食材からプライベートな悩み、経営課題まで美味しく調理する、包丁を握るコンサルタント、ゴトーケンタです。
さて、前回の、

http://ameblo.jp/kenta-goto/entry-11318793914.html
我慢しておかしくなって、なおったらまた我慢しておかしくなって。
そんなことを繰り返している人が多い、それは、【我慢】という言葉の意味を誤解しているからだというお話でした。
皆さん、【我慢】って耐え忍ぶこと、と思っていませんか?
それ、間違っていないんですが、我慢の数ある意味の一つに過ぎず、かつ、意味がいつのまにか転換してしまっている事例なんですね。
語源を知るとその言葉のもつ言霊の意味がよくわかりますし、どう使えばいいのかも見えてきます。
当社で開発した、プライベートな悩みから経営課題まで解決してしまうコンサルティング・サービス【満福へのレシピ】では、【言語化】を重要なステップに位置づけており、言霊の持つパワーを非常にデリケートに扱っています。
言ってみれば、特殊食材を調理するための特殊調理技術です。
で、【我慢】ですが、
我慢は、仏教語で七慢のひとつで、
サンスクリット語「mana(マーナ)」の漢訳です。
仏教語で「慢」は、思い上がりの心を言います。
仏教語の「我慢」とは「おごりたかぶること・自分を偉いと思い他人をばかにする」という意味があるんです。
そして、仏教で説く煩悩の最大の根元とは三毒『貪瞋痴(とんじんち)』といいます。
貪(むさぼり)
瞋(いかり)
痴(おろかさ)
です。
この煩悩をより詳細に表すと、貪瞋痴慢疑悪見となります。
貪(とん) ・・・ むさぼり
瞋(じん) ・・・ いかり
痴(ち) ・・・ おろかさ
慢(まん) ・・・ のぼせ・おもいあがり
疑(ぎ) ・・・ うたがい
悪見(あくけん) ・・・ あやまった見方
です。
さらに、4番目の「慢」は「七慢」に分類され、
慢(まん)
過慢(かまん)
慢過慢(まんかまん)
増上慢(ぞうじょうまん)
我慢(がまん)
卑慢(ひまん)
邪慢(じゃまん)
となります。それぞれ、
慢(驕り高ぶること)
過慢(自分の方が上だと思う)
慢過慢(相手が上であっても同等だと思う)
我慢(自分に執着する慢心・思いあがり・自慢)
増上慢(悟った、極意を得たという自惚れ)
卑下慢(少ししか劣っていないという思いあがり)
邪慢(間違っているのに正しいと思う慢心)
という意味です。
このように、「我慢」は、自分に執着することから起こる慢心を意味し、「高慢」「驕り」「自惚れ」などと同義であることがわかります。
そこから意味が転じ、我慢は「我を張る」「強情」などの意味で使われるようになり、さらに、強情な態度は人に弱みを見せまいと耐え忍ぶ姿に見えるため、次第に、現在使われている我慢の意味となったわけです。
我慢している状態とは、自分の思いを素直に表現できずに自分の心を偽っていることであり、イライラや怒りを溜め膨らませる要因となります。
怒りは抑え我慢して消えるようなものではありません。
まして、それを「わざと」演じたところで、すぐに無理が生じます。
それは単に「いつわり」に過ぎません。
人の生き方にかなっていないのです。
我慢と辛抱は違います。
我慢を辛抱という意味でつかわれている人が多いのでしょうが、言葉のもつ力とは怖いもので、間違って利用しては具合が悪いのです。
そういうつもりでも、そういう意味があるとは顕在意識レベルでは知らなくても、潜在意識レベルではしっかりと力が発動されてしまっています。
我慢が自慢にしか過ぎないのに対し、辛抱は信望というように、長い冬を耐え忍び、その先に春を待つかのような希望があります。
我慢に進歩発展はありませんが、辛抱にはそれがあります。
我慢したっていいことなんてない、その意味がお分かりになられたでしょうか?
もし今が【我慢】や【苦労】をしなければならないような状態だとしたら、なにかが間違っているかもしれません。
やり方やあり方、考え方、ありとあらゆる可能性を疑ってみてください。
残念ながら【我慢】や【苦労】の先には道は開けません。
軌道修正、方針転換しなさい、というサインなのに、それを無視して【我】を通したところでうまくいくはずはないのです。
ところが、それに気づかず、いや、気づいているのに気づかないふりや【我慢】=【思いあがって】なかなか軌道修正できない人が多くします。
あなたが何者で、あなたの命を何に使うべきかが明確にわかる。
一人ひとりが独自性を発揮し、素晴らしく生きるための指針となる。
そんなオリジナルのトリセツが欲しいと思い創りあげた、
それが【満福へのレシピ】です。