願い | 余命3ヶ月だったバンドマン

余命3ヶ月だったバンドマン

Candy Vox Music 統括とLa'cryma Christi LEVINさんのローディー ケンツのBlog

 

 

今日でお盆も終わり。

ケンツは帰ってしまっただろうか。

 

 

昨年、ケンツがコロリ地蔵に行こうと唐突に言いだした。

「なんでそんなこと言うの?」言いたかったが、

「どこにあるの?」

「福島」

またテレビででも見たのかなと思った。

 

実家に行った時に再び

「コロリ地蔵っていうのが福島にあるらしいんですけど

 みんなで行きましょうよ。」

運転が好きなケンツは

「僕が運転するんで車で行きましょう」と。

「行ってみたいな。」

意外にも母親は乗り気だった。

しかし、田舎のお盆は忙しい。

「お盆が終わってからだな。」

「コロリ地蔵なら、近くにもあるよ。」

母親が教えてくれた。

ケンツは

「えっ?そうなんですか?(笑)」

驚きつつも

「そこでもいいな」

と言った。

 

 

既に痛みと闘っていたケンツにとっては

とても重大なことだったのだろう。

 

何年も前のことだが、ケンツが医師に訊ねた。

「もし治療をやめたら、最期はどうなるんですか?」

当時は肝臓に転移していたことを指し、

痛みもなく……ということを言われ安堵した様子だった。

(これが、後の「もう治療はせん」に繋がったのであろう。)

しかし、その後、化学療法やラジオ波を受け

肝臓のがんは小さくなった。

治療をしている間は、良くなるところがあれば、

新たに出現するがんもある。

抗体ができてしまっては……と、一進一退を繰り返す。

次の薬、その次の薬と進むにつれ、効きも悪くなる。

 

後に、痛みと闘う日々が訪れた。

痛み止めは、軽いものを少量から。

私が想定していたよりも早く医療用麻薬を使う日はやってきた。

痛みと薬の量とのバランスも難しく、

徐々にでないと副作用が重く出やすいとかだったか。

その間も痛みは酷くなって行く訳で。

調節も困難だった。

まして、外来でとなると効かなくても二週間後……と、

気を遣い、我慢強いケンツには訴えにくい状況であった。

外来の度に量が増えるようになった頃、ケンツが訊ねた。

「効く痛み止めがなくなることはないんですか?」

医師は大丈夫と言ってくれて一安心したようだったが、

痛みに対する恐怖や不安は計り知れないものだったに違いない。

 

 

結局、入院や体調が良くなかったりと、

コロリ地蔵を訪れることは叶わなかった。

 

 

緩和ケアでお世話になったことを改めて思い返した時、

一年にも満たないことに驚愕した。

私でさえこんなに長く……2年程は通ったと思ったのに……

当の本人にはどれだけのものだったのか……

 

 

 

ただひとつ。

眠りについたケンツの顔が穏やかであったことが救いです。