BOOM BOOM SATELLITESが与えてくれる“乗り越える力” | KEN筆.txt

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鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

BGM:BOOM BOOM SATELLITES『LAY YOUR HANDS ON THE SUN』

 

あの日からブログはもちろん、ツィッターでもBOOM BOOM SATELLITESについて書けずにいた。川島道行さんが亡くなられた時になんらかの形で追悼の意を残さなければと思っても、11月に催された新木場STUDIO COASTにおけるお別れ会に足を運んでも、140文字のツィートをすることさえためらいがあり、なんらかの情報がリリースされたさいにリツイートするだけにとどまってきた。

 

理由は明らかである。どんな表現をしたところで、BOOM BOOM SATELLITESがやってきた尊敬すべきことを伝える言葉が私には持てなかったのと、もうひとつはやはり川島さんがこの世にいないという現実をずっと受け入れられずにいたからだ。

 

▲2015年5月20日、渋谷CLUB CUATTRO「BOOM BOOM SATELLITES FRONT CHAPTER Vol.4」

 

私は一ファンであって、関係者や取材する側として至近距離から目撃してきたわけではない。持っている情報は何もかもが伝聞であり、そこからひねり出される言葉の説得力などタカが知れている。

 

それでもBOOM BOOM SATELLITESとそのスタッフさんには、前向きにとらえられる機会を与えていただいたはずだった。心のこもったお別れ会は語弊のある言い方をさせてもらえるなら、BOOM BOOM SATELLITESだからこそできるエンターテインメントとして成立していた気がする。

 

▲2016年11月15日、新木場STUDIO COAST「BOOM BOOM SATELLITES MICHIYUKI KAWASHIMA FAREWELL EVENT」

 

ご家族と並び誰よりも辛い喪失感と向き合っているであろう中野雅之さんは、それを表に出すことなくファンに対し何度も何度もポジティヴな姿勢を示し続けた。それでもこれまで2人から与えられたものと境遇を思うと、とてもではないが自分の思いを140文字で済ませる気にはなれず、パソコンのキーボードやスマホに向き合えなかったのだ。

 

あの日から、BOOM BOOM SATELLITESの音楽を聴けなくなった。本来それは、アーティストの本意とは違うはず。何があろうとも、作品に触れられなければ命懸けで伝えようとした思いも理解されない。

 

今、ここで“命懸け”という言い回しをしたこと自体、嫌悪感を抱いてしまう。そんなありきたりの言葉で表してしまったら、川島さんと中野さんがやってきたことが陳腐に映ってしまうという恐れがそうさせる。

 

▲2012年12月6日、渋谷CLUB QUATTRO「“EMBRACE” The 15th Pre Release QUATTRO Premium Party」

▲2013年5月3日、日本武道館「BOOM BOOM SATELLITES EMBRACE TOUR 2013 FINAL」

 

お別れ会へ足を運んだあとも聴きたいのに、耳にしたいはずなのにずっとためらっていた。ようやく大晦日、年越しプロレスの生中継が始まるまで放送席に座りながらBOOM BOOM SATELLITESの曲に触れた。哀しみに浸るのではなく、自分にとっての2016年とイコールで結ばれる川島さんの声を体内に注ぎ、その年最後の自身がやるべきことへ向かうためだった。

 

死して、なお力を与えてくれる川島さん。あの時も、そうだった――。

 

東日本大震災によって、精神的に何も手がつけられなくなった数日間。あれほど身近にあった音楽さえも忘れてしまった3日間があった。目の前に流される信じ難い現実を直視できず、部屋の中で下ばかり見ていた。

 

そして4日目、まるで救いを求めるようにiPodへ手を伸ばし、PLAYにタッチすると流れてきたのは『BACK ON MY FEET』だった。それまでロックの心地よさとエクスタシーを感じるためのナンバーだったのが、ガラリと表情と言葉を替えて耳に飛び込んできた。あれほどノリのいい曲が、このシチュエーションでは涙腺を決壊させるほどの心に染みるものとして作用したのだ。その時、私はようやくこうツイートした。
 
「あの日以降忘れていた音楽。3日も聴かなかったのはいつ以来か。ようやくiPodに手を伸ばす気になりBOOM BOOM SATELLITESの『BACK ON MY FEET』を聴く。ハイスピードのロックが涙腺に染みることもある。音楽は、時と場合によってその役割を自在に変えられる」(当時、書いたブログから転載)

 

▲2012年12月6日、渋谷CLUB QUATTRO

▲2013年5月3日、日本武道館

▲2014年3月18日、渋谷CLUB QUATTRO「BOOM BOOM SATELLITES TOUR 2014 STARTING OVER」

▲2014年7月2日、EX THEATER ROPPONGI「BOOM BOOM SATELLITES EX THEATER PREMIUM LIVE SERIES~GO LIVE VOL.2」

 

聴けないと思う一方で、リスナーとして救いを求めてしまう。都合のいいことなのはわかっているが、自分にとってBOOM BOOM SATELLITESの音楽はこれからもそういう距離感で息づいていくのだと思う。

 

今年に入り、ベストアルバム『19662016』リリースに併せてイベントや関連書籍の発刊が続いている。そのうちのひとつとして、初回特典に同梱されるライヴヒストリーを追った映像のライヴビューイングが28日、全国9ヵ所で催された。

 

上映前におこなわれた中野さんのトークセッション(会場は新宿バルト9だったが、その他の会場でもスクリーンで生配信された)を聴いたあと、ライヴを中心としたドキュメンタリー映像を1列目から見上げるように眺めるうち、喪失感が埋められていくような気がした。本来ならば構えたり恐れたりすることなく、音や映像を通じ2人の存在を感じることで乗り越えていくべきなのだと。

 

そのための力は、いつだってBOOM BOOM SATELLITESが与えてくれるのだから。

 

▲2015年5月20日、渋谷CLUB CUATTRO

これは2012年3月17日、富山県南砺市の福野文化創造センター円形劇場ヘリオスにてPOLYSICSとのツーマンライヴを見にいった時に、ライヴ終了後のツイートに対しありがたくも川島さんにしていただいたリプライである。一ファンのつぶやきにまで対応し、その中でも伝えることに対する深いこだわりと姿勢を表していた。

 

それ以前にも、震災後のライヴMCで川島さんは「僕らは音楽家として責任ある発言をしなければいけないと思いつつ、新しい音楽を作っています」と言ったことがあった。ロックのコンサートで“責任”という言い回しは初めて聴いたので、強く心に刻まれたのを憶えている。

 

▲2014年3月18日、渋谷CLUB QUATTRO

 

この仕事をしていると、伝えることの難しさに直面するのが常である。もちろん自分がやっている規模と同列化するのはおこがましすぎるが、アーティストとして高いところから見下ろすのではなく、リスナーと同じ目線で自分の本音を包み隠さず見せる川島さんに感銘を受けた。

 

同じ140文字でも、伝わるものは伝わる。それは日々の中でその人がどれほどのことをやってきたかによるのだと思う。

 

スクリーンを通じ今、目の前に在った川島さん。ライヴビューイングの終了とともに、またほかの手段で喪失感を埋めていくとともに力を与えてもらうのだと自分に言い聞かせたところで、目の前に驚くベきテキストが浮かんだ。

 

 

息を飲んだ。それがどんな形になるのか現時点ではわからない。ただ、川島さんの存在が感じられる場を設けてくれることへの感謝があふれるように湧いてきた。

 

「BOOM BOOM SATELLITESという存在は僕にとって切っても切り離せない大切なもの。だから今は“BOOM BOOM SATELLITESの中野雅之”として生ききろうと思い始めています。これから川島くん以外の人と音楽を作るということになっても、自分がBOOM BOOM SATELLITESの大事な片割れであることは忘れずに生きていこうと思ってます」

 

▲2014年3月18日、渋谷CLUB QUATTRO

 

トークセッションで中野さんは、そう語った。そこに川島さんがいないのではない、これからはより川島さんと一心同体となった中野さんが我々に力を与えてくれるのだろう。

 

力を与えられたり、前向きになれたりしているのは川島さんがこだわっていた“伝えること”がしっかりとなされている何よりもの証明である。BOOM BOOM SATELLITESとしての活動は終了しても、その音楽は聴く側の姿勢によってより絶大なものとなるはず。そんな力を、誰よりも中野さんが信じている――。

 

▲2014年7月2日、EX THEATER ROPPONGI

 

音の質感と意思/BOOM BOOM SATELLITES LIVE

2010年10月2日、幕張メッセにて初めてBOOM BOOM SATELLITESのライヴを見た時のリポート

ロックのライヴで聞いた“責任”という言葉と、伝わった姿勢/BOOM BOOM SATELLITES at 恵比寿LIQUID ROOM

2011年12月28日、恵比寿LIQUIDROOMライヴ

BOOM BOOM SATELLITES公演延期…その時、現場は音楽のジャンル力で乗り越えた

2012年4月1日、新木場STUDIO COASTで開催される予定だったサカナクションとのツーマンライヴが川島さんの急な体調不良により直前で中止に。サカナクションのみが公演をおこなう

エモーショナルな音のバトルとウェットな言葉のコントラストによるバンドらしさ
4月1日の代替公演としておこなわれた6月23日、新木場STUDIO COASTライヴ

音楽を通じた“with”の力…武道館へ疾走するBOOM BOOM SATELLITESという運動体

2012年12月6日、渋谷CLUB QUATTROライヴリポート。オフィシャルでオーディエンスによるリポートを募集する企画があり、そこで書かせていただいたためライヴ後にメンバーの話を聞いた上で執筆