不要な謎なきアイスリボンのストレートな物語はハッピーへとつながる | KEN筆.txt

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鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

おそらく通常の蕨における興行も見ないでこういうものだと決めつけると的外れな恥ずかしい主観になってしまうと思われるが、あくまでもここ数回の後楽園大会を見たかぎりで感じたことを率直に書こうと思う。以前から唱えているように、私はアイスリボンが女子プロレス団体には見えない。リングに上がっているのは女性であっても、受け取り方はいわゆる男プロと同じ感覚でいる。

 

それがいったい、何によるものなのだろうと考えたのだが、この日のさくらえみvs真琴、TAJIRIvsりほをはじめとする全試合を見ていてなんとなく根源にあるものをつかめた気がした。アイスリボンは、不要な謎が残らないのだ。

距離を取ったところから眺めると、一連の真琴退団に関する流れはベタに映るだろう。やめていく人間と育てた人間、受け入れる側とそれに異を唱える側が一騎打ちをおこない、それぞれの立場からストレートに感情をぶつけていく。

 

だからビギナーが見ても常連が見てもごく自然に入っていける。試合によっては意図的に引っかかりを挿入したり、整合性を崩すことでイレギュラーな印象を植えけたりする場合もあるが、基本は観客と気持ちを共有する点に重きを置いている。

過去に女子プロを見ていて、女子にしかわからない感情やリングに投影されぬ個人的関係が試合の中に現れ、それが見る側には伝わらぬ謎として残った経験があった。そして多くの場合、半永久に解明されぬままに終わる。

 

そのような生々しさも含めて女子プロレスという見方もあり、そうした土壌だからこそ表現者としてより磨かれ、独自の文化を築いてきたのだからそれ自体を否定するつもりはない。ただ、アイスリボンに関しては「プロレスでハッピーを」との理念からはかけ離れてしまう。

アイスリボンでも、同じ女子が気持ちをぶつけ合っているのだからそういったケースも起こり得るし、じっさいにあっても私の目が節穴で気づかぬだけなのかもしれないが、少なくとも後楽園でそういった違和感を覚えたことは現時点では皆無だ。「謎かけ」と言えば聞こえはいいが、中には結果として答えを明確に表現できず、あとづけで便利に使われるケースもある。失敗を失敗と受け取ろうとせず、謎を誤魔化しの方便にされるとゲンナリする。

わかりづらさや謎が残ると、ハッピーは生み出せない。「プロレスは謎があってそれについてあれこれ考えるところがおもしろい」との見方はあってしかるべきだが、単に困惑するような謎を与えてしまったら、観客は心からハッピーになれるだろうか。じつはTAJIRIがSMASHでやっていることもベタベタなぐらいにストレートであり、もっと広げるとWWEもベタを忠実に表現している。

長きに渡り女子プロのカテゴリーにあった流れよりも、アイスリボンはそちらの系譜に近い気がしてならないのだ。ベタをしっかりと見せるには根気がいる。「こんなのミエミエじゃん」という声と闘っていく必要があるからだ。でも選手たちが自分の気持ちに素直であることと、そこに観客がいることを両立させればストレートな表現であっても見る側の心に届くはずだ。

この日、4人は4人なりの気持ちをストレートに出した。TAJIRIの闘い方はりほを突き放したように映っただろうが、あれはあれで正直な思いが表現されていたように思う。彼は3月に、KUSHIDAの新日本移籍によって逆の立場も経験している。もっとさかのぼると、IWAジャパンをやめた時から数え切れぬほどの別れを繰り返してきた。

「こういうことがいっぱい積み重なって、だんだん心がガチッと固まって、そのうちなんでもなくなる。その時に、やっとプロレスラーは強くなれる」

共有してきた時が長い他の3人や、それを見続けてきたファンではない立場だからこそ言えるTAJIRIのひとことは、物語を読みあげるナレーターが登場人物へ言い聞かせるかのように加えた助言のようだった。そういう役柄がひとり入ったことで、物語に現実感が増したといえる。

感情をぶちまけるだけでは、それこそ観客不在となりかねなかった。しかし、そこには真琴を受け止められるさくらとりほを受け止めたTAJIRIがいた。一方的な気持ちの投げかけだけでは、物語たり得ない。それを受ける相手がいることで、観客は物語としてあの場を共有できた。

 

そしてそれは、真琴だけではなくかかわった人間と見届けた者たちの中で今後も続いていく。退団の二文字をネガティヴにとらえるのではなく「ここから先の物語が始まった」と思えば、けっして哀しみや寂しさだけではなく、未来に待つハッピーを追い求めていけるはずだ。

その意味では、メインで藤本つかさを破りICE×60新王者となったみなみ飛香の物語もこれからだ。本人的にも不本意な内容だったと思われるが、起承転結の"承"で終わるのではない。彼女はこれから"転"と"結"を幾度となく見せていく必要がある。

 

プロレスラーは一生のうちでそれを繰り返し、その流れがさらに大局的な起承転結を織りなすのだ。さくらもTAJIRIも、もっとも大きな転は来ていないか、あるいはすでにそれを通過して結に向かっている段階にある。

 

それと比べたら、みなみも真琴もりほも藤本も、無限に転と結が待っている。その流れの中では、たとえ離ればなれになろうとも真琴はさくらと、アイスリボンの仲間たちとこれからもつながっているのだ――。

 

 

煽り映像の中で真琴は「さくらさんには引きとめてほしかった」と、自分で選択した道とは正反対の気持ちを口にした。さくらの入場を待つ時点で泣き顔に。

 

 

前半のさくらの攻めはバックハンドチョップが主体。その一発一発は快音を発することなく重さが伝わるものだった。

 

 

コーナーに追い込み左右のショートレンジ・ラリアットを振り乱す。

 

 

逆エビ固めは"腕立て伏せ論争"からつながっている。真琴は這ってロープへ。

 

 

中盤からは真琴も反撃。だが、感情が先走ってか正確性に欠けた。こういう場合、さくらが採ったような距離を置かない攻めの方が的確にダメージを与え、自分のスタミナもムダに消耗せずに済むが、それを望むのは酷なシチュエーションだろう。

 

 

いつの間にか花道奥で屈伸・柔軟運動をしながらTAJIRIがこの試合を見ていた。

 

 

ジャーマン・スープレックス、スピアーと持ち得る技を出していった真琴だが、さくらは追い込まれたとは感じさせなかった。

 

 

この試合である意味もっとも印象に残ったシーン。バックドロップの連打からさくらがチョイスしたのはフィンガーロックだった。過去にこの技で真琴がギブアップしたのを見たことがあったのと、SMASHでのセリーナ戦でこれをかけられなすすべなくエスケープしたのを見ていたため出したという。だが、真琴は自力で切り返してみせた。さくらは何を思ったか。

 

 

真琴のダイビング・ボディープレスを凌いださくらはラ・マヒストラル、ヴァルキリースプラッシュ、2階からのにゃんにゃんプレスとつないで3カウントを奪った。

 

 

倒れ込む真琴のもとへ駆け寄るTAJIRI。その後、さくらと距離をとったまま無言で目を合わせたが、そこへりほも飛び込んできて襲いかかりゴングが鳴らされた。

 

 

TAJIRIはりほの攻撃を受けなかったわけではない。それが効かなかっただけだ。体重差を利してグラウンドでコントロールし、張り手も顔を突き出して受けた上で一発で返し、最後は両腕を固めて丸め込むトケ・エスパルダにより4分台で決めた。

 

 

何もできなかったことを痛感した上でなお、りほはこの表情。

 

 

「本当に悔しいけど…もっともっとプロレスを勉強します。真琴さんは、TAJIRIさんについていけば大丈夫だと思います。さくらさんは……自分が、自分たちがいるので大丈夫です」というりほの言葉に、コーナーへ座り込んでいたさくらが泣き崩れる。

 

 

さらに「TAJIRIさん、お願いがあります。真琴さんのこと、どれだけ泣かしてもいいです。でも最後まで、夢をかなえる最後まで真琴さんのことをお願いします」と言葉を続けると、TAJIRIはりほと握手。そして…真琴はさくらのもとへ。

 

 

「皆さん、いってきます!」と別れを告げた真琴に、紫と白の紙テープが投げ込まれた。

 

 

「16歳の夏」と銘打たれたみなみのタイトル挑戦物語だったが、試合は王者・藤本のペースで進んでいった。

 

 

だが、最後は"世界一美しい"ブロックバスター・ホールドで藤本から3カウントを奪い、みなみが第12代王者に。これが同王座2度目の戴冠となる(1度目は第9代)。

 

 

新王者のキュー出しでエンディング曲へ。最後はさくらの音頭で締め。この様子を真琴は遠巻きに見つめていたという。

 

 

最後に、無条件にハッピーとなれるショットを。左がFREEDOMSの佐々木貴、右がアイスリボンの佐藤肇代表…ん!?