9月にリリースされた12枚目のオリジナルアルバム『音楽産業廃棄物P-MODEL OR DIE』の帯にある「成人したテクノ」のコピー。それは、P-MODEL結成20周年と同義語である。
今から20年前、プラスチックス、ヒカシューとともに「テクノ御三家」としてミュージックシーンに登場したP-MODELは、幾度となくメンバーチェンジを繰り返しながら常に斬新な音楽へのアプローチを続けてきた。その記念キャンペーンとして起ち上げられたのが、アルバムと同タイトルのプロジェクト。
リーダーであり、唯一のオリジナルメンバーである平沢進はファンにとって垂涎である“過去モノ”を世に出すのを非常に嫌う人。ライヴのテープやヴィデオもいっさい見直すことはしない。それがまた、20年続いた秘訣にもなっているという。
「20年続いた秘訣ですか? 反省しないことです。かといって何も考えていないわけじゃなくて、失敗したところぐらいは憶えているわけです。だからそれ以上に失敗したところを確認しないというのが秘訣ですね。忘れている失敗は、なかったのと同じだと」
だからこそ、P-MODELが20周年という括りを大々的にやってしまうこと自体が異例なのだ。しかも前述したニューアルバム以外にも、年内に3枚の「ヴァーチャルライヴ」シリーズをリリース、10月には全国ツアーもおこなうなど、怒濤のイヴェントラッシュにファンも嬉しい悲鳴をあげた。
「20周年だからというのは曖昧な動機なんですが…そうなんです(笑)。イヴェント的に賑やかにしようという意味で、20周年だからという曖昧な理由でやってしまうことも許される20周年」
このキャンペーンタイトルである「音楽産業廃棄物」とは、平沢いわく「音楽業界で出世をフイにしタテをつく」という、ラディカルなイメージを覚えるもの。これは今になって思いつきでやっているのではなく、デビュー当時からの一貫した姿勢だった。
「私らにとって今の音楽産業はダメですね。ビジネスであることと、文化であることのバランスがなっちゃいないです。両方のバランスがとれていなければリスナーがいなくなり、マーケットが死んでしまうということです。これは、20年前にこうなることは十分予測できたことですし、メジャー活動を始めた時から違和感がありました」(平沢)
「ビジネスと文化のバランスっていうのは、たとえば大きなメジャーのレコード会社においては、バランスって何で決定されるかといったらCDの売り上げであって、けっしてそれはアーティストのアート性だとか、ディレクターがおもしろいと思ったとかいう尺度ではないわけです」(小西健司)
なんとか音楽産業との折り合いをつけて活動を続けてきたP-MODELだが、今年に入りメジャーレコード会社との契約を結ばぬ道を選んだ。インターネット上におけるMP3というデータファイルによる音楽の配信がそれだ。
従来のバンドの概念とはかけ離れた形式をとるP-MODELは、レコーディングやプロモーションヴィデオを制作するさいでもメンバー同士は直接顔を合わせず、すべてネット上においてのコミュニケーションで進められる。今回のニューアルバムも、一度も一個所に集まらずに完成した。
他のアーティストに先駆けてインターネットの有効性に着眼したP-MODELにとって、ハイクオリティーな音質で従来の流通に頼ることなくリスナーへダイレクトに配信できるMP3は理想のツールと言えた。CDリリースより先にネット上にて、一曲単位でダウンロードできるのだ。
「反響は、よいと思っています。たとえばP-MODELのリスナーすべてがパソコンを持っているわけではないということ、ネットワークで配信したところで初めてP-MODELを聴こうとする人にとって、サンプルが不十分であることを踏まえても、売り上げは好調です」
MP3という武器により、一本の線でリスナーとつながったP-MODEL。楽曲の方も音楽産業廃棄物のコンセプトにそって創られた。
「おおもとにあるのが再生・再利用なんですが、音作りをする時に過去80年代から現在にいたるまでの音像処理の仕方をもう一度やり直してみるとか、過去扱っていた題材を、もう一度新しい曲の中で展開してみるとか」
ドラムサウンドやエコーにおける過去の手法を素材として再利用してみたり、今までのライブラリーを使うことなくもう一度サンプリングしたり…20周年だからというお題目から、コンセプトはどんどん広がっていったようだ。中でもニューアルバムの一曲「HEAVEN2000」(小西作曲)は、古くからのファンなら引っかかったはず。
「これは最初から意味づけしてやったわけではないんですけど、僕の頭の中ではドラムサウンドまでそういうエコー風なことをやっちゃったんだったら、一番印象に残っているのが『HEAVEN』(P-MODEL4枚目のアルバムに収録)だったんで、2000年風にやってみようと」(小西)
当時、平沢作のこの曲は同時期に小西が作った「AFTER DINNER PARTY」と似ていると評判だった。そこで、この「HEAVEN2000」の間奏には「AFTER~」のフレーズを使うという、マニア心をくすぐる遊びがおこなわれている。
去る10月14日に札幌でもおこなわれたライヴツアーも、この再生・再利用の延長線上にあった。ハードディスクレコーディング機を中枢部とするそのシステムは、元来ライヴに求められる即興性をバッサリと切り捨てている。
「ライヴをもう一度ライヴとして見直してみた結果、今までインターネットであったりストーリーであったりそういうものが付随してきましたが、ライヴの一番ベーシックな形としてもう一回再生してみたいという」(小西)
「ライヴ演奏といえば楽器を生演奏しているということでありますが、僕らの考えるライヴというのはひとつの現場を共有するというようなものですから。たとえば我々はたまたま音楽のグループとして認知されていますから、音楽を軸にした空間が成り立つ理由としています。理由とか考えていくと(ライヴは)やりたくないなと思うんですけど、やっぱりやればおもしろいんですいよね、それは。現場現場で、あ、メンバーがこんなことをしているとかっていうのを…やっぱりいっしょになんかやることの楽しさっていうことですよね」(平沢)
「ライヴは楽しいです。本当はもっとやりたい? うーん、移動で新幹線とかに乗るのが楽しいっていう(笑)」(福間創)
ネット上におけるレコーディング作業においてもセッション性は感じられるというメンバーだが、ライヴにはライヴなりの楽しさを感じているようだ。2年に一度ぐらいのペースで大都市しか回らない今では、デビュー当時に年間何十本とこなしていた事実も夢のような話である。
その頃のライヴの熱気や演奏を擬似的に再現したのが「ヴァーチャルライヴ」シリーズ。11月25日にはVol.2がリリースされた。現メンバーの中では最年少の福間は、20年前はまだ7、8歳。その頃のサウンドを自分が再現するというのも不思議な感じがするという。
「当時のそういうムーブメントっていうのは、全部あとから本で読んだりとかCDで買ったりとかいう世代なんで。ああそうだったのかあって感じですね」
20年も続けていると、すでに廃盤や手に入りにくくなっているアルバムもある。それをただ再発するのではなく、擬似ライヴという形で“再生産”してしまうあたりが、今回のコンセプトの真骨頂といえよう。
このほか、20年間の軌跡をまとめた完全データ本(CD-ROMつき)も年内に発売されるなど、2000年を迎えるまで止まらない。来年は各自ソロが中心となるが、2001年にはユニットとしての活動を再開するという。その時、彼らはどんな武器を携えてP-MODELで在り続けるのだろうか――。(『さっぽろたうん情報』1999年12月号掲載)
今から20年前、プラスチックス、ヒカシューとともに「テクノ御三家」としてミュージックシーンに登場したP-MODELは、幾度となくメンバーチェンジを繰り返しながら常に斬新な音楽へのアプローチを続けてきた。その記念キャンペーンとして起ち上げられたのが、アルバムと同タイトルのプロジェクト。
リーダーであり、唯一のオリジナルメンバーである平沢進はファンにとって垂涎である“過去モノ”を世に出すのを非常に嫌う人。ライヴのテープやヴィデオもいっさい見直すことはしない。それがまた、20年続いた秘訣にもなっているという。
「20年続いた秘訣ですか? 反省しないことです。かといって何も考えていないわけじゃなくて、失敗したところぐらいは憶えているわけです。だからそれ以上に失敗したところを確認しないというのが秘訣ですね。忘れている失敗は、なかったのと同じだと」
だからこそ、P-MODELが20周年という括りを大々的にやってしまうこと自体が異例なのだ。しかも前述したニューアルバム以外にも、年内に3枚の「ヴァーチャルライヴ」シリーズをリリース、10月には全国ツアーもおこなうなど、怒濤のイヴェントラッシュにファンも嬉しい悲鳴をあげた。
「20周年だからというのは曖昧な動機なんですが…そうなんです(笑)。イヴェント的に賑やかにしようという意味で、20周年だからという曖昧な理由でやってしまうことも許される20周年」
このキャンペーンタイトルである「音楽産業廃棄物」とは、平沢いわく「音楽業界で出世をフイにしタテをつく」という、ラディカルなイメージを覚えるもの。これは今になって思いつきでやっているのではなく、デビュー当時からの一貫した姿勢だった。
「私らにとって今の音楽産業はダメですね。ビジネスであることと、文化であることのバランスがなっちゃいないです。両方のバランスがとれていなければリスナーがいなくなり、マーケットが死んでしまうということです。これは、20年前にこうなることは十分予測できたことですし、メジャー活動を始めた時から違和感がありました」(平沢)
「ビジネスと文化のバランスっていうのは、たとえば大きなメジャーのレコード会社においては、バランスって何で決定されるかといったらCDの売り上げであって、けっしてそれはアーティストのアート性だとか、ディレクターがおもしろいと思ったとかいう尺度ではないわけです」(小西健司)
なんとか音楽産業との折り合いをつけて活動を続けてきたP-MODELだが、今年に入りメジャーレコード会社との契約を結ばぬ道を選んだ。インターネット上におけるMP3というデータファイルによる音楽の配信がそれだ。
従来のバンドの概念とはかけ離れた形式をとるP-MODELは、レコーディングやプロモーションヴィデオを制作するさいでもメンバー同士は直接顔を合わせず、すべてネット上においてのコミュニケーションで進められる。今回のニューアルバムも、一度も一個所に集まらずに完成した。
他のアーティストに先駆けてインターネットの有効性に着眼したP-MODELにとって、ハイクオリティーな音質で従来の流通に頼ることなくリスナーへダイレクトに配信できるMP3は理想のツールと言えた。CDリリースより先にネット上にて、一曲単位でダウンロードできるのだ。
「反響は、よいと思っています。たとえばP-MODELのリスナーすべてがパソコンを持っているわけではないということ、ネットワークで配信したところで初めてP-MODELを聴こうとする人にとって、サンプルが不十分であることを踏まえても、売り上げは好調です」
MP3という武器により、一本の線でリスナーとつながったP-MODEL。楽曲の方も音楽産業廃棄物のコンセプトにそって創られた。
「おおもとにあるのが再生・再利用なんですが、音作りをする時に過去80年代から現在にいたるまでの音像処理の仕方をもう一度やり直してみるとか、過去扱っていた題材を、もう一度新しい曲の中で展開してみるとか」
ドラムサウンドやエコーにおける過去の手法を素材として再利用してみたり、今までのライブラリーを使うことなくもう一度サンプリングしたり…20周年だからというお題目から、コンセプトはどんどん広がっていったようだ。中でもニューアルバムの一曲「HEAVEN2000」(小西作曲)は、古くからのファンなら引っかかったはず。
「これは最初から意味づけしてやったわけではないんですけど、僕の頭の中ではドラムサウンドまでそういうエコー風なことをやっちゃったんだったら、一番印象に残っているのが『HEAVEN』(P-MODEL4枚目のアルバムに収録)だったんで、2000年風にやってみようと」(小西)
当時、平沢作のこの曲は同時期に小西が作った「AFTER DINNER PARTY」と似ていると評判だった。そこで、この「HEAVEN2000」の間奏には「AFTER~」のフレーズを使うという、マニア心をくすぐる遊びがおこなわれている。
去る10月14日に札幌でもおこなわれたライヴツアーも、この再生・再利用の延長線上にあった。ハードディスクレコーディング機を中枢部とするそのシステムは、元来ライヴに求められる即興性をバッサリと切り捨てている。
「ライヴをもう一度ライヴとして見直してみた結果、今までインターネットであったりストーリーであったりそういうものが付随してきましたが、ライヴの一番ベーシックな形としてもう一回再生してみたいという」(小西)
「ライヴ演奏といえば楽器を生演奏しているということでありますが、僕らの考えるライヴというのはひとつの現場を共有するというようなものですから。たとえば我々はたまたま音楽のグループとして認知されていますから、音楽を軸にした空間が成り立つ理由としています。理由とか考えていくと(ライヴは)やりたくないなと思うんですけど、やっぱりやればおもしろいんですいよね、それは。現場現場で、あ、メンバーがこんなことをしているとかっていうのを…やっぱりいっしょになんかやることの楽しさっていうことですよね」(平沢)
「ライヴは楽しいです。本当はもっとやりたい? うーん、移動で新幹線とかに乗るのが楽しいっていう(笑)」(福間創)
ネット上におけるレコーディング作業においてもセッション性は感じられるというメンバーだが、ライヴにはライヴなりの楽しさを感じているようだ。2年に一度ぐらいのペースで大都市しか回らない今では、デビュー当時に年間何十本とこなしていた事実も夢のような話である。
その頃のライヴの熱気や演奏を擬似的に再現したのが「ヴァーチャルライヴ」シリーズ。11月25日にはVol.2がリリースされた。現メンバーの中では最年少の福間は、20年前はまだ7、8歳。その頃のサウンドを自分が再現するというのも不思議な感じがするという。
「当時のそういうムーブメントっていうのは、全部あとから本で読んだりとかCDで買ったりとかいう世代なんで。ああそうだったのかあって感じですね」
20年も続けていると、すでに廃盤や手に入りにくくなっているアルバムもある。それをただ再発するのではなく、擬似ライヴという形で“再生産”してしまうあたりが、今回のコンセプトの真骨頂といえよう。
このほか、20年間の軌跡をまとめた完全データ本(CD-ROMつき)も年内に発売されるなど、2000年を迎えるまで止まらない。来年は各自ソロが中心となるが、2001年にはユニットとしての活動を再開するという。その時、彼らはどんな武器を携えてP-MODELで在り続けるのだろうか――。(『さっぽろたうん情報』1999年12月号掲載)