治療 | 余命3ヶ月だったバンドマン

余命3ヶ月だったバンドマン

Candy Vox Music 統括とLa'cryma Christi LEVINさんのローディー ケンツのBlog

 

ブログを読み返していると、居なくなった実感がまた遠退いていきます。

 

 

ケンツは何度となく「新しい治療はしない」と言いながら挑み続けました。


 

通院は、二週間に一度、三週間に一度と治療法によって異なりました。

採血などの検体検査はその都度、腫瘍マーカーと採尿は四週間に一度、もしくは三週間に一度、CTでの評価は3ヶ月に一度行われました。

そして、薬の効きが悪くなると次の治療を提案される……

 

ベクティビックス

NOBLE

ロンサーフ、スチバーガ

 

上記はケンツが拒否したものです。

東病院へのセカンドオピニオンを勧められることも多々ありました。

その都度、何度となく話し合いや説得を重ねてきました。

 

最後は本人の決断だけど、生きて欲しかった。

もっともっと未だ見ぬ世界を知って欲しかった。

だから、再びバンドをやることを勧めた。

ローディーをやろうかなと言った時に応援した。

ライブに誘った。

曲作りをバックアップした。

 

病気に気付いてあげられなかった。

不幸にしてしまった。

贖罪の念を持ちながらも、一緒に生きて欲しいと願った。

 

 

ベクティビックスはKRAS遺伝子に変異がない患者にのみ使えるというものだったと思います。

ただ、程度は様々ながら全身の皮膚障害が強く出るといわれるもの。

ケンツも例外ではありませんでした。

「毎日薬塗ってあげるから」

それが精一杯でした。

顔の発疹は相当なコンプレックスであり、ストレスになっていたようでした。

頭皮から全身に至るまでの湿疹、爪の変形……

相当な痒さらしく、寝ている時も無意識に掻いているようでした。

引っ掻き傷も絶えず、服やシーツも気付くと血だらけ。

皮膚科にかかったり、その都度相談して色々な塗り薬を試したり。

保湿効果の強いヒルドイドは手放せませんでした。

ベクティビックスが終わってからも抜け切れないのか、キレイに治ったと言われたのは

皮肉にも最期に近かったと思います。

髪は抜けるのに、まつげが伸びて濃くなるという症状が出たのもこれだったかと思います。

 

 

NOBLEは鎖骨付近の皮下にCVポートを埋め込み、腕などの血管から入れられないような

強いお薬をそこから48時間かけて入れるというものでした。

ポートを付けたら激しい運動はできない、つまりドラムができなくなるということでした。

ポートを埋め込む方法を知らされていなかった私たちは、説明が抜けていたことで

前日に同意書にサインすることになりました。

まさか、首のところを切るなんて……

知っていたら、もう少し慎重に勧めたのにと思いました。

当日、病室で見送った後、看護師さんが

「みなさん予定の時間より(すぐ)帰ってきますから^^」

予定の時間にも帰って来ず、聞くところによると大変だったという話でした。

血管が出にくくて大変な思いをしていたケンツだったので、

「これからは」という期待とは違い、急患や採血では腕からでガッカリしていました。

二日間潰れてしまうものの、点滴はつけたまま帰宅できます。

感染症は常に心配でしたが、実際には目立った副作用もなく、

「こんなに楽ならもっと早くやれば良かった」と冗談を言っていました。

しかし、副作用で傷が治りにくく……

ポートのところの傷が塞がらず、治療は見送り。

その間にもがんは大きくなり……

3ヶ月くらい治療ができなかったのだから無理もないと思っていたのに、

私のいない間にあれほど嫌がっていたロンサーフへの変更が決まっていました。

散々下痢で悩まされてきたケンツは、ロンサーフもやらないの一点張りでした。

しかし、一般的な副作用の酷い下痢の人は東大病院ではいないというデータ。

ケンツも安心したようでした。

「やらせたがってるからやってやる」

膵炎の時といい、事情は考慮されず、結果で評価されることが多く感じられたというのが

私の正直な印象でした。

しかし、骨転移したという事実。

 

もう後がないということが頭にあり、不安を感じるようになっていました。

 

でも、何があっても、私は信じてあげなければ

たとえ、ケンツ自身が諦めてしまったとしても……

 

 

骨髄抑制や白血球減少、血小板減少、酷い下痢などが懸念されるロンサーフ。

初めは大丈夫そうでしたが、回を重ねていくうちに、割と早い段階で下痢に悩むように……

それでも、治療を続けました。

痛みを抑えるフェントステープやオキノームは便秘を引き起こす為、予防薬として、

ピコスルファートや、酸化マグネシウム、センノシドなどが処方されました。

ピコスルファートやセンノシドは、効き目が激しく、正直使いたがりませんでした。

下痢と便秘という両極端な副作用とうまく付き合うだなんて、苦労をしたと思います。

頑張ったにも関わらず、無慈悲にも評価は「効いていない」

 

 

ロンサーフ同様、使用例も少なく副作用の酷いスチバーガ。

飲み薬ですが、手足症候群で歩けなくなると言われた為、さすがにやれとは言えませんでした。

歩けなかったら、出かけられなかったら、楽しみは……?

本人は勿論拒否。

このお薬だけは、二人とも意見は一致していました。

頑張っているのだからこそ、尊重してあげたかった。

ケンツの状態が良くなくなってからだったか、先生とお話ししていた時に、

「スチバーガをやっていたとしても、手は薬でべっとり。

 手袋か何かして、極力使わないようにとなっていたと思います」

というようなことを言われました。

 

 

思い返してみると、横浜にいた時は既にお腹が弱いというイメージだった。

だから、あまり気にしていなかったと言うのが正直なところ。

一緒に住み始めて、『家庭の医学』的な番組を観ながら

「これ、俺やん」

「そんなこと言うなら病院行きなよ」

「待ち時間長いから嫌や」

完全なるがん家系のうちは、両親から健康診断のことをしつこく言われていた。

勿論、ケンツにも行かせなさいと。

でも、まだ若かったから、お金と時間が惜しかったのだと思う。

そのせいで、莫大な時間とお金を費やすはめになるなんて……

この時は未だ、ことの重大さに気付いていなかった。