忘れじの“2・11大阪”…内藤哲也、3年越しの大逆転ドラマ | KEN筆.txt

KEN筆.txt

鈴木健.txtブログ――プロレス、音楽、演劇、映画等の表現ジャンルについて伝えたいこと

BGM:JAPAN『果てしなき反抗~Adolescent Sex』

 

11日は新日本プロレスワールドでエディオンアリーナ大阪大会を観戦後、ニコニコプロレスチャンネルの二次会へ。私が内藤哲也と初対面したのは2013年5月、レスリングどんたくの直前座談会にフロントの阿部猛さんとともに出演していただいた時だった。

 

通常、座談会は全カードの勝敗予想をする番組で、長くても2時間内に終わるものなのだが、この時は内藤のトークスキルによりどんどん話が広がり、終電超えの3時間に及んだ。ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン結成を機に弁が立つようになったと思われているが、じつはその時点で頭の回転が速く、突っ込みも一級品だったのだ。

 

内藤はこちらが週刊プロレスに在籍していたことも、ましてやマスコミというのも知らず(「喋りの人」と思ったらしい)、にもかかわらず異様なまでに話の波長が合った。今でもあれはなんだったのだろうと思う。

 

結果、ニコプロ開設3ヵ月にして初となるアンケート100%という偉業を達成。おそらく、あそこで見方が変わった視聴は多かったはず。というのも、その時点で内藤には向かい風が吹き出していたからだ。

 

 

右ヒザ前十字ジン帯断裂の手術を受け欠場を続けていた内藤は、レスリングどんたくのリングで復帰を宣言。6月より戦列へ戻りその年のG1クライマックスで初優勝を遂げる。この勢いで田中将斗からNEVER無差別級王座も奪取。実績を見れば大活躍となるにもかかわらず、支持率は上がらなかった。

 

それが翌年の1・4東京ドームで如実な形として表れる。オカダ・カズチカのIWGPヘビー級王座に挑戦することが決まっていながらファン投票の結果、中邑真輔vs棚橋弘至のIWGPインターコンチネンタル戦にメインイベント(ダブルメインという扱いだったが)を譲る形となってしまった。

 

東京ドームのメインにセンター花道を歩いて入場することを夢見ていながら、ファンのジャッジメントによってそれは離れていった。王者のオカダには辛らつな言葉を浴びせられ、G1後からにわかに高まっていた罵声やブーイングがともに絡みつく。いたって正統的な闘いをやっているにもかかわらず、それさえも拒絶される。

 

その間も内藤はニコプロに何度か出演したのだが、コメント上では会場とは打って変わって支持された。「僕も毎月540円払っているニコプロ会員ですよ」「二次会のタイムシフトで自分に関するところは見ています」などと発言すると「内藤はニコプロ民の代表だ!」とみんなが喜んだ。

 

もっともそういったファンだけではなく、二次会で内藤について触れるといわゆる“荒れた”状態となった。試合を見て正直な感想を述べても「鈴木健は内藤を擁護している」とされた。私はどう言われようと構わないのだが、あれほどプロレスが好きで、新日本を愛していて、今でもファンの頃の思いを持ち続けて夢を追い求めている人間に対し、そこまで辛らつになるのは、どういうことなのだろうと考えさせられた。

 

そんな中、今でも忘れることのできない2014年2月11日、ボディメーカーコロシアム(現・エディオンアリーナ大阪)の石井智宏とのNEVER無差別級戦はおこなわれた。新日本らしさを体中から発散させる叩き上げのチャレンジャーは、圧倒的な支持を得てチャンピオンに襲いかかった。

 

9割…いや、それ以上と思われる大ブーイング。何をやっても、どんな技を決めても、さらにはグロッギー状態となっても諦めずに粘っても、とにかく内藤が何かをやるだけで無条件にブーイングが飛んでくるような、今思うと異様なまでのシチュエーションだった。まるで、世の中の悪いことすべてが「内藤、おまえのせいや!」と言わんばかりの反応。

 

この試合で王座から転落した内藤は、翌日ニコプロの開設1周年記念公開収録イベントに出演した。防衛を果たせばNEVER無差別級のベルトが新宿ロフトプラスワンの壇上に置かれていた。

 

視聴者もそれを心待ちとしていたはずだが、そうはならなかった。こちらとしてはよくぞあそこまでの試合をやってくれたという思いだったから、それに関してはまったく残念などとは思わず、むしろあの激闘の翌日に出演していただくことに恐縮した。

 

イベントでは、駆けつけたファンも生配信を見る視聴者もみんな内藤に温かった。口では「ブーイングは気にせずにやる」と言っても、やはりそこは人間である。正しいと思って、信念を持ってやっていることにNOを突きつけられて何も思わぬはずなどない。

 

そんな内藤にとって、局地的かもしれないが支持してくれるファンのいる場所があった。それが少しでも支えになってくれたら…というのが、当時の偽らざる思いだった。

 

あの大阪から3年が経ち同じ2月11日、同じ“府立”へ内藤は姿を現した。その瞬間の「キター!!!!」と言わんばかりのどよめき、歓声、期待感が混然一体となったリアクションを聞いた時、人間はここまで自身の評価を劇的にひっくり返すことができるのかと震えが走った。

 

今や絶大なる人気を誇るロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンの内藤哲也。すでにそれは見馴れた光景と言っていいだろう。私は、今になって「こうなることはあの頃の時点でわかっていた」などとは口が裂けても言えない。だが“2・11大阪”に関しては、やはり特別な感情を抱いてしまう。

 

内藤は昨年11月に続き2回連続府立でメインを務め、いずれも前売りの時点で完売させた。もちろん新日本そのものの人気や、前回ならばタイムボムというフックもあった。でも、興行において誰がメインを張るかは重要であり、やる側にとっては自身のステータスに直結する。

 

 

11月はマイケル・エルガンとのインターコンチネンタル戦が流れ、ROHのジェイ・リーサルとの防衛戦だった。実力者であるのは言うまでもないが、それまでの過程において濃い物語のある相手とは違うため、カードのバリューとしての引きはそれほど望めなかった。

 

今回もエルガンが相手ならば好勝負は必至であり、前回流れている分待っていたというファンも多かったと思われるが、これが4度目のシングル戦であり新鮮味という点では落ちる。にもかかわらず当日を迎える前にソールドアウトとしたのだから、メインイベンターとしてはこの時点でひとつのお勤めを果たしたことになる。

 

これまでビッグマッチのメインを何度も務めた棚橋やオカダ絡みではなく、内藤哲也のバリューで札止めにしたという事実。しかもそれが、3年前には何をやっても罵声を浴びた地である。

 

この日もブーイングを飛ばす観客はいた。今の内藤はそれを許容し、否定的な声によって左右されることのない自分を確立している。応援する人だけでなく、罵声を浴びせる人も同じようにチケットを買ってやってきている。プロは、会場に足を運ばせたら勝ちなのだ。

 

たとえほかの選手が目当てであっても、あるいはこの日の対戦相手であるエルガンを応援するべく駆けつけたとしても、内藤がメインを務める空間にチケット代をかけて来たことになる。自分を支えるものを失いかけた3年前と違い、今はプロとして“数字”という誇れる実績がある。

 

プロレスは他のスポーツのように数字が絶対ではない。記憶に残ったものの価値がそれを超えるケースもある。ただ、あの頃何をやっても支持されなかった内藤は数字というひとつの形によって、否定派を見返した。

 

36分17秒のうち、7割…いや、もしかすると8割以上はエルガンが攻めた。あの破壊的な攻撃をこれほどの長時間に渡り食らいながら内藤は自分のスタイルを遂行し、キッチリと逆転勝利をあげた。

 

その日のニコプロ二次会でも、内藤の受けの達人っぷりに誰もが唸らされた。何かをやればやるほどブーイングを浴びていたのが、自分は要所要所でしか動かず…つまりは、やらないことで逆に評価を高め、道が拓けたのだからプロレスは本当に奥が深い。

 

あれほどエルガンパワーをダイレクトに受け続けながら、試合後にマイクを持った内藤は息が乱れていなかった。そして独特の間合いで言葉を発し、最後の締めを待ち兼ねるオーディエンスをリズミカルに手の平の上へと乗せていった。

 

最後は「デ!ハ!ポン!!」の大合唱。わずか3年で、ここまで風景を変えてしまうとは、あの日の内藤自身も想像していなかったはずだ。言うまでもなく、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンをけん引する者として、新日本をさらに飛躍させていく主力として、あの頃とは立ち位置が大きく変わった。

 

 

今後、番組をともにする機会が訪れたとしても初対面にもかかわらずバカみたいに盛り上がったあのテイストではやれまい。それでも“2・11”について報われてよかったと、心から思う。

 

本人はそれぐらいで満足などするはずもなく、どんな時でも変わらず応援してきたファンがよかったと思えることをどんどん実現させていくはず。私はそんな皆さんにより楽しんでいただくべく、一方的ではあるけれども内藤哲也を言語化していくつもりだ。