の階段は、階段の縁に沿って白い塗料が塗られているという特徴があります。
なぜこんなことをしているのか、理由は定かではありませんが、ある方のブログに「夜になると白線が見えるため危険箇所が分かりやすい」という考察がされていました。(参照:https://4travel.jp/travelogue/11178116)
江戸川乱歩の妻の生家
坂手島は、かの有名な推理小説家「江戸川乱歩」ゆかりの地として知られています。
具体的には、かつて乱歩が住んでいた住居の跡や、乱歩の妻「隆」さんの生家が残されているのです。
これらの場所は、もちろん僕たちの坂手島散策における目的地の一つでした。
しかし、僕たちはその具体的な位置を把握しているわけではありませんし、散策の途中でたまたま見つけられたら良い、という程度の優先順位でした。
それでも、たまたま見つけてしまうのが僕たちの運の良さです。
路地の中を彷徨っていると、突然開けた場所が見えてきました。
僕は、その空間に何か意味を感じ取り、過去に見た「隆」さんの生家の写真と、目の前の景色が即座にリンクしたのです。
僕たちが偶然出会ったこのピンク色の家こそ、乱歩の妻「隆」さんの生家です。
ピンクで家を塗るという発想に、「隆」さん一家のユニークさが滲み出ているような気がします。
また、その周囲の住居にはレトロな雰囲気があり、住居の一角に打ち付けられた錆びた看板が時の経過を感じさせます。
まるで、ここだけ時間が昭和のまま止まっているかのようです。
島の東端へ
「隆」さんの生家を後にし、僕たちはさらに先へと歩みを進めていきました。
ノスタルジックな雰囲気に包まれた路地を歩いていると、手押し車をよく見かけることに気付きます。
離島ではよくあることかもしれませんが、若者は島の外に移住し、島に残ったのは高齢者ばかりなのかもしれません。
また、路地の脇で見かけたもので、二枚貝の貝殻が何枚も紐で繋げられたものがありました。
僕の知識不足で全く検討も付きませんが、何か漁で使用するものなのでしょうか。
途中、今にも道を覆い尽くそうとしている樹木の下を通り抜けました。
しかし、その時の僕の注意は、そんな樹木よりも別のものに囚われていたのです。
実は、僕は大の虫嫌いで、少し前に堤防近くでフナムシを見かけた瞬間から、僕の脳内は奴らのことで占拠されていました。
足が数本ならまだしも、多足昆虫とはなぜあんなにも気持ち悪く感じるのでしょうか。
この辺りの浜は、「姫の浜」と呼ばれているようですが、僕にはそんな可愛く、優雅な場所として受け取ることが出来ませんでした。
堤防沿いをずっと進んだ先は、どうやら海水浴場になっているようです。
海水浴場と言えば、今の季節にはもう少し人がいても良さそうなものですが、その時の来訪者は僕たちだけでした。
砂浜にはベンチが設けられ、そこに座ってのんびりと海を眺めることも出来そうです。
まぁ、そこにもフナムシがいたんですが。
海の近くを歩きながら、誰にも邪魔されずに海の風景を楽しめました。
ただ、砂浜を去る間際、少しの子供心から波打ち際に近付いたのが運の尽き、靴が浸水に見舞われるという海からの贈り物をいただきました。
この後に2つも島を見て回る予定があるというのに何てことだ。
小学校を訪ねて
島の端まで辿り着いたということで、いったん元来た道を引き返すしかありません。
また、ここに来るまでに様々な場所を見て回ったものの、次の船の時間までかなり時間が残っています。
余裕があるなら、既に廃校となった坂手小学校と江戸川乱歩のかつての住居を訪れてみたいですね。
というわけで、ここまでは気の赴くままに島内を散策していましたが、ここからは文明の力を頼ります。
GoogleMapを開き、目的地の位置を調べ、後はナビ通りに歩いていくだけです。
しかし、最初は順調に目的地に近付いていたものの、目的地付近になると路地がいくつも分岐しており、どのルートが正解なのか分からなくなりました。
ただ、よく周囲の景色を観察していると、ある路地の先が坂手小学校の入り口へと続いていることに気が付きました。
今日何度目か分からない階段と、小学校の入り口へと続く緩やかな坂道を上って、なんとか坂手小学校に辿り着きました。
入り口に立つと、緑に覆われたグラウンドと廃校になった坂手小学校の校舎が見えます。
僕は、この場所とは何の縁もありませんが、なぜか懐かしさを感じ、友人と2人して感嘆の声を上げました。
もはや誰もこの学校には通っておらず、寂しさが漂う場所であるはずが、なぜこれほどまでに素晴らしいと感じるのでしょうか。
まさに、「過去の記憶は美化されるもの」という言葉通りだと思いました。
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二宮金次郎の像の脇には、山の方へと続く下り坂がありました。
坂道の先が具体的にどうなっているのかは、木々が邪魔をしてよく見えませんが、この先に行っても深い森に呑まれるだけだと勝手に予想していました。
しかし、坂道の先から人の話し声が聞こえてきたのです。
こんな森の中に人がいるのか、と少々驚きましたが、人がいるのであれば行ってみる価値はあるかもしれません。
僕たちは、恐る恐る坂道を下っていきました。
坂道は、少し下ったあたりでU字型に折れ曲がり、その先の様子は木々のせいでよく見えていなかったわけですが、
いざその場所まで来てみると、全く森へと続いている様子はなく、それどころか神社と住宅地にアクセスしているようです。
その神社の見た目はなんとも変わっていて、乱歩の妻「隆」さんの生家のようにピンクに塗られていたのです。
ピンク色の神社など、後にも先にもここだけではないでしょうか。
その後は、住宅地の中を移動しながら港を目指します。
途中、僕たち2人の感性にぶっ刺さったカーブミラーがあり、そこで少し足を止めて撮影をしました。
周囲の古びた景観と相まって、住宅地の一角に最高の景色が存在していたわけです。
江戸川乱歩の住居跡
港付近まで戻ったところで、僕たちは最後に江戸川乱歩の住居跡を訪れることにしました。
しかし、これが予想以上に難易度が高かったのです。
GoogleMapで探そうにも、「江戸川乱歩の住居跡」という検索ワードでは何もヒットしませんでした。
他には、乱歩の住居跡を訪れたという他人のブログの内容を確認し、そこから目的地の位置を探ろうとしました。
ですが、努力は虚しく、どれだけ歩いても目的地に辿り着けませんでした。
僕は、もう諦めようかと思いましたが、一縷の望みにかけて、友人に先導をお願いしてみることにしました。
すると、友人は乱歩の住居跡の写真から場所を推測し、僅かな時間で目的地を探し当てたではありませんか。
これが、江戸川乱歩がかつて生活をしていたとされる住居の跡です。
もはや、土地だけが残っている状態で、事前情報がなければ乱歩の住居があったとは到底思えないでしょう。
まぁとにかく、坂手島での目標は全て達成できたということで、あとは港の待合室で船を待ちたいと思います。
坂手島と猫
出港までのしばらくの間、僕たちは各々適当に時間を潰しました。
友人は読書をし、僕は研究資料に目を通します。
そんな中、ふと待合室の外を見てみると、待合室の入り口の前に一匹の猫が寝転がっているのが見えました。
僕たちにとっては、予想外の来訪者でしたが、島を出る間際になんとも気分が和む存在と出会うことが出来ました。
その後、僕たちは予定通りの時刻に乗船し、いったん鳥羽マリンターミナルに戻ってから、また次の島を目指します。
今振り返ってみると、坂手島は穏やかさと温かさ、懐かしさに包まれた島だったと思います。
坂手島にはゆったりとした時間が流れ、そんな中で、坂手小学校や住宅地でたまたま出会ったカーブミラーなど、素晴らしい景色との出会いがありました。
しかし、伊勢志摩での島散策はまだ1/3しか終わっていません。
残り2つの島「神島」「菅島」はどんな景色を見せてくれるのでしょうか。
続き。
おまけ
16時を少し過ぎた頃、僕たちは神島での大冒険を終え、第3の島「菅島」を訪れました。
菅島に着いた頃には、神島での疲労のせいで、あまり歩き回る気力が残っていませんでした。
そのため、港付近を少し散策し、早々に島を去ることになったので、菅島の探訪記はダイジェストでお送りします。
港の上には、「しまっこ坂」と呼ばれる大きな橋が掛けられていました。
そして、この橋から山の斜面の方を眺めると、より僕たちの目を引く建造物がありました。
かなり独特な外観をしており、建物の一部が灯台のような形をしています。
みなさん、この建物は何だと思いますか。
実は、これの正体は小学校なのです。正式名称は「菅島小学校」とされています。
非常に珍しい見た目で、このような小学校を見れるのは菅島ぐらいかもしれませんね。
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僕たちの菅島での探索はすぐに終わりを迎えました。
菅島は、伊勢志摩の島の中でも、答志島に次ぐ大きさを誇っており、観光地は他にも多くあるのですが、僕は「めんどくさいからいいや」という一言で断念してしまいました。
まぁ、多少後悔はしていますが、その前に2つの島を隈なく歩き、体力を大きく消耗していたことを考えれば、少しはしょうがなかったと割り切ることが出来ます。
とにかく、一日で3島を見て回るという過密スケジュールでありながら、最後まで付いて来てくれた友人に感謝を申し上げます。
間違いなく、過去最高の一日だったと思います。
また、これにて関西の島はほとんど探索し終えたということになりました。
ですが、日本はまだまだ広く、未知の島は膨大な数残っています。
今後は関西を飛び越え、もっと遠くへ、未知の風景を求めて旅を続けたいと思います。